7話 私の人生が変わった瞬間
快斗視点
いつの頃からか、鳥海快斗の心は動かなくなった。
幼い頃は、ごく普通の子どもだった。
自分で言うのもなんだが、賢くて愛嬌があり、人よりも美しい容姿をしていた私は、周囲から愛されていた。
そんなある日、私は見ず知らずの男に誘拐されそうになった。
ニタニタと笑う中年男に腕を掴まれた瞬間、人生で初めて恐怖を知った。
引っ張られるまま何もできず、怖くて声も出なかった。固く目を閉じながら、心の中で「気持ち悪い、やめて、どっかいけ」と何度も叫んだ。
気づくと、男は私から腕を離し、何事もなかったかのように立ち去っていた。
これがきっかけで、私の能力が発現したのだろう。
最初は、自分も家族も気づかなかった。だが、成長し、多くの人間と関わるうちに、その異常に気づいた。
強く念じると、相手を意のままに操れる。
感情そのものを消すことはできない。だが、その向かう先を変えることはできる。
例えば、好きという感情は消えないが、好きな相手を変えることができる。憎悪の対象を、別の人間へ向けさせることもできる。
精神操作の能力を持っていると分かると、親族は私たち家族を脅し、利用した。
日本でも強大な権力を持つ鳥海一族。その分家である我が家は、本家に逆らえなかった。
悲しいことに、私の能力は血族には効かない。本家が私の能力を世間に公表すれば、今以上に自由を奪われる。世間は私を超能力者として畏怖と好奇の目で見て、研究機関は何が何でも私を手に入れようとするだろう。
両親は「あなたのためだ」と言いながら、私に能力を使わせた。
重要な場面になると私を呼びつけ、相手の心理を自分たちに都合のいい方向へと変える。
おかげで、ここ数年の鳥海一族の成長は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
私は一族にとって強力な武器となり、重要な役職にも就いた。
両親はいつしか、息子のことよりも、自分たちの地位や金のことを考えるようになっていた。
そして、何度も能力を使ううちに、その特性を理解した。
操作する人数が多いほど、自分の身体への負担が大きくなる。
風邪を引いたように体が重くなる。
さらに、相手に対して罪悪感を抱くと、精神干渉が自分自身にも影響してしまう。
吐き気が止まらない。責めるような声や幻覚にも悩まされた。
私は、自分を守るために、自分自身にも能力を使った。
恐怖心や罪悪感。
そんな感情を抱く「快斗」を、自分の中から切り離すように、何度も精神に干渉した。
何も感じなければ、もう傷つかなくて済む。
そう願ったのは、間違いなく私自身だった。
やがて、本来は明るく感情豊かだった快斗の心は、深いところへ沈んでいった。
代わりに、何に対しても心が動かず、与えられた命令だけを淡々とこなす「カイト」が表に出るようになった。
それは別人ではない。私自身だ。
けれど、感情を切り離すことを繰り返すうちに、まるで別の人格のようになっていった。
いつしか、強く願わずとも、念じるだけで精神操作ができるようになった。
操り人形のカイトは、本物の快斗に戻る方法を忘れていった。
その日は、体調がすこぶる悪かった。
そんな時に命じられた任務。
操作対象となった取引先には、中学時代に優しくしてくれた先輩がいた。
私は操り人形になりきれなかった。
「懐かしいな」と笑う先輩に、少しの後悔を抱いてしまった。
能力を使ったあとの反動は、今までで一番きつかった。
自分の体から魂が抜けていくような感覚に陥り、気づくと私は鳥の姿になっていた。
鳥海一族は、鳥獣人の末裔だ。
100年前までは、獣化と人化を自由に切り替えることができたらしい。現在は獣人の血が薄まり、鳥型に変身できる者はいない。ほぼ人間といっていい。
私は、特殊能力のおかげで獣人の血が濃く出ているのかもしれない。
人生で初めての獣化。
しかも、自宅ではなく外で倒れてしまった。
雨に濡れて体が寒い。
だが、どうでもよかった。
今まで自分がやってきたことの代償なのだろう。仕方ないと思った。
ただ、最後くらいは自由になりたい。
どうせ鳥なら、空を飛んでみたい。
近くにあった木になんとかよじ登る。
枝から足を離して、羽を広げた。
全然ダメだ。飛べない。
クソ、悔しい。
ああ、悔しいなんて気持ち、久しぶりだ。
そんなことを考えていると、地面に打ち付けられた。
痛くて体が動かない。
ふと、何か温かいものに包まれた。
死ぬ時は、温かくなるのか。
「生きて! ……飛びたいんでしょ。……飛ぶところを見せて!」
そうだよ。飛びたいよ。
できるなら、見せてやりたいよ。
誰の声とも分からないその声に、私の心は動いた。
意識が薄れていくなか、死にたくない! 生きたい! と強く願った。
……
ジワッと優しい熱を感じて、重たい瞼を開けると、見たことのない景色が広がっていた。
どこだ、ここは。
室内のようだが、暗くてよく分からない。
体は、鳥のままだ。
人間に捕まったのか。
高いところから落ちたと思ったが、体は動かせる。
筋肉痛のような感覚と、慣れない鳥の姿では、うまく力を入れることが難しい。
だが、骨は折れていないようだ。
「ピィ」
と、情けない声が出てしまう。
すると、目の前にあるカーテンのような布がめくられた。
柔らかそうな茶髪に、優しい雰囲気の青年がこちらを見ている。
目尻が下がり、今にも泣きそうな顔をしている。
私は驚いて、体が固まってしまった。
なぜだろう。
彼から目が離せない。
「大丈夫だよ。ここは安全だからね。今、病院に連れていってあげるからね」
意識を失う前に聞こえた、あの声だ。
この人が助けてくれたのか。
安全だと言われると、体の緊張が自然と解けていく。
彼のことは信用していいと、本能的に分かった。
病院……病院はダメだ!
