星夜祭-9
「俺はあの女とどうこうなるつもりはないよ。……まあ、それは向こうも同じだろうけど」
「えぇ……? でも、お守り貰ってたよね……?」
わたしはレインがエミリアからのお守りを受け取るところを、確かにみた。だけど、レインは首を傾げる。
「お守りなんて貰ってないけど」
「嘘……だって、わたし、見たもの! 大通りのところで、エミリアがレインにお守りを渡すとこ……」
必死に説明をすると、最初は顔を顰めていた彼も何かを思い出したかのように「あー……?」と声を漏らした。
「なんかあの女が落としたやつを拾った気もするけど、別にそれ以上は何もない」
「……拾った?」
あの時の二人の様子は、そんな風に見えなかった。エミリアは眩しいぐらいの笑顔でレインに話しかけていたし、レインもお守りを大切そうに強く握りしめていたように思えた。
だから、そう素直に伝えたのに、レインは鼻で笑った。
「大切に? 俺が?」
「ええ、そうよ。今にも壊れるんじゃないかってぐらいに、力強く握りしめていたのを見たもの」
その言葉に、思い当たることがあるのか、レインは少しだけ気まずそうに目を逸らす。……何だ、やっぱりそうなんじゃない。
「……ほら、やっぱり」
「違う、あれは……」
「あれは?」
しかし、その先の言葉は、なかなか出てこなかった。
(何だ、本当は想い合っているのに、わたしに隠そうとしているだけなのね)
そう思うと胸がぎゅっと痛んで、つい俯いてしまう。すると、わたしの様子に気づいたレインが焦ったように、口を開く。
「あの女が、アナスタシアのことを一番分かってるのは自分だって言うから……その、怒りでつい握り潰そうとしただけ」
「え?」
「あり得ないでしょ。……ああ、思い出しただけでも腹が立つ」
レインの声が一気に低くなる。その顔は、どこか拗ねたように口を尖らせていた。
(……え、もしかして、それって──嫉妬?)
思わず、頭の中をそんな言葉がよぎる。だけど、口には出さなかった。しかし、沈黙を選んだわたしを見透かすように彼は言葉を続ける。
「アナスタシアのことを一番分かってるのは、俺だもんね?」
まっすぐとこちらを見つめて言われてしまい、心臓が大きく跳ねた。……なにそれ、ずるい。でも、この状況で素直になんて返せるわけがない。
「……一番はお兄様じゃない?」
「へぇ。そんなこと言うんだ」
レインの目がゆっくりと細められる。その声色はからかうようで、少しだけ拗ねたようにも聞こえた。
「それにメアリーともいい勝負かも! 彼女は小さい頃から──んっ?!」
気づけば、口が勝手に動いていた。けれど次の瞬間、レインの人差し指がわたしの唇に触れて、思わず息が止まる。
「それ以上言ったら、怒るよ」
もう怒ってるじゃない、とは言えなかった。
「俺はさ、強欲だから。……他の誰かがアナスタシアの一番になるのとか、我慢できないわけ。──分かった?」
同意を求められて、わたしはゆっくりと頷く。すると、レインはわたしの口からそっと手を離した。
しかし、それだけでは物足りないのか、赤い瞳が、促すようにじっとこちらを見つめている。彼が何を言いたいのかはわかった。
なので、わたしは恐る恐る、だけど、覚悟を決めて口を開いた。
「……わたしのこと、一番わかってるのは……お兄様でも、メアリーでもなく、レインよ」
恥ずかしくて声がだんだんと小さくなる。それでも何とか言い終えると、レインは「うん、知ってる」と満足げに言った。
その表情に、思わず視線を逸らせば、レインはくすくすと楽しそうに笑って。「顔真っ赤だね」なんて、わたしをからかった。
(ああ、もう! 本当に厄介な従者だ)
「ところで……俺たちのこと見てたなら、何で声かけなかったわけ?」
「えっ。えぇっと……その……」
……言えるわけない。二人が恋人同士になったかもって勘違いをして、傷ついて、嫉妬して逃げ出したなんて。
なので、ここは適当に誤魔化すことにした。
「声をかける前に人混みに飲まれちゃって……」
「ふぅん? てか、そもそも何であの場所を離れてたの? 俺たちを探してた、とか?」
「あ、違うの。たまたま、二人が買い物に行ってくれた後に、ユリウスが来て──」
そこまで言いかけて、わたしはハッとして口をつぐんだ。……まずい、確実に余計なことを言った。
「へぇ、たまたま会ったんだ。あの王太子と」
