45th BASE
お読みいただきありがとうございます。
少し前からフットサルを始めたのですが、張り切り過ぎて終盤にいつも足を攣ってしまいます。
日頃の運動不足が如実に表れていますね……。
練習後、空は若干のオレンジ色を帯び、時刻は午後四時半を回っていた。私は帰ろうとしていた春歌ちゃんに声を掛け、もう一度バックネット裏で話すことにする。
「ごめんね春歌ちゃん、何度もこんな風に呼び出して」
「いえ、私は全然構いませんよ。こうやって話していれば、他の人には真裕先輩と仲良くやっていると思ってもらえるでしょうし」
春歌ちゃんの口から何気なく発せられる言葉が、私の胸をちくりと突き刺す。だが私はそれに臆せず、やや語気を強めて口を開く。
「そっか。それは良かったね。……それで春歌ちゃん、今日のブルペンでのピッチングはどういうつもり?」
「どういうつもり? 別に普通ですけど。やっぱり私は緩急を使った投球術が合うと思ったから取り組んでみたんです。監督も良い感じって言ってくれてたじゃないですか」
「確かにそうかもしれないね。でも春歌ちゃん自身はそれで満足なの? そうやって野球をしていて楽しいの?」
「はあ? あっ……」
予期せぬ質問だったのか、春歌ちゃんは思わず眉を顰めて声を上げ、咄嗟に手で口を覆う。それから私に一言詫びを入れると、すぐに険しい顔つきに戻る。
「ごめんなさい。……ですけど満足できるとか楽しいとか、何を舐めたこと言ってるんですか? 遊びじゃないんですよ」
「別に舐めたことなんて言ってないよ。せっかく好きな野球をやるんだから、楽しくやらないともったいないでしょう」
今まで春歌ちゃんが私に向けていた好意は嘘だったのかもしれない。でも彼女の野球が好きという気持ちは嘘じゃないはず。そうでなければ入学して間もない頃に見られたように、グラウンドであんなに楽しそうにすることなんてできない。
けれども今の春歌ちゃんは全く楽しそうではない。まるで心に枷を嵌められているかの如く、何かに囚われて苦しみながら野球をやっている。だから彼女がどれだけ充実した表情をしていたとしても、私は違和感を抱いてしまうのだろう。本当の意味で上手くなろうと思うならば、やっぱり野球を楽しむ気持ちを忘れてはいけない。私はそう信じている。
「はあ……、ほんと意味分かんない。私は真裕先輩のそういうところが嫌いなんですよ。才能ある人は良いですよね。そうやって呑気に考えられて。こっちは生き残っていくために必死で踠いてるっていうのに……」
ややドスの効いた声で悪態をつく春歌ちゃん。だが「必死で踠いてる」、この言葉に私は彼女の胸の内が垣間見えた気がした。私は一転して諭すように語りかけてみる。
「春歌ちゃんってさ、もしかしてコンプレックスでもあるの?」
「え……?」
春歌ちゃんが目を大きく見開く。どうやら図星のようだ。正直彼女くらいの実力があればコンプレックスを抱く必要なんて無いと思うが、その部分を解き明かせば必然的にインコースに執着していた理由にも繋がってくるに違いない。
「私に才能があるかどうかは分からない。でも春歌ちゃんが私に言ってくれたように、私は春歌ちゃんにも才能があると思ってる。コーナーに投げ分けられる制球力があって、一年生から試合で投げられてる。それに何より、強打者にも臆せず立ち向かっていける闘争心がある。これはピッチャーとしては大きな魅力だし、紛れもない才能だよ」
「そんなの見せかけだけですよ。事実この前の試合は、その闘争心とやらのせいで打たれたじゃないですか。そうなった以上、私はやり方を変えるしかないんです……」
春歌ちゃんは唇を噛んで伏し目がちになる。隠されていた悶々とした感情が、露わになった瞬間だった。
「そんなことない! まだ一回打たれただけじゃん。春歌ちゃんは今までこのスタイルを磨き続けてきたんでしょ? だったらここで簡単に諦めるなんて駄目だよ」
「で、でも真裕先輩たちは私にこのスタイルを止めてほしいんじゃないんですか? そのためにこうやって話してるんでしょ。止めろとか続けろとか、一体どっちなんですか」
やや怒気を帯びた表情をする春歌ちゃん。こうなるのも当然だ。私たちの言っていることが二転三転しているのはこっちだって分かっている。
「私も最初は、春歌ちゃんは変わった方が良いんだって思ってた。だけどテスト前や今日の春歌ちゃんのピッチングを見て、これは違う、春歌ちゃんらしくないって気付いたんだ。裏を返せば、それだけこれまでの春歌ちゃんが魅力的だったってことだよ」
私は春歌ちゃんから目を逸らさず、自分の思ったことをありのまま口にする。春歌ちゃんの心を開こうと思うのなら、余計な言い回しはせずにこうするのが一番だ。
「そんなの、都合良すぎじゃないですか」
「うん。私も都合が良いと思う。でもこれが私の素直に感じた思いだし、先輩として春歌ちゃんに伝えたいことなんだよ。私は春歌ちゃんに、春歌ちゃんがこれまで積み重ねてきたもの貫いてほしい」
「何それ……。それで結果が出なかったらどうしてくれるんですか」
「結果が出ないなら少しずつ変えていけば良い。その中でより良くなっていくよう、私は春歌ちゃんを手助けしてあげたい」
「むう……」
一歩も引こうとしない私に、春歌ちゃんは目に見えてたじろぎ出す。こうも分かりやすく動揺しているのは初めてだ。
「私は真裕先輩のことが嫌いなんですよ。それはこれからも変わらない。それでも私を支えたいって思うんですか?」
「当たり前じゃん。だって私は春歌ちゃんが大好きだからね」
私は二つ返事で答え、とびっきりの笑顔を春歌ちゃんに向ける。もちろん作り物ではなく、歴とした本物だ。唐突に差し込んできた西日のせいなのか、春歌ちゃんの頬が一瞬だけ赤みを帯びたように見えた。
「……ほ、ほんとに意味が分かりません。だから真裕先輩は嫌いなんですよ。もう勝手にして下さい。今日はこれで失礼します」
春歌ちゃんは急に早足で歩き出して私の元を去る。けれどもその背中から伝わる寂寥感は和らぎ、微かに明るくなっているように思えた。どうしようもなく真っ暗闇だった道筋に、一筋の希望の光が灯った。
See you next base……