普通の鳥ではないと、バレてしまうかもしれない。
スマホで電話をかけようとしている彼に、バタバタと羽を動かして拒絶の意思を伝える。
彼は私が怪我をしないか心配して、声をかけてくれた。
どうやったら伝わるだろう。
体全部を使って表現する。
感情を込めて、嫌だと鳴いてみる。
「ピピー! ピピー!」
見苦しいほど騒いでいると、彼は私が「病院に行く」という言葉に反応しているのではないかと考えたようだ。
「病院に行く」
イヤだ。
「ピピー!」
「病院行かない」
良かった♪
「……ピッ♪」
「やっぱ病院行く」
ダメー!
「ピピーー!」
「しかたないな、病院には行かないよ」
よし♪
「ピピッ♪」
感情を押し込めることを忘れていた。
むしろ、伝わるように全力でアピールした。
いつの間にか、無感情のカイトから離れ、本来の快斗に戻っていた。
まるで、心に固く巻かれていた鎖が外れたようだ。
感情が一気に解放された。
泣きたくなるくらい嬉しかった。
目の前にいるこの愛らしい青年が、私を救ってくれた。
「きれいな鳥さん、僕は大成っていうんだ。よろしくね。君はさっきまで死にそうだったの。だから元気になるために休まなくちゃいけない。おとなしくしてるんだよ」
大成というのか。
獣の姿になった私に、まるで人間に話しかけるように声をかけてくれる。
そんな大成に、私は惹かれた。
感謝の気持ちを示したくて大きな声で鳴けば、「返事ができて偉いね」と褒められた。
水とエサを置いたあと、大成は私に気を遣ってくれたのだろう。少し離れたところから、私を見守っていた。
もっと話したい。
こっちに来てほしい。
熱い視線を送っていると、大成が近くに来てくれた。
「君には『きれい』って言葉が合うと思う。でも、顔立ちがキリッとしてるから、格好良くもあるね。青い羽も鮮やかで、見惚れちゃうよ」
踊り出しそうになった。
かわいくて、優しくて、天使みたいだ。
こんなにも心が躍るなんて、もう君を知る前には戻れない。
触りたいと言われたので、喜んで体を差し出した。
首元を優しく撫でられて、気持ちが良すぎて、もっと撫でてほしいとケージにグイグイ押しつけてしまった。
クソ、この柵が邪魔だ。
心も体も満たされた私は、急激な睡魔に襲われた。
ああ、愛しい大成。
もっと話したい、触れたい、ずっと一緒にいたい……。
次に目が覚めた時、そばに大成はいなかった。
寂しい。
どこにいるんだ?
恋しい人を呼んで鳴いた時、体がムズムズしてきた。
なんだ、体がおかしい。
これは、まさか……人間に戻るのか?
ケージの中で大きくなったらどうなる。
そもそも、鳥が人間になるなんて、大成に知られたら……嫌われるかもしれない。
死んでも嫌だ!
まずは、ここから出なくては。
私は、くちばしを使ってケージの扉を開ける。
直後、フワーッと魂が体に戻るような不思議な感覚があり、気づくと人間の姿に戻っていた。
身体だけでなく、服まで元通りになっている。
幸い、裸ではなかった。
だが、この姿で大成に会うことはできない。
「君が助けた青い鳥は人間だったんだ」と言ったところで、普通は信じない。
不法侵入者だと思われて追い出され、もう二度と近づくことすらできないだろう。
見つかる前に、ここから出なくては。
外を見ると、ここは2階らしい。
2階なら、どうにか降りられるだろう。
内鍵を開けて、ベランダの窓を開ける。
私が消えたら、大成は驚くだろう。
外に出たのだと分かってもらうために、窓の隙間を少しだけ開けておくことにした。
優しい彼は、私を探すかもしれない。
自分を責めるかもしれない。
でも、今はこれしか方法がない。
必ず、君のもとに帰ってくるよ。
そして、恩を返したい。
この命に代えても。
だから、忘れないでいて。
私の愛しい番。




