超えたかった壁
加奈ちゃんの策略によって、二人屋上に取り残された湊と由梨菜は、気まずそうにベンチに並んで座っていた。
まともに話す事自体が実に二週間ぶり。しかもその原因は絶妙なすれ違いではなく、お互いの間に流れる変な雰囲気なのだ。よく知る友達に限らず、部活の仲間たちにも心配されるようになっていたところでのこの状況は、さすがに気まずいものがあった。
由梨菜は、加奈の目論見が分かっていたからこそ「一緒に食べませんか」と誘う事こそできたものの、それ以上どうしたらいいかなんて少しもわかっていない。それでも、何も分からないまま突然二人きりにされた湊よりは幾分マシではあるのだが。
「……」
「……」
決まずい沈黙が空間を埋める。由梨菜は膝の上に弁当をのせたまま、湊は無駄に行儀よくこぶしを握って固まっていた。そしてそのまま、嫌に長く感じる三十秒が流れたころ。
おずおずと由梨菜が一人分の弁当を差し出した。
「その、加奈のせいで二人分作ってきているんです。先輩は何も持っていないみたいなんで、よければ食べませんか?」
「あ、ありがとう……」
お互いに妙に俯いたまま、わずかに震える手で弁当を受け渡した。中身は人に作るということもあって仲中に気合の入ったものとなっている。ただし相手は女子の予定だったので、量は控えめなのだが。
そして、その控えめという今ではどうしようもない事が気になって仕方ない。以前作った時はどうだっただろうか。こんなに気まずくなってしまってからでは、もう何をしても自信が持てない。こんな簡単なことにも気になって仕方なくなる。
湊の方も決していつも通りというわけでは無い。好きな子の手料理を屋上で食べるという夢のようなシチュエーションにいるのに、全くと言っていいほど味わえる気がしないのだ。心の片隅でしか幸せを感じられていないし、その幸せも大きすぎる違和感の雰囲気に塗りつぶされそうだ。
季節柄、屋上で日差しがあっても風は肌寒い。そんな中、二人が小さく手を合わせて「いただきます」という声が響く。
「……」
「……」
美味しいはずのおかずの数々にも意識が向かない。
湊の中には、ふつふつと怒りに似た言い表せない衝動が鎌首をもたげる。
こんな状況になるためにAWLをクリアしたのではないはずだ。俺には恋愛経験がほとんどないから、その特訓や女の子の気持ちを知るためにプレイした。なのに、今では隣にいても遠く感じる。
拓真やゲームの占い師が言っていた「本質を忘れるな」というのはこういう事だったのだろうか。いつの間にか攻略に躍起になっていた俺を諫めていたのかもしれない。初めのころは、由梨菜と一緒にゲームができるというだけで楽しさを感じていたのに、気が付けば見ているのはユリナだけになっていた。ユリナルートのクリアが何にも解決にならない事なんて、分かっていたはずなのに。
ふと弁当から顔を上げて、屋上の扉を見る。その扉は今も固く閉ざされていて、今の自分では出ることはできないだろう。
でも、それがありがたかった。そうでもしないと、この苦しすぎる空間から逃げてしまいそうだったから。一度逃げたら、もう完全にダメになるとわかっているから。
拓真の助言と加奈ちゃんの助言や行動は、「まだ間に合う」と言ってくれているんだと信じる。
だから、一歩を踏み出すのだ。
「……由梨菜」
「はい」
「その、こんな雰囲気にしちゃったことはとても反省している。でも、情けないことに俺は原因も解決方法も分からない。ぶっちゃけ今も行き当たりばったりの思いつくまま話してるから、よく分かんない事言うと思う」
「……はい」
一度箸をおいて、由梨菜の方に体ごと向ける。そして、久しぶりに真正面から目を見て、心からの言葉を伝える。
「いいちことも聞きたいこともお互いあるだろうし、それを何となくいうのも憚られるんだろうなっていうのもわかる。でも、それを大っぴら……というか、さらけ出すのが難しいって感情もわかるんだ。そんで、えっと……」
うまく言葉がつながらない。
いうと決めた言葉はもう、胸の上まで来ている。だから、この二週間突破できなかった¨あと一歩¨を、今踏み越える。
「あー、もうこれ以上言っても支離滅裂になりそうだから結論だけ言います! 十日後の土曜日、空いてますかっ!」
きっと、今の俺の顔は真っ赤になっているだろう。
なぜなら、そう。十日後の土曜日は。
「二十四日……あ、空いてます」
十二月二十四日。クリスマスイブだ。
由梨菜は何となく言いたいことを察したのだろう。そして、そのうえでどうしたらいいか混乱しているようだ。
でも、言質はとった。
「よければその日、俺とデートしてほしい」
「でっ……!?」
「そして、二人で一日楽しんで、そして……¨返事¨が聞きたい」
体が熱くなっていくのを感じる。由梨菜には、間違いなく俺の言いたいことが伝わっているはずだ。だって、由梨菜の顔も俺と負けず劣らず真っ赤になっているから。あの夏祭りの日にした告白の返事を、ついに聞ける日が来る。
だから、振り絞るように声を続ける。ずっと言いたかったことを、何としてでも伝える。
「俺の気持ちは、変わってないから。ずっとずっと、由梨菜のことが好きだから」
そんな俺の言葉への返事は、赤くなって俯くことだった。その反応にさすがに気まずくなって、向き合っていた姿勢から正面を向く方向に向きなおる。そしてその姿勢のまま、お互い動けない。
何秒間か分からないが、さっきまでとは違う、とても長く感じる無言の時間が流れる。そんな不自然な姿は、休み時間の終わりが近づいてようやく鍵を開けに来た加奈が二人を呆れた表情で見るまで続いた。
弁当も食べきらないまま、真っ赤になって固まる二人の姿はさぞおかしく見えただろう。
加奈に促されて、お互い自分の教室に帰るために準備を始めた。弁当は残りを食べて洗って帰すと約束をして、不自然なままそれぞれの教室に帰っていく。
自席に着いてからも不自然なのをからかわれる二人のスマホのカレンダーには、しっかりと予定が書き込まれていた。




