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キューブ  作者: 水野 閖
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003 危険なデート

 たしか苗字はモートだった気がする。


 エミリー・モート。

 灰色のロングコートと赤いロングスカート、それから茶色いブーツで、なんかださい。


「偶然」


 図らず、思いがけず、偶発的に。

 期せずして、出会ったと言いたいのだろう。エミリーはこれでもかなり意思疎通できるようになっている。最初サークルで隣の席になった時は完全受け身状態で最低限度の伝達だった。

 会話のキャッチボールではない。僕が投げるボールをキャッチしては籠か何かに入れる感じだった。


 その頃と比べたら反応があるだけ改善されている。


「その服かわいいね」

「はい」

 これまで発展しないであろう会話にも笑顔で耐え、無視もせずうまく乗り切って来たと思う。

 それから何度か偶然会っているんだが、だんだん自分からも話せるようになったらしい。


 ここ一週間は『偶然』毎日どこかで顔を合わせている。


「本当だね。最近よく会うよね。そういう運命なのかもね」


 僕は少し疑いの混じった眼をしている。

 エミリーは無表情で人形みたいだ。


 不意に左眼の紋章がばれてないか心配になる。

 黒い浮遊物体(かんぺん)と命約した証であるタトゥーが瞳に描かれているのだ。


 サングラスは装備しているか?

 うん、大丈夫だ。


 僕の眼も紋章もさらにサングラスも黒なの一見しただけで発覚するとも思いたくないが、正直まだ心配である。

 凝視されている状況は正直まずい。


「えっと、僕はこれから買い物なんだけど、エミリーは?」

 名前に一瞬反応した気がしたが勘違いだろう。


「行く」


 ん?


 エミリーは何するのか訊いたはずなのに、『行く』?

 大学とか映画館とか場所を答えられると思ったのだけど、まぁ仕方ない。


「買い物」


「一緒だね」

 なんだか雲行きが怪しい気がする。

 作り物のような頭が下がって上がった。頷いたのだとわかる。


「うん」

 いや、まさか、なんだけど、勘違いだろうけど、一緒に買い物に行くって事ではないよね。いやー、まさかね。この彼女いた歴史が存在しない僕と、なんてあるわけ……。


「まずはタウンホールまで歩いて薬局行こうかな」

 エミリーはこくりと頷いた。


 あれ?これって、本当に一緒に行くパターン?

 両手を挙げて万歳していいパターン?


「じゃ、じゃあ」

 軽く手を挙げた。

 相手の意識次第でさよならの挨拶とも『そろそろ行こう』と急かす掛け声ともとれる意思確認の一手である。


 そして、タウンホールに向って歩き始めた。

 タウンホールは徒歩二分のセントラル駅から一駅分離れた場所である。市民会館があるらしい。都心で一番発展しているので買い物にはもってこいの溜まり場だ。


 追ってくる足音はない。


 ほっと安堵する。買い物って男と女じゃ欲しいもの違うから一緒にいてもしょうがないよね。

 そして、念の為振り返ると……


 無表情のエミリーがいた。


 一m程しか離れてないのに足音が全くないって、忍者でもなれるんじゃ。むしろ、忍者(くのいち)なんじゃ……。

 咄嗟に表情を制御できず、顔が引きつった。

 僕の引きつった顔はにやけ顔と言われている。つまり、今にやけているように見えているはずだ。困った時の笑顔を実践できているわけだ。


 よかった、幼気な少女の心を傷つけなくて。


 いや、よくない!

 左眼の紋章を隠すためにカラーコンタクト買いに出かけているのに、知り合いと一緒では危険すぎる。

 珍しい眼だと怪しい機関にばれて、狙われたらどうするんだ!?

 他の紋章持ち(がいるかは知らないが)が暴れて、命約者狩りでも始まったら、指名手配されるかもしれない……。


 そんな心配をよそに蔭川達は大通り歩いて行く。

 セントラルからタウンホールまでの大通りは一番人通りが激しい。茶色い煉瓦がれきの重なり合っただけの建物が多く、日本では地震でばらばらに崩れて即死だろう。シドニーでは地震、台風、津波さえないので積み重ねただけの家でも倒壊しないのだ。


「ねぇ、君、力が欲しくない?」


 すれ違う人の声が突き刺さる。

 おおお驚かすなよ?

 今朝の坊主と同じ言葉だが、声の主はポニーテールのおばさんだ。


「君、うちの信者にならん?」

 宗教団体らしい。

 よく考えれば、今朝の坊主も詐欺師みたいではあったな。

 存在感が化け物だった上に、実際に力を与えてくれたので本物だったが。


 それに比べてこのおばさんは化粧っ気はないが普通の会社員(OL)みたいな胡散臭いだけの女である。平日の昼に活動しているって事は仕事をしていないのか?

