元禄箸、ひとときの旅人
バイト終わりの夕暮れ。
店内には夕食を買いに来る客がちらほらと訪れていた。
夏美はいつものようにレジに立っていた。
ふいに現れたサラリーマン。少し疲れた顔で、お弁当を持ってレジに並ぶ。
「これ、お願いします」
「はい、580円になります」
「……あと、箸も」
「かしこまりました」
夏美は備え付けの箸入れから、ひと膳の割り箸を手に取り、レジ台の横にそっと添えた。
その瞬間、箸がふと、語りかけてくるような気がした。
「……なんじゃ?ワシになんかついとるかい?」
えっ……?
夏美は思わず箸をまじまじと見つめてしまった。
片方が四角く、もう片方が丸い、あの独特な形。
「い、いえ……気のせいですよね……?」
「気のせいではないぞ、娘さん。ワシはな、元禄箸と申す」
「げ、元禄……?」
「うむ。元禄の世に生まれた、とも言われておる。もっとも、それが真実かどうかは誰にもわからん。だが、わしらはその名を代々受け継いでおるのじゃ」
夏美は思わず笑ってしまった。
「箸に由来があるなんて、考えたことなかったです」
「ふふ、そりゃそうじゃろう。ワシらはな、人の口に入るものを支える、縁の下の力持ち。目立たぬ存在じゃ。だが、誰かのひとときの食事に寄り添う、大事な役目を持っておる」
夏美は、ふと自分のお昼を思い出した。
お弁当にに添えた、割り箸の感触。
なんでもないようで、あたたかく、どこか懐かしいもの。
「たしかに……お箸って、安心します」
「そうじゃ。見た目はただの木。だがな、ワシらにも物語がある。わしは遠い異国、中国の工場で生まれ、船に揺られ、ようやくこの店にたどり着いた。ここでこうして、お主と出会ったのも、縁じゃな」
「旅をしてきたんですね……」
「うむ。そして、いま、ワシはこのサラリーマン殿とともに、新たな旅に出る」
ちょうどそのとき、サラリーマンが会計を終え、箸を手に取った。
「ありがとうございました。お気をつけて」
夏美が微笑んで声をかけると、彼は少し照れたように頷き、出口へと歩いていった。
元禄箸は、静かに一礼するように、ほんの少し揺れていた。
「……誰かの食事を支える。それが、ワシの誇りじゃ。たとえ使い捨てでも、一度きりでも、その一瞬に心を込める。それが、元禄箸の生き様よ」
夏美は小さくつぶやいた。
「……ありがとう。いってらっしゃい」
木の香りのするその箸に、心の中で、そっと手を振った。
そして思った。
――見慣れたものの中にも、きっと物語は息づいている。
それに気づけるかどうかは、自分の心の柔らかさ次第なんだ、と。
外は、夜の気配がそっと忍び寄っていた。
今日もまた、ひとつの旅が、誰かの手に渡っていく。
一膳の割り箸にも、静かな誇りと旅の物語がある——
たとえ使い捨てられる運命だとしても、「誰かのひとときを支える」ことに全力を尽くす姿に、どこか人の生き方にも似た美しさを感じるかな…