「う、うん……本当にたまたま、偶然……」
レインの顔を上手く見れない。どうして、今このタイミングでユリウスの名前を出してしまったんだろう。
だけど、後悔しても、もう遅い。わたしの腰を支えているレインの手に、力が入るのが分かった。
「あの場所からアナスタシアの姿が消えてて、どれだけ俺が心配したか分かる? あそこで待ってるって言ったよね? それなのに、アナスタシアは呑気に王太子と遊んでて、俺との約束を破ったわけだ」
「いや、はい……ごめんなさい……」
「そもそも──」
言葉を続けようとするレインの声を遮るように、わたしは急に声を張り上げる。
「あっ! 広場! 広場が見えたわ! 早く降りましょう!」
低く舌打ちをする音が耳元で聞こえたけど、無視する。そのまま、やや乱暴に地面に降ろされて、足元が安定したと同時に、わたしはほっと胸をなでおろした。
(ふぅ……よかった)
しかし、安心したのも束の間。レインがこのまま見逃してくれるわけもなく、彼は笑って、残酷な言葉を告げる。
「この続きは屋敷で──覚えておきなよ」
「なっ」
「ほら、行きますよ。アナスタシア様」
そう言うとわたしの手を引いて、レインは歩き出した。……やばい、このまま帰りたくない。
重い足取りでレインの後ろをついていけば、前方に見慣れた後ろ姿が見えた。わたしは慌てて彼女の元へと向かうと、大きな声で名前を呼ぶ。
「エミリア!」
わたしの声に、彼女は勢いよく振り返る。少し目を見開いたあと、こちらに駆け寄ってきた。そして、勢いそのままわたしの胸に飛び込んでくる。
「アナスタシア様!」
「わっ、おっとと……」
思わずバランスを崩しかけると、レインの手が私の身体を支えた。そのことに軽くお礼を言いつつも、わたしはエミリアを、しっかりと抱きしめ返す。
すると、彼女の泣き声が聞こえてきた。
「……ご無事で本当に、本当によかった……」
「心配かけてごめんね。それに、マルガレーテさんのことも、ありがとう。エミリアが呼びにいってくれたんでしょ?」
わたしの胸で泣いているエミリアの背中を優しくさすりながら、そう言えば、彼女は首を横に振った。
「いえ、私にはそれ以外に何もできなかったので……」
「そんなこと言わないで」
「でも、結局、アナスタシア様を助けたのは貴方なんですよね……」
エミリアは顔を上げて、ちらりとレインに視線を向けた。どこか恨めしそうな、そんな表情で。
(エミリアが他人に対して、こんな顔をするなんて珍しい)
「……ねえ、二人とも。わたしがいない間に、何かあったの?」
「「なにもないですよ」」
ふたりの声が重なり、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
(いや、これは絶対に何かあったでしょ……)
二人が恋人同士になったというのは、わたしの勘違いだった。その事に少し安心しつつも、何だか別の問題が起きていそうで、胸がざわつく。
(……まあ、今は気にするのはよそう)
今はとにかくは星夜祭を最後まで楽しもう──そう自分に言い聞かせ、視線を上げると、夜空に光籠がちらほらと浮かび始めていた。
「──あ、そろそろかも」
そう呟いたと同時に、辺りが一気に賑やかになる。一斉に光籠が夜空へと舞い上がり、その光景は本当に美しかった。
隣にいるエミリアをちらりと見れば、彼女の瞳はまるで少女のようにキラキラと輝いていた。
(そういえば、結局、エミリアの好きな人ってレインじゃなかったってことよね……? じゃあ、一体誰なんだろう)
わたしに協力をお願いする必要のある相手となると、思い浮かぶのは後はテオドールぐらいしかいない。でも、好意があるような素振りは一度も見せていなかった。
(それに、わたしを襲ったあの男。仕事だって言っていたけど、それってつまり……誰かが頼んだってことよね)
ラスボス悪女とか関係なく、わたしを始末したい相手が、確かに存在する。その事実に、思わず顔が強張るのがわかった。
「……アナスタシア? 大丈夫?」
エミリアに気づかれないよう、レインがわたしの耳元でそっととささやいた。その優しさに胸がじんわりと温かくなる。
「何でもないの。……ちょっと、疲れただけ」
少しの疑惑と不安を胸に抱えつつも、きらきらと光る光籠を見上げる。
こうして、星夜祭は静かに幕を閉じたのだった。




