第13話 第一次調査隊、隊長の遺品
制服の人影は、広間の真ん中で足を止めた。
帽子の影の奥で、青白い光が二つ揺れている。
生きた人間ではない。ダンジョンに呑まれた亡骸が、魔素に動かされているのだ。深層の記録には「亡者」とだけ書かれている、と霧咲さんに聞いたことがあった。
《コメント欄》
元探索者:第一次調査隊のワッペン……
ガチ勢A:十年前に消えた三十人の一人?
七瀬:灰島さん
黒崎ジン(公式):逃げろ、おっさん。あれはヤバい気がする
亡者が、右手を上げた。
骨だけの指先に、青い光が集まる。
次の瞬間、光は槍のように伸びて、俺の胸をまっすぐ狙ってきた。
俺は防炎養生シートを一枚広げて、斜めに受けた。
光はシートの表面を滑って逸れ、背後の石の柱を一本、根元から砕いた。
シートに、拳ほどの穴が開いていた。
一枚八百円が、一撃で駄目になったのは初めてだ。
「失礼ですが」
俺は、シートを畳みながら言った。
「第一次調査隊の方ですね。その袖の腕章は、隊長の方のものと伺っています」
亡者の動きが、一瞬止まった。
千景は、出発前の一週間、毎晩のように調査隊の話をしてくれた。
隊長は御厨さんという元自衛官で、口は悪いが誰よりも隊員思いの人だ、と。腕章が一人だけ赤いから、すぐ分かるのよ、と。
「御厨隊長でいらっしゃいますか」
亡者は答えない。
ただ、また右手を上げた。光が、さっきよりも強く集まっていく。
俺は、一歩前へ出た。
「灰島千景の夫です。十年前、妻がお世話になりました」
光が、ふっと消えた。
《コメント欄》
名無しの中層民:止まった
ガチ勢A:名前に反応した……?
霧咲レイ(公式):師匠
kuro_tama:うそだろ
亡者は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて、ぎこちない動きで、自分の制服の胸ポケットに手を入れた。
取り出したのは、折りたたまれた一枚の紙だった。
骨の指が、それを俺のほうへ差し出す。
手が、小さく震えていた。十年間、ずっとこれを持ったまま、この広間を歩き回っていたのだろうか。
俺は白手袋をはめ、両手で受け取った。
紙の表には、見慣れた字でこう書かれていた。
――恭一さんへ
千景の字だった。
買い物メモの、冷蔵庫に貼った「牛乳」の、結婚式の招待状の宛名書きの。十年間、一度も見ることのなかった字だった。
顔を上げると、亡者の体が崩れ始めていた。
帽子が落ち、制服が床に崩れ、骨が砂のようにさらさらとほどけていく。
最後に残ったのは、赤い腕章と、一枚の探索者タグだった。
『MIKURIYA SHUICHI』。
俺は膝をついて、手を合わせた。
「御厨隊長。お預かりした物は、必ずお届けします。……長いあいだ、ありがとうございました」
広間に、静けさが戻った。
《コメント欄》
名無しの中層民:……
ガチ勢A:十年間、奥さんの手紙を持って待ってたってこと?
