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第11話:十音の共振(テン・レゾナンス)

北嶺へと続く道は、深い闇と湿った沈黙が重くのしかかる険路だった。

 泥と岩が混ざり合う不安定な斜面に、リネルは淡々と、しかし確実な歩法で足を運ぶ。その背には、右腕を固定され、実質的な機能不全に陥ったテオが、まるで「予備パーツ」のように括り付けられていた。

 かつての高潔な聖騎士は、今や効率だけを追求した「運搬装置」に成り果てている。

フェルムの街の住人が見れば、狂気と侮辱の光景だっただろう。しかし今の二人にとって、これは目的地に辿り着くための最短解だった。

「……リ、リネルさん。重心が左に3センチ……寄ってます。……無駄な筋力を、使ってます」

「わかってるわ。あなたのリュックの中の工具が、さっきから不規則な振動を出してるせいよ。……黙って固定されてなさい。今の私は、止まりかたを忘れたんだから」

 リネルの声には労いも慈悲もない。

 背負ったテオを「守るべき少年」としてではなく、自分の出力を管理する「制御ユニット」として扱う。その背中から伝わる温かさすらも、今のテオにとっては動力源のリアルタイム・ログでしかなかった。二人の間にあるのは、絆ではなく、目的のための完全な同期シンクロだった。


 夜。切り立った岩壁の狭間で、焚き火が小さく揺れている。

 テオは左手一本で、歪んだ魔導ブレード――ボルト締めの不完全な聖剣――の薬室チャンバーを慎重に分解していた。ピンセットが金属を擦る「チッ、チッ」という音が、静寂の森に不気味なリズムを刻む。焚き火の爆ぜる音すら、彼にとっては精度の邪魔をする雑音だった。

「準備……いいですか。12音から10音へ……移行します。神を称える最後の2音削ります」

 リネルの眉がわずかに跳ねた。

 10音。それは教典が定める聖句の最後、神の加護を乞うための2音を「無駄なロス」として削ぎ落とす行為。

「10音は、これまでの1.5倍の圧力がかかります。気を抜けば、バックファイアで肩から先が……消し飛ぶ。本物の暴力です。あなたのシャーシ(肉体)が耐えられる保証はない」

 テオの視線は冷徹だった。それは死への警告ではなく、単に過負荷を懸念している技術者の目だった。

「ええ。最高のセッティングを。私は『正解(10音)』の重さを知らないまま生きるくらいなら、一瞬で燃え尽きるほうがマシよ」

 リネルは笑っていた。その瞳には、信仰を捨て、純粋な出力の虜となった者特有の、どす黒い悦びが宿っている。

 詠唱が始まる。

 聖句の装飾を1音、また1音と削ぎ落とすたびに、行き場を失った魔力はリネルの肉体を内側から膨張させる。血管が熱を持ち、視界が真っ赤に染まる。

「『雷帝よ』――『踏み鳴らせ』!!」

 ――ガガギギギギィィィィィィン!!

 空気が凍りつき、周囲の音が押し潰されたかのように消える完全な真空。

 魔導ブレードはダークブルーの閃光を放ち、正面の巨岩を「粉砕」どころか、分子レベルで解体し、文字通り「存在しなかったこと」にした。

 断層が森の奥まで走り、数百メートルの木々が上下に裂けて崩落する。あまりのエネルギー密度に、火花すら散る暇がなかった。衝撃波は焚き火を一瞬で消し飛ばし、テオの身体を岩壁に叩きつけた。

「……ハッ、ガハッ……!!」

 リネルは膝をつき、激しく嘔吐おうとした。

 右腕の皮膚からは白い蒸気が立ち上り、血管がうごめき、筋肉が自らの意志を無視して硬直している。だが、その激痛さえ、彼女にとっては「高出力の証明」という最高の報酬だった。

「リネルさん!……すぐに冷却を!」

 テオは這い寄り、水袋の水を腕にぶちまけた。

 ジュウウゥゥ……!!

 焼けた鉄を水に浸したような音が響き、周囲を白い蒸気が包み込む。

「……見たわ。……世界が、……止まって、見えた……」

 涙を流しながら、リネルは恍惚の表情で自分の手を見つめる。痛みは、彼女にとって「真実」に到達した達成の証だった。

「1.8倍。理論値を超えましたね。……あなたの意志が僕の計算を……追い越した。あはは……なんて、デタラメな出力だ」

 テオは震える手で、彼女の腕に浮き出た血管をなぞり、賞賛する。「大丈夫?」などという言葉はもはや存在しない。ただ、精密な肉体がこの暴力に耐え抜いたというエンジニアとしての驚きだけがあった。


 翌朝、二人の前に巨大な岩穴が口を開ける。

 『死の旧鉱山』。過剰な魔力が澱み、濃縮されたエネルギーの墓場となった場所だ。

 洞窟の壁面は紫色の結晶に覆われ、時折パチパチと不規則な放電を起こしている。空気は重く、吸い込むだけで肺が焼けるような「オゾンの腐敗臭」を放っていた。

「魔力密度が濃すぎる。ヘタな放出をすれば、山ごと崩落しそうですね。」

「一点に絞るしかないわ。直噴で。他の不純物ノイズに触れる前にすべてを貫く」

 リネルは震える指で魔導ブレードを強く握りしめる。

 10音の重圧をさらに一点に凝縮し、物理的な「貫通弾」として叩き込む。

 

 二人は、闇の中へ足を踏み入れた。

 そこには、神の教科書を焼き捨てた者だけが到達できる、冷徹で残酷で、あまりにも美しい「正解」の光が待っていた。

 狂気の共鳴は、もはや誰にも止められない。


4/8 18:10に12話投稿します

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