表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すずらん団地五号棟 〜わかばとお小遣いと、時々ちくわ〜  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/48

第48話「文月堂の再開予告と、言えなかった続き」



 からりと古いベルが鳴った。


 文月堂の中は、2ヶ月ぶりに、木の匂いがした。


 新しい棚板が、まだ乾ききっていない。ひよりさんは、段ボールの山の前で、腕まくりをしていた。


「あおばさん」


 ひよりさんが、顔を上げた。


「来週、開けるんです。だから、その」


「だから、その、で終わるのか」


(本の話になると饒舌なくせに、頼み事になると急に幼稚園児に戻る。何度見ても、いまだに慣れない。)


「手伝って、もらえますか」


「もちろん」


 即答した自分に、俺は少し驚いた。予定なんて、聞く前から要らなかった。


 棚に、本を並べる。ジャンル別に。著者名の五十音順に。ひよりさんの指示は的確で、俺はただの荷物運びだった。


(デートというより、バイトだ。でも、時給が発生しないバイトほど、なぜか楽しい。この経済観念のなさ、わかばに見られたら殴られる。)


「お父さん、いないんですね、今日」


「仕入れ、行ってます。夕方には」


「じゃあ、それまでは」


「それまでは、二人です」


 ひよりさんが、さらりと言った。俺の手から、本が一冊、滑り落ちそうになった。


(今の、なんの意図もない一文だよな。ないよな。あったら、俺は今すぐ回れ右して駅まで走る自信がある。)


 作業の途中、ひよりさんが、古い一冊を棚の隅から拾い上げた。


「これ、休業前は、誰も借りなかった本」


 表紙が、色褪せていた。ひよりさんは、それをめくって、ある一行を指でなぞった。


「『開けるより、開けたままにしておく方が、勇気がいる』」


「……なんだよ、それ」


「知りません。でも、なんか、今日っぽいなって」


 ひよりさんは、声を立てて笑って、また棚に戻った。俺だけが、その一行を、しばらく持て余していた。


(開けたままにしておく方が、勇気がいる。誰目線だよ、それ。俺は今、扉どころか、口さえ開けられずにいるんだが。)


 棚の上段に、手を伸ばした。ひよりさんも、同じ本に、手を伸ばした。


 指先が、触れた。


 どちらも、動けなかった。数秒後、ひよりさんが先に手を引いて「どうぞ」と譲った。俺は受け取った本の背表紙を、意味もなく二度見た。


(心臓に悪い。この店、防犯カメラより先に、俺の心拍数を心配してほしい。)


 最後の段ボールが、空になった。ひよりさんが、汗を拭いながら、こっちを見た。


「ありがとうございました。あの」


「あの?」


「合鍵、もう」


 言いかけたひよりさんを、俺は、遮った。


「まだ、いい」


 自分の声が、思ったより、はっきり出た。


(このまま持っていたら、いつか、ひよりさんのお父さんに勘づかれる。それでも、言った。)


 続けようとした。まだ、いい理由を。本当は、鍵の話じゃないことを。


 店の外で、車が停まる音がした。


「……父、早い」


 ひよりさんの声が、跳ねた。俺たちは、悪いことなんて何もしていないのに、妙に慌てて段ボールを畳みはじめた。


(言おうとした言葉が、ガムテープの音にかき消された。俺の人生、いつもこうだ。)


「ただいまー。おお、あおばくんも、来てくれてたのか」


 ひよりさんのお父さんは、両手に紙袋を提げて、なにも知らない顔で笑った。俺たちは、なにも知らない顔で笑い返した。


 帰り道、俺は、言えなかった続きを鞄の中身みたいに持ったまま歩いた。


 棚には、全部の本が戻った。


 あおばの伸ばした手と、ひよりの言いかけた鍵の続きが、車の音ひとつで相殺されていた。ただし、その相殺に、まだ言えない一言は含まれていなかった。


             

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