元探索者:届けるために、ここにいたのかもしれない
七瀬:灰島さん、手紙、千景さんの字ですか
黒崎ジン(公式):なんだよこれ。泣くだろ
「はい。妻の字です」
俺はカメラに向かって答えた。
声が、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「ですが、今は開けません。先に、お迎えしなければならない方がいますので」
◇
六十階に戻ると、灰燼竜の尻尾の内側で、霧咲さんが目を覚ましていた。
顔色は、少しだけ戻っている。
竜の体温に守られて、魔素酔いが落ち着いたのだろう。
「師匠……!」
「お待たせしました」
俺は霧咲さんの前に膝をつき、白い布を広げた。
その上に、戸川さんの盾と、手帳の入った小箱と、三森さんの鈴を並べる。
「戸川ユウさんの盾と手帳です。手帳は、ご家族に最初にお渡しします。それから、三森カナさんの鈴です」
霧咲さんは、震える手で鈴を拾い上げた。
しばらく、ただ握りしめていた。
それから、ゆっくりと、三回鳴らした。
ちりん。ちりん。ちりん。
深層の空気に、小さな音が溶けていく。
「……カナ。ユウさん」
霧咲さんは、鈴を胸に抱いた。
「遅くなって、ごめんね。迎えに来たよ。――今日の晩ごはんは、焼肉にしよう」
《コメント欄》
名無しの中層民:無理
ガチ勢A:潜る前の儀式だ
元探索者:三回鳴らすの、記録の日の配信でもやってたよな
kuro_tama:焼肉で泣かせるな
黒崎ジン(公式):退院したら、俺が奢る。全員分
Abyss_Watcher:(号泣)
灰燼竜が、喉の奥でくるる、と小さく鳴いた。
まるで、もう泣くなと言っているみたいだった。
◇
帰り道、霧咲さんは自分の足で歩くと言って聞かなかった。
戸川さんの盾は俺が背負い、鈴は霧咲さんが首から下げた。
歩くたびに、ちりん、ちりん、と小さな音がする。
「師匠。千景さんって、どんな方だったんですか」
五十階を過ぎたあたりで、霧咲さんが聞いた。
「……よく笑う人でした。それと、よく怒る人でした」
「怒る?」
「私が書類を床に積むと怒りました。靴下を裏返しのまま洗濯機に入れても怒りました。患者さんの話を聞きすぎて、夜勤明けに泣きながら帰ってくることもありました」
霧咲さんが、くすりと笑った。
「師匠の書類が几帳面なの、千景さんのおかげなんですね」
「そうかもしれません」
言われて初めて、気がついた。
八年分の帳簿をきちんと綴じてきたのも、遺品の目録を丁寧に作ってきたのも、どこかで、いつか妻に見せるつもりだったのかもしれない。
◇
同じころ。協会八王子支部の課長室で、真壁は配信を見ていなかった。
見ていられなかった、というほうが正しい。
ノートパソコンを閉じ、震える手で電話をかける。
「……会長。灰島が、御厨の遺品を回収しました。千景の手紙もです」
受話器の向こうで、長い沈黙があった。
「はい。分かっています。手帳の本体は、まだです。あの手紙だけなら、言い逃れはできる。……はい。私が、直接取りに行きます」
受話器を置くと、真壁は机の引き出しを開けた。
十年前の集合写真の下に、古い探索ジャケットが畳んでしまってあった。
◇
地上に戻ったのは、夜明け前だった。
ゲートの外で、ひよりさんが毛布を持って待っていた。
霧咲さんの肩に毛布をかけ、それから俺の顔を見上げて、何も言わずにうなずいた。
ゲートの柵の向こうには、始発前だというのに人が集まっていた。
手作りのプラカードを掲げている人がいる。『第一次調査隊の家族です』『父の物も探してください』。
その中に、白髪の女性が一人、じっとこちらを見て立っていた。
ひよりさんが、小声で教えてくれた。
「三森カナさんの、お母さんです。配信を見て、始発を待たずにタクシーで来たって」
霧咲さんが、鈴を握りしめて、まっすぐその人のほうへ歩いていった。
事務所の応接机に、千景の手紙を置いた。
配信は、まだつながったままだった。同時接続は、八百万人を超えている。
俺は少し迷ってから、カメラに向かって言った。
「これは、私宛ての手紙です。本来なら、一人で読むべきものだと思います」
ひよりさんと霧咲さんが、こちらを見る。
「ですが、妻は第一次調査隊の一人でした。この手紙には、三十人のご遺族が知るべきことが書かれているかもしれません。十年間、紙一枚しか受け取れなかったご家族が、ほかにも二十九組いらっしゃいます」
俺は、ゆっくりと紙を開いた。
「ですので、最初の一行だけ、読み上げます。その先は、私が先に読んでから判断させてください」
折り目のついた紙に、千景の字が並んでいた。
急いで書いたのか、ところどころ文字が乱れている。
最初の一行を見た瞬間、俺は息をするのを忘れた。
声に出すまで、長い時間がかかった。
「――『協会は、私たちを沈めた』」
ご依頼の続きは、本日19:10に。
続きを見逃さないよう、【ブックマーク】で灰島の作業記録を保存しておいてください。
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※本作は本文の執筆に生成AIを使用しています。




