1話 僕の日常が変わる時
1月のキンと冷えた空気を頬に受けながら、店のシャッターを開ける。
立て付けの悪いシャッターを、フンッと踏ん張って開けると、ようやく目が覚めた気がする。
「おはよう、今日もよろしくお願いします」
父さんの遺影に挨拶する。空気がユラッと動く。外気が入ってきたせいなんだろうけど、父さんが返事をしてくれたように思えて、元気が出る。
日めくりカレンダーをめくり、テレビをつける。天気予報を流しながら、開店作業を始める。
新しく仕入れたコーヒー豆を焙煎したい。良さそうだったら、試飲で出してみようかな。
「あ、昨日もらったトマト! 新鮮なうちにトマトジュースにしようかな。リンゴもあるし。レモン汁は……買わないとダメか」
東京のとある商店街。
メインアーケードからひとつ外れた場所にある『喫茶ポッポ』。
僕、小鳩大成は、この店の店長を務めている。
民家に挟まれた小さな店舗。昭和感の漂う純喫茶だ。
亡くなった父の店を継いで3年。
店長としてダメダメだった僕も、昔からお世話になっている業者さんや、温かく見守ってくれる常連さんのおかげで、最近は少しずつ自信が持てるようになった。
今日も開店準備と新メニューの試作に取りかかる。
7時にオープンすると、アメリカンが定番のおじいさんや、モーニングを頼むサラリーマンが来店する。
コーヒーをドリップしながら、立ち上る香りを誰よりも先に堪能できるのが役得。
この穏やかに流れる時間が、僕の日常。
そう、今までは……。
扉の鈴がチリリンと鳴る。
「おはようございます! 大成さん」
爽やかな声と共に現れたイケメン。
K-POPアイドルを思わせるサラサラヘアーのマッシュカットに、まるでアニメのキャラクターのような鮮やかな青い髪。背筋はスッと伸び、若さの中にも気品が漂っている。
「おはようございます、鳥海さん」
花束を持った鳥海さんが、長い脚を軽やかに運びながら、僕のいるカウンターまで歩いてくる。
「可憐な小鳥さんにふさわしい花を選びました。受け取ってくれますか?」
彼は僕のことを、可憐な小鳥とか、かわいい小鳥なんて呼ぶことがある。
恥ずかしいからやめてと言っても聞き入れてくれなかったので、諦めた。
名字が小鳩だし、鳥という点では間違ってはいないか。
父さんなら、「俺はか弱い小鳥ちゃんだ」なんて言って、ノリノリで合わせるだろう。
「僕に花……」
これ、簡単に受け取っていいやつ?
花束なんて人生で一度も貰ったことがないから、対応に困る。
「いつも頑張っている店主にプレゼントです」
店主なんて呼ばれたことないけど、響きがかっこいい。せっかく持ってきてくれたんだし、店主として受け取らないと失礼だよね。うん。
「ありがとうございます。店に飾りますね。かわいい花」
この香り、好きかも。
花瓶は店にあったはず。どこにしまっただろうと考えていると、鳥海さんのじっとりと熱の籠もった視線に気付く。
「花よりも大成さんのほうが何倍もかわいいです! しかも、昨日よりもかわいいなんて。あなたの愛らしさは、毎時間、毎秒ごとに更新されるのですね。目が離せません」
「いや、更新されないので、離しても大丈夫ですよ」
「その、困った顔で首をコテンと傾ける仕草もかわいすぎる! 犯罪級です」
1週間前から毎日のように来店している鳥海さんは、いつもこの調子だ。
これって、好意を持たれているんだよね。歯の浮くような言葉しか言わないし、テンションもおかしいし、からかわれているだけなのかな。
だれか、このイケメンの取り扱い説明書をください。
「あ、キュートなふわふわヘアーに寝癖が」
「え、嘘。どこ?」
「ほら、ここ。……触ってもいいですか? 直します」
「いえ、自分で直します」
「残念。待って、その前に寝癖がついたあなたを写真に収めます」
「収めちゃダメです!」
「大丈夫、私しか見ないから」
「お願いだからダメ」
「あなたからのはじめてのお願い……頂きました! 仕方ない、今回は諦めます。しかし、怒った顔もかわいいなんて。はあ、心臓が騒がしい。最近ずっとこうなんです。何かの病気かもしれません。どうすれば治りますか?」
わざとらしく胸を押さえている。
「もう! 知りませんよ。病院に行ってください。ご注文を伺います」
あ、ほかのお客さんがいるのに大きい声出しちゃった。
「あなたと私の思い出の1杯をください」
「はいはい、いつものコーヒーですね! 座ってお待ちください」
鳥海さんは両手を広げながら、ミュージカル俳優さながらに応える。
「いつまでも待っています、ここで」
……うん、これ、からかわれてるな。やっぱり。
常連のおじいさんは、
「今日も元気でよろしい」
と頷きながら、新聞に目を通している。
僕の日常は、鳥海さんの登場によって、変わっていくのかもしれない。




