88th BASE
お読みいただきありがとうございます。
高校野球では地方大会が始まりましたね。
甲子園には繋がらないかもしれませんが、そこで野球をした記憶は一生ものなるはず。
球児の人たちには目一杯プレーしてほしいと思います。
《六回裏、伊予坂高校の攻撃は、三番キャッチャー、零原さん》
六回表の亀ヶ崎は、先頭の京子がヒットを打ったことから始まった。伊予坂も翼が出塁すれば得点の兆しが出てくる。しかも後ろに続くは中軸。希望は大いに持てるはずだ。
「よろしくお願いします!」
翼は自らを奮起させるかのように張りのある声で挨拶する。ここまでの二打席はいずれも真裕の前に凡退。しかし三度目の対戦となれば球筋も大分把握できるようになっており、勝手は違ってくる。打ち返すことができるか。
対するマウンド上の真裕。味方が先制点を挙げたため、彼女があと二イニングを抑え切れば亀ヶ崎は勝利を収める。決して守りに入るつもりはないものの、このまま自分が抑え切って一対〇でゲームセットを迎えるビジョンは思い描いていた。
(この回のクリーンナップを三人で抑えれば、次の最終回は下位打線で良い。そうなれば完封も現実味を帯びてくる)
真裕は一旦ロジンバックに触れてから、打席の中の翼と対峙する。ここまでの翼のプレーは驚きの連続だった。真裕の期待感は膨らむばかりで、ここに来て最高潮に達している。
(一回戦からこんなにワクワクする対戦ができるなんて思ってもいなかった。しかもその子がまだ一年生だなんて、ほんとにびっくりだよ。でもだからこそ打たれるわけにはいかない。何としても抑えるんだ!)
一球目。真裕はインローへストレートを投げ込む。翼はバットを振っていったが、ボールはスイングの軌道の上を通過する。空振りとなり、翼は思わず唇を噛んだ。
(捉えられそうと思ったのに、結果的には全然振り遅れとるけん。まだまだ球威は衰えとらんようやし、体力的にも余裕がありそうやね。それでこそ真裕さんや)
翼が真裕たちのことを初めて知ったのは、去年の夏の大会である。ネットで中継されていた準決勝の試合、つまりは真裕が先発を務めていた奥州大付属との一戦を視聴したのがきっかけだった。
(一年生ながら準決勝で先発。しかもほとんど一人で投げ抜いた。奥州大付属の小山さんも凄かったし、あの試合は今も鮮明に覚えとる。私に高校でも頑張る勇気をくれたけん)
昨夏、当時中学三年生だった翼は悩んでいた。高校で野球を続けるかどうか、決めることができないでいたのだ。
小学五年生から野球を始めた翼は、中学でも引き続き野球部に入部した。持ち前の野球センスで着々と上手くなっていったものの、どうしてもチームメイトの男子にスピードやパワーでは敵わなかった。部活動自体は充実していたが、三年間でレギュラーを取ることはできず。専ら二番手捕手に甘んじた。
そんな背景もあり、翼は高校入学に合わせて野球を辞めてしまおうかとも思っていた。しかし真裕たちの勇姿が、彼女に考えを改めさせたのである。
(女子が男子に勝つのは難しい。だけど、女子にだって男子に負けないくらい熱い戦いができる。それをあの試合で感じたけん、私は高校でも野球をやることにしたんだ)
最終的に翼は野球を続けるため、愛媛県内で唯一女子野球部のある伊予坂に進学した。もしも真裕たちの存在が無ければ、彼女は別の高校に進み、ここに立つこともなかったかもしれない。
(真裕さんたちは私の運命を変えてくれた。そんな人と今こうやって野球をできてるなんて夢みたいけん! だからこそ、最後まで自分の最高のパフォーマンスをせんとね。せっかく各選手の特徴も調べ上げたんやし)
亀ヶ崎との対戦が決まった後、翼は過去の試合の映像を何度も再生してデータ収集を行った。非常に根気のいる作業となったが、全く辛く感じることはなく、寧ろ見返すたびに興奮が増していった。それほどまでに真裕たちと戦えることが嬉しかったのだ。
血が湧き、肉は踊る。二球目、翼はアウトハイに来たストレートを見逃す。
「ボール」
既に目は慣れてきている。あとは実際にスイングして捉え切ることができるかどうか。もちろん亀ヶ崎バッテリーはそうはさせまいと配球を組み立てる。
(一球目の感じを見ると、まだ直球に差し込まれてる。変に小細工するより、真っ直ぐで押した方が確実にストライクを稼げそうね)
三球目、優築は外角低めのストレートを要求する。真裕も同じように考えており、指示に沿って投げ込む。
翼は打って出た。綺麗な金属音を奏でたが、打球は三塁側のスタンドへと消えていく。バッテリーは思惑通りファールを打たせることに成功。ワンボールツーストライクとなった。
(追い込まれてしまった……。向こうは私にまだスライダーを見せとらん。ここでほぼ間違いなく投げてくる。正直良いところに決められたら見逃せる自信は無いけん。なら打ち返すしかない)
ストライクからボールになる真裕のスライダーを見極めることは難しい。カットしようとしても簡単にできるものでもない。となれば翼に残された道は一つ。三振を恐れずフルスイングでぶつかるだけだ。
(おそらく零原の頭の中にはスライダーがあるはず。裏を掻いて他の球種で仕留めるのも手だ。真裕はどうしたいだろうか?)
(カウント的にも場面的にも明らかにスライダーを狙われてる。……でも、それでも投げるべきなんだと思う。狙われてるからって投げないんじゃ、私の追い求めてる決め球とは言わない。優築さん、スライダーを投げさせてください!)
真裕はスライダーのサインを目で訴える。この一年間ずっとバッテリーを組んできた優築には、それを察せないはずがない。
(……やっぱりか。そう言ってくると思った。なら存分に投げてきてもらいましょう)
(はい! ありがとうございます)
優築がスライダーのサインを出し、真裕は間髪入れずに頷く。思いは通じ合った。四球目、真裕の投げた一球は、翼の膝元から鋭く斜めに滑り落ちる。
(これが真裕さんのスライダー。……くっ、やっぱり止められん)
案の定、翼はスイングしてしまう。投球はベースの後ろでワンバウンドし、優築がプロテクターに当てて前へと弾く。翼のバットは虚しく空を切った。
See you next base……




