エピローグ
――そして数日後。
領地へ帰り着いた翌朝。広大な屋敷の寝室で、エマは全身の骨が溶けてしまったかのような気怠さの中で目を覚ました。
指一本動かす気力もないエマの隣では、長年の飢餓状態から解放され、恐ろしいほど艶やかな色気を纏った辺境伯が、この世のすべてを手に入れたような極上の笑顔でエマを見つめている。
「おはよう、俺の可愛い奥さん」
「……っ、ロビンさんの、ばか。全然優しくなかった……」
「ごめん。でも、エマが可愛すぎるから途中で完全にブレーキ壊れた。……ねえ、もう一回する?」
「な! ななな! 何考えてるんですか! 朝からそんなことするなんて! 頭おかしくなったんじゃないですか!?」
「エマこそ何言ってるの。あ、わかった。こういうのは夜しかしないと思ってるんだ? ……違うよ。新婚なんだから、朝も昼も夜も関係ないでしょ?」
真っ赤になってシーツを被ったエマの背中を、ロビンが愛おしそうに撫で回していると――。
コンコン、バァンッ!!!
「失礼いたします、我が領主様たち。……朝の甘い時間の最中に大変申し訳ありませんが!」
空気を読まないノック(というかほぼ扉の破壊)とともに、シリルが部屋に踏み込んできたのだ。
「シリル。まだ入っていいなんて一言も……って、それ何?」
「ふっ。ここ数日で溜まりに溜まった我らが領地の業務書類。それにウィンター家の書類も加わり、さらにさらに! ここ数日の莫大な請求書の束でございますよ! ここに置いておきますから!」
シリルは息継ぎなしでまくし立てながら、自分の目線ほどまで積まれた書類の山をデスクまで運び、ドスンと置いた。そして「絶対に手伝いませんからね」と言わんばかりの猛スピードで部屋を退散した。バタンッ!と無情な扉の音が響く。
後に残されたロビンとエマは呆然と顔を見合わせ――やがて、どちらともなく吹き出して笑い合った。
「……シリル様らしいですね」
「そうだね」
◇◇◇
さらに数日後。
ブラックウッド城、領主執務室。
かつては書類の山と飲みかけのカップで魔王城のようだったその部屋は、今や一粒の埃すらない、恐ろしいほど整然とした「オフィス」へと生まれ変わっていた。
領主同士の結婚ということで、国王陛下による特例で、当面の間双方の領地を共同統治することとなったのだ。
そして今。
デスクの向こう側。
自分の足でしっかりと床に立っているエマは、カチカチと音を立ててそろばんを弾き、冷徹なまでの眼光で手元の書類を睨みつけていた。
その隣には、綺麗に切り揃えられた短いボブヘアが揺れている。
そして、そのデスクの前に直立不動で立たされているのは――この地方を治め、かつては帝国最強の特殊部隊に所属していた冷徹な辺境伯、ロビン・ブラックウッドその人だった。
彼の額には、冷や汗が流れていた。
「……ロビンさん」
「……はい、夫人」
エマが、ぴしゃりと一枚の紙をデスクの上に叩きつけた。
「これ、なんですか?」
「……軍の……予備費の使途不明金、かな?」
「とぼけないでください! これ、王都に行く道中であなたが私に買い与えた、あの何着もの高級ドレスと宝石の領収書じゃありませんか!」
ロビンは気まずそうに目を泳がせた。
「い、いや、それは……婚約者の身なりを整えるのは領主の義務というか……」
「辺境軍の予算から私財を勝手に流用していい理由にはなりません! しかも、項目が『防衛用資材の購入』ってごまかしてある! ドレスがどこを防衛するんですか、布地が足りなくて防御力ゼロでしょうが!」
「す、すみませんでした……!」
かつて強盗を秒殺した男が、妻の鋭すぎるツッコミの前に盛大に頭を垂れた。
エマはふんすッと鼻を鳴らすと、別の紙を差し出した。
「これもおかしな出費です。先月、王宮の修理費としてブラックウッド家の口座から巨額の金が引き落とされています。はっ……これ、もしかして?」
「あー……それはほら、王宮の窓ガラスを俺が肘鉄で盛大に粉砕したときの……?」
「弁償代ですね!? なんで私が領主になった途端、夫が壊した王宮の弁償までしなきゃいけないんですか!」
「だって仕方ないじゃん? あの時は、エマがムササビみたいに窓にしがみついて――」
「ムササビ言わないでください!」
「もういいでしょ、監査は。それよりお昼にしよう。シリルがパン屋から特製のカスクートを差し入れてくれたんだからさ」
ロビンが優しく微笑みながら、エマの短い髪をふわりと撫でた。
その甘い瞳で見つめられると、さっきまで鬼の形相でそろばんを弾いていたエマも、途端に顔を真っ赤にしてモジモジし始めてしまう。
「っ……そ、そんなに優しくして、ごまかされませんからね……!」
「ごまかしてなんかないよ。俺の全財産も、この領地も、そして俺の命も――全部君のものなんだから、好きに使っていいって言ってるの」
耳元で低く囁かれ、エマは心臓が爆発しそうになりながら、ロビンの胸をポカポカと叩いた。
「もう……! そういうずるいところ、本当に嫌いです!」
「嘘だね。顔が真っ赤だよ、領収書のお姉さん」
「からかわないでくださいっ!」
かつて「スペア」として自分の人生を諦めていた男は、今は世界で一番幸せそうに、愛しい妻を腕の中に閉じ込めて笑った。そして額に甘いキスを落とした。
元・パン屋の売り子にしてウィンター領の若き女領主は、今日も明日も、愛する夫の家計簿を厳しくチェックしながら、賑やかで温かい毎日を過ごしていくのだった。
ついに完成ですー!!!
感想などいただけると大変嬉しいです!
以前も書きましたが、初めて長編を順序立てて、計画立てて書けたように思います。
もしご指摘などありましたら、もう私、ズブの初心者ですのでめっちゃガンガンに訂正してまいりたいと思っておりますので、遠慮なく仰っていただければと思います!




