44th BASE
お読みいただきありがとうございます。
コロナ肺炎が本格的なパンデミックとなってきましたね。
手洗いうがいなどの基本的な予防もそうですが、食事や睡眠などの面からも免疫力を上げられるよう一層気を配っていきたいと思います。
ゴールデンウィークが明けるとすぐにテスト週間に入った。この期間は部活動が全面的に禁止なり、私たち女子野球部も例外なく活動できなくなる。そのため他の野球部員、特に学年の違う面々とはほとんど顔を合わせなかった。
春歌ちゃんの件はあれでお終いなのか。私は蟠りを消せないまま、テスト期間を過ごした。そしてテスト明け当日より、改めて部活動に励むこととなる。
「皆、テストご苦労様だった。今回出来が良かった者はこの調子で、悪かった者は次のテストで挽回できるよう、今日からコツコツと勉強する癖を付けておくこと。くれぐれも学期末にある追試を食らって、夏大直前で部活に出られなくなることは止めてくれよ」
「は、はい!」
練習が始まる前、監督からありがたくも耳の痛い話がされる。テストの得点が一定に満たない生徒は、毎学期末に追試を受けさせられる可能性がある。私はとりあえず回避できそうだが、正直危なそうな人は何人かいる。それについてはまた別の機会に話すとしよう。
「勉強が大事なのは言うまでもないが、部活をやる時は当然そちらに集中してもらいたい。夏大まであと二ヵ月。ここから本格的なメンバー選考を行っていく。そのつもりで日々の練習に臨むように。良いな?」
「はい!」
練習が始まった。今日は投手陣全員がブルペンに入ることとなる。私はフリーバッティングを終えて個人ノックに移ろうかというタイミングでピッチングを開始。隣のマウンドでは既に春歌ちゃんが行っていた。
「カウントワンボールツーストライク。次はチェンジアップ行きます」
春歌ちゃんの投じたチェンジアップが、真ん中から低めへと落ちながらキャッチャーミットに収まる。この前のシートバッティングで私を空振りさせたような球だ。
「ナイスボール! 良いぞ春歌」
「はい。ありがとうございます」
キャッチャーの背後では監督が直々に見守っていた。カウントを想定しながら緩急を使う練習をしている春歌ちゃんに対し、時折アドバイスを送っている。
「春歌、この次はストレートを決め球に使う組み立てでやってみろ」
「分かりました。じゃあ一球目はカーブから入ります」
春歌ちゃんは今日もあまりインコースに投げていない。カウントを整えたり配球にアクセントを加えたりするために挟んでいる程度で、以前のように執拗に続ける姿は見られなかった。良く言えばシンプルで基本に忠実ではあるが、見ていてどこにも惹きつけられるものを感じられない。もちろんやっていることは間違ってはいない。けれども“間違ってはいない”で止まっている気がする。
「ありがとうございました」
結局最後まで春歌ちゃんは同じような投球を繰り返した。投げ終えた彼女は何か手応えを掴んだのか、安堵の表情を浮かべながらブルペンを去っていく。
本当にこれで良いのだろうか。私は違和感をどうしても拭えない。そこで自分のピッチングが終了した後、ベンチに座っていた監督に相談してみることにする。
「監督、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」
「おおどうした? 春歌のことか?」
こちらの胸中を知ってか知らずか、監督は相談内容を予め察していた。もしかしたら私と同じ懐疑心を抱いているのかもしれない。
「はい、そうです。監督は今日春歌ちゃんの投球練習を見てましたよね。どんな印象を持ちましたか?」
私は先日監督にされた質問をそのまま返してみる。監督が今の春歌ちゃんをどう思っているのか、率直な意見が聞きたかった。
「今日の投球か? 良い感じだったと思うぞ。かなりの割合で意図したところに投げられていたしな」
発言だけを聞くと、監督も春歌ちゃん本人と同様に好感触を得ているみたいだ。けれどもその口ぶりは表面だけ朗らかで、本心を覆い隠しているようにも感じられる。私は深層を抉るべく、少し視点を変えて問うてみる。
「じゃあ具体的にどこが魅力的でしたか?」
「ん?」
監督は不意を衝かれたように一瞬だけ固まり、咄嗟に目を細めて微かに笑う。これは驚いているのか感心しているのか、どういった感情を示しているのかは分からない。だがおそらく、私がこの聞き方をしてくるとは思っていなかったのだろう。
「ほう、面白いことを言うじゃないか。どこが魅力的だったか。そうだなあ……」
顎に手を当てて考える監督。しかしそれが格好だけであることはすぐに判断できた。その途端、私は腸が煮えくり返りそうになる。
「監督、そんな見え透いた演技しないでください。あのピッチングのどこに魅力があるっていうんですか?」
私は遠慮がちに声を震わせつつも、監督に怒りをぶつける。やっぱり春歌ちゃんはあのままで良いわけがない。監督だってそう思っているはずだ。それなのにこんな粗略な扱いをするなんて、いくら監督でも許されない。
「あれじゃ春歌ちゃんじゃなくて、どこにでもいる平凡なピッチャーじゃないですか! 今の春歌ちゃんは動物園にいる爪の丸められたライオンと同じです。私はもっと闘志を前面に出して、打者と真っ向勝負する春歌ちゃんを見たいんです! 楽しく野球をやりたいんです!」
同時に監督がゆっくりと立ち上がり、私の左肩に手を乗せる。その手はとても大きく、仄かな温もりが私の胸の奥に流れ込んできた。
「そういうことだ。じゃあ後は任せるぞ。お前のやりたいようにやってみろ」
「任せるって、一体どうやったら良いんですか? 春歌ちゃんは私に心を開いてくれてないんですよ……」
私の口から思わず弱気が漏れ出す。だって本当にどうすれば良いのか分からないのだから。私の声は春歌ちゃんの胸には響かない。だがそれでも、監督は私を頼るのだ。
「大丈夫だ。心を開いてもらえないなら、こじ開けてやれば良い。俺は真裕にはそれができると思ってる。これまでだってそうやってしてきたはずじゃないか」
「これまで? 私がですか?」
「ああ。お前自身は気付いていないかもしれないが、お前に心を動かされた人間はたくさんいると思うぞ。俺も実際に何人か見てきたしな。だから春歌にだってできるさ」
監督は破顔一笑する。どうしてそんなことが言えるのだろうか。けれどももうその言葉を信じてやるしかない。いくら嫌いと言われようとも、私は春歌ちゃんとこれからも楽しく野球がしたいと思っているのだから。
See you next base……
WORDFILE.6:テスト
亀ヶ崎では、一学期と二学期にそれぞれ二回ずつ、三学期には一回のテストがある。テスト前の一週間は特別な理由が無い限り部活動は行えない。
テストの合格点、いわゆる赤点ラインは30点若しくは平均点の半分のどちらか低い方に設定されている。毎学期末に基準点に満たない者は追試を受けさせられ、そこで合格できないと二週間程度の補習の後に再度追試を受験することになる。




