星夜祭-11
後ろから二人の驚いたような声が聞こえたが、構わずにわたしは走り続ける。そして、レインの部屋に着くと同時に、勢いよく扉を開けた。
「レイン! だい、じょうぶ……」
言いかけた言葉は、喉の奥で止まった。
だって、目の前のレインはシャツを脱ぎ、無防備に肌を晒していたのだから。
(まさか、着替えの途中だったとは……!)
意外にも鍛えられていた身体つきに目を奪われ、思わず視線を外せずにいると。
「……いつまで見てるつもり?」
呆れたようなレインの声に慌てて「ご、ごめんね!」と叫び、くるりと彼に背を向ける。
だけど、さっきの光景が脳裏から離れない。顔が赤くなるのが分かる。だけど、この状況ではどうすることもできない。
すると、そんなわたしを見透かしたような意地の悪い声が聞こえてきた。
「アナスタシアの変態」
「なっ──!」
変態じゃない。そう叫びたかったけど、この状況では説得力がなさすぎる。なので、やけくそになって、扉を半ば叩きつけるように閉めた。
後ろから「壊れるからやめな」というごもっともすぎる言葉が飛んできたが、聞こえないふりをする。
(わたしは、変態じゃないもん……)
だけど、いまだにさっきのことで、顔の熱は引いてくれず、心臓もドキドキとうるさい。
これでは本当に変態みたいだ。それでも、本来の目的を思い出して、何とか口を開いた。
「メアリーから、レインが大変だって聞いてきたんだけど、もしかして……お母様に虐められたの?」
レインがお母様に何をされたかまでは、聞いていない。元々、関係がいい二人ではないが、直接お母様がレインに何かをしたのは見たことがなかった。
まあ、遠回しに嫌がらせをしているのは、何度か見たことあるけど。
「別に虐められてない」
「本当に? あんなに焦ったメアリーなんて、初めて見たのよ」
「彼女が大袈裟なだけ。……もう、着替え終わったよ」
その言葉と同時に、わたしはレインの方に身体を向けた。確かに、見たところ傷はなさそうだ。しかし、掌に巻かれた包帯が気になる。
「……それは?」
包帯を指さしてそう尋ねる。すると、誤魔化すように「別に。なんでもない」と言われてしまったが、わたしは引かなかった。
「ふーん。わたしに隠しごとをするんだ」
「……なんでもないって」
「言わないなら別にいいわ。けど、その代わり、わたしもこれからはレインには何も言わない」
じっとレインの瞳を見つめて、そう告げる。その言葉に顔を顰めた彼だったが、やがて諦めたように口を開いた。
「……鞭で打たれただけ。本当にただそれだけで、別に大したことじゃないから言う必要ないと思った」
「なっ?!」
充分、大したことじゃないか。そんな大事なことを、どうして言う必要がないと思うのか。
慌ててレインに駆け寄り、確認するように彼の腕をそっと掴んだ。掌に巻かれた包帯には僅かに血が滲んでいる。
「……どうして、そんな酷いことを……」
「アナスタシアを危険な目に遭わせたから、当然のことだよ」
わたしを危険な目に遭わせたから、というのは見知らぬ男に襲われたことを言っているのだろうか。
内緒にするつもりだったのに、レインはちゃんと話したのか。
「なにそれ。わたしが襲われたのは、わたしが約束を破って一人でいたからで、レインは何にも悪くないのに!」
「悪いよ。アナスタシアを守れなかったんだから」
「そんなことない。レインは、ちゃんと守ってくれたもの」
わたしが今こうして無事にいれるのは、レインのおかげだというのに。こんな仕打ちはあんまりだ。
そもそも、今まで、お母様はわたしの自由な行動に何も言わなかった。屋敷の人間の目を盗んで、街に出かけていることも知っているはずだ。
……それなのに、どうして今回だけこんなことを?
すると、ドンドンドンドン──と激しいノックの音がその場に響いた。
「アナスタシア! レインは大丈夫なのか?」
扉の向こうからは、テオドールの声がした。どうやらわたしの後を追いかけてきてくれたみたいだ。
……ちょうどよかった。レインの傷を治してもらおう。そう思い、扉を開けようとしたが、後ろからレインの手が邪魔をする。
「……な、何してるの? はやくお兄様に傷を治してもらいましょ」
「いい」
「どうして?!」
鞭打ちの傷なんて、激しい痛みで辛いはずだ。テオドールのソウル魔法であれば、すぐに治してもらえる。だから、早く彼を部屋に入れるべきだ。
そう訴えかけるが、レインは手をどけない。
「テオドール様にソウル魔法を使わせたなんて、女狐にバレた方が面倒だ」
「……で、でも!」
「いいから。テオドール様には帰ってもらって」
扉を押さえている彼の手に、力が加わるのがわかった。これ以上何を言っても、無駄だということだろう。
……本当に困った男だ。わたしはため息をついて「わかった」と返事をする。
「ごめんなさい、お兄様!」
わたしは扉の向こうにいるテオドールに向かって、叫んだ。
「えー、えっとぉ……レインは無事なんだけど、お母様に呼び出されたのが怖くて泣いてて! 流石にこの状態では、お兄様に合わせる顔がないっていうか……」
苦し紛れにそう言い訳をすれば、扉の向こうで「レインが泣いてる?!」とテオドールがざわついた。さらには、メアリーの驚いたような声まで聞こえてくる。
「落ち着いたら、ちゃんとお兄様のところに行くように伝えるから! しばらくは、わたしに任せてて!」
その言葉で、足音が遠ざかっていくのを感じて、わたしはほっと胸を撫で下ろした。よし、ひとまずあっちは何とかなった。……けど、問題はここからなんだよなあ。
後ろからとてもおぞましい圧を感じて、わたしはぎゅっとスカートの裾を握った。冷や汗が止まらない。
(ああ、後ろを振り向くのが怖い……)
現実から目を背けるように、目を瞑っていれば、頭上から地を這うような低い声がした。
「誰が怖くて泣いてるって?」
「あ、ははは……泣いてるって言えば、引いてくれるかなって思って……」
「なら、代わりに今からアナスタシアのことを泣かせてやろうか」
恐ろしい言葉が聞こえてきて、思わず声を上げる。
「ぼ、暴力反対!」
「まさか、痛いことなんてしないよ。……まあ、酷いことはするかもしれないけど」
……それって、同じなのでは?
ゆっくり振り返ると、彼は恐ろしいほどに落ち着いた、穏やかな微笑みを浮かべていた。
その笑顔に、思わず息が止まりそうになる。
「レ、レイン……」
「なあに?」
名前を呼べば優しい声で返事をしてくれる。だけど、わたしの身体は恐怖で強張り、ガチガチだった。
「な、何でもするから、許してほしいなーなんて……」
欲しいものや食べたいものがあるなら用意をするし、二人きりの時であれば、肩だって揉む。こき使ってくれたって構わない。
そんな思いで口にした言葉だった。
でも、目の前の赤い瞳がゆっくりと細められるのを見て、わたしは後悔した。……あ、余計なこと言っちゃったかも。
「何でもするって、軽々しく言わない方がいいよ」
そう言ったレインの手がわたしの頰にそっと触れた。突然のことに、思わず肩が小さく揺れる。
「……後悔しても知らないから」
とても楽しげに呟かれたその言葉に、思わずごくりと唾をのむ。一体、何をされるのだろうと、全身に緊張が走った。
「い、痛いのはやだからね!」
「大丈夫、痛いことはしないってば」
その言葉に安心したのも束の間、この後、わたしは泣くほどくすぐられてしまうのだった。