 僕は無視して歩みを続ける。


 黒い石床、平日なのに疎らにいる人々。

 しかし、誰もこちらを見ているはずはないのだけど、ないはずの視線が気になる。

 交差点側で土下座しているがりがりで、ぐしゃっと頭にはりついているような髪のホームレスさえ少し怖い。


「薬局」


 エミリーが指を差す先には確かに薬局がある。予定していた大型チェーン店ではなく、ジョージ通り沿いの狭い店である。でも、小さい店であり人が少ないのは好都合かもしれない。


「ありがとう。見逃すところだったよ」

 振り返って、軽くお礼を言う。

 エミリーは薬局の入口を見たまま固まっている。


 安っぽい内装で品薄だったがカラーコンタクトはあった。日本製のものは一組七十ドル(七千円ほど)である。二組セットでも百四十ドルで割引が全くない。

 黒のコンタクトを黒目の僕が買うのはおかしいよな。


 今さらだけど、レンズの大きさも種類があるらしい。さらに洗浄液、中和液、保存液といったメンテナンス用の液まである。

 うわ、面倒だな。

 眼に遭わなくて失明なんて事になったら最悪だ。

 しかも、一セット七千円って何日使えるかわからないけど、経済的にもきつい。


 面倒くさがりで優柔不断、悪いところが出ているな……。

 エミリーは無言で棒立ちだ。さっきから感じる視線が痛い。


「カフェでも行く?」

「うん」


 し、しまったー!

 気まずさに耐えかねてお茶に誘っちゃったー!

 室内でサングラスはしない。席は向かい側だろう。見つめ合う二人、ばれる左眼……。

 きっとにやけているように見えるであろう僕は静かに窮地に陥っていた。


 ・・・


 迫りくる危機に何ができるでもなく、いやいろいろできたはずだが優柔不断能力を思う存分発動させていて、結局カフェ『ぴぴるみんと』に到着する。

 チェーン店でコーヒー豆にこだわりを持った経営戦略だが、内装が綺麗らしく過ごしやすいのも人気の理由だ。蔭川はカフェインを摂取するとイライラして夜眠れないので、抹茶ラテを頼むのが通例になっている為、過ごしやすさ以外はあまり重要視していない。


 蔭川の目の前には紙のカップが二つある。

 蔭川の抹茶ラテとモートの緑茶だ。

 そう、やってきてしまったのだ。


「エミリーって普段どんな買い物するの?」


 石像のように微動だにせず鎮座している目の前の女に尋ねた。

 僕を凝視していた彼女はしばらく固まったままだったが、ようやく口を開けた。


「実用品」

「そっか。確かに、役立つ物買う方が有意義だよね」

「うん、有意義」

 紙コップを口につけ抹茶ラテを味わう。


 あれ?

 身体がぶるっと震えて大いなる進歩に気が付く。


 エミリーの口数が増えた!?

 なんだろう。心の中でにやにやしてしまう。

 赤ちゃんが初めて立った瞬間、或は教え子が今までどうやってもできなかった問題を解けた瞬間を目撃してしまったような変な満足感が全身を満たしていく。


 もしかして、エミリーが二単語の文を作ったのって今回が初めてなんじゃないだろうか。

 心のにやにやゲージが溜まっていく。

 やばい、これはやばい。無言の女の前でにやける男……。いけない構図だ。


 でも……


「かわいいな」


 し、しまったーーー!

 つい、心の声がぽろりしてしまった!


 これはアウトだ。エミリーの顔が固まっている。いや、これはいつも通りか。

 まだ誤魔化せる。そのはずだ。

 百四十億の脳細胞よ、今こそその力を合わせるんだ!


 表面上は無表情を貫いている僕だが、それは奇しくも一瞬で崩れる事になる。


 ぽっ

 エミリーの頬がわずかに赤く染まった。

「あ、ありがと」


 て、照れただと!?

 今すぐ駆けだして、このもどかしい気持ちを叫びたい。


 左手で顔を覆い、露わになってしまったにやにやを隠す。室内に来たからどうしようか迷ったけどサングラス外さなくてよかった。


 もしかして、きゅんと来たのだろうか?この僕がきゅんと来た?


 いやいや、気のせいだ。落ち着こう。

 深く深く深呼吸する。


 エミリーの顔を見る。人形染みた表情のないその作り物のような顔と無口さのせいでサークル内でも不気味がられているが、極めて美人ではあるのだ。


 そこに感情という色が入ったらどうか。いや、あまり考えるのはよそう。

「えっと、この後は眼鏡屋を見に行こうと思います」

「はい」


 当初の予定を忘れてはいけない。

次回『力の片鱗』、22:00頃更新予定!

蔭川の得た力の片鱗がようやく垣間見える・・・。

そして、エミリーの活躍も!?

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