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キューブ  作者: 水野 閖
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026 戻ってきた平穏

 戦利品の分配の終わった日のその夜。

 戦いも終わったのに蔭川は自宅に戻らずモート家のベッドにいた。


 シドニー都心では人殺しなんて殆どないので街は捜査や憶測で騒がしい。しかも、前回の鳥による事件でこういう話に敏感だった事と犯人が不明なので尚更世間の注目があったのかもしれない。


 殺害があった時間に現場に居なかったとは言っても、捕まったササやサボサに名前がばれている。余計な視線を集めない為の予防線である。


 最もササは発狂していて事情聴取どころではなく、蔭川の逆鱗を恐れるサボサも蔭川については全く話さなかったので杞憂きゆうに終わるのだが、この時の蔭川には知るよしもない。

 二百万ヨムの対価としては安いのかもしてないが。


『クラッチ、元気?』

『んー、まぁまぁ』


『そっか。こっちは順調に手に入れたキューブの操作実験中だよ』

『ああ、あのキューブね』


『そう、頭もいいし、すごいよ』

『因みに、どうやって操るの?』


『ん? カードに話しかけるか、直接言うか、かな』

 やはりキューブとは完全に別人格らしい。

 サミー達とも同じだ。何の契約もしないとそうなるのだろうか?


『ふーん。そのカードの売値ってどの位か知ってる?』

『え? んー、二千万円くらい?』

 キューブのカードを収納する冊子は持っている鈴蘭だが、やはり文字は読めないらしい。

 売却画面に操作する事もできないのだろう。


『ああ、そうじゃなくて。まぁ、いいや』

『よくない。教えて』

 蔭川は鈴蘭を売却画面に誘導し、画像を送ってもらった。

 Bランクの傀儡使いは二十万ヨムだった。


『そっか。それって高いん?』

『んー、かなり高いね。売らない方がいいと思うよ。買えるキューブって八十ヨムが最高だから、多分しょうもない』

 実際、二百万ヨムを手に入れる前だったら腰を抜かしてしまう程の額だ。

 今は蔭川も百万ヨム程持っているので冷静なだけである。


 ・・・


 荒事が終れば、日常に戻る。

 蔭川の場合は大学であり、試験は間近に迫っていた。

 今学期の授業資料を印刷し、ノートにまとめ暗記していく。その後、過去問を参考にしながら関連する研究を調べるのだ。


 授業内容だけでは単位が取れるだけで、上位半分には入れない。そういう世界である。

 失った時間を埋めるように蔭川は勉強した。


 そして、気づいてしまう。圧倒的な解決策を。


「これ、影ヒコーキ君(チェーニ)を家に置いておけばカンニングし放題だ。」

 そう、授業で使った資料や関連研究を部屋に並べて固定しておけば、影ヒコーキ君(チェーニ)が参照できる。視界を共有しているので、誰かに不正を咎められることなく試験に使える裏技である。


 さらに、暗記だって影ヒコーキ君(チェーニ)に頼めば勝手にやってもらえる。意識も知覚も知識も共有していて殆ど同一の存在なのだが、手動操作だけではなく自動操作も可能なのだ。

 蔭川の試験勉強はモート家で借りている部屋に試験範囲の資料を貼る事と、関連資料を探す事だけだ。


 さすがに手も足もない影ヒコーキ君(チェーニ)に資料を探させるのは無理だが、労力は他の生徒の比ではない。キューブが疲労を感じない存在だった事に感謝する蔭川だった。しかも、キューブに睡眠は必要ない。機械のようにひたすら飽きもせず暗記するだけだ。

 後悔されている全ての過去問の回答まで参照できるのだから、似た問題が出たら部分点を全部もらえる。


 ・・・


 試験当日。

 岩を積み上げた古いとりでのような建物が初日の試験会場だった。


 部屋の前には受験者の席番号表に載るサミーの名前。

 三十分前から集まる同級生や同会場で試験を受ける他科目の生徒。

 カンニング防止の為に用意された普段は使わない広間に並ぶ机は数百あり、床の赤いカーペットと合わさって豪華な出で立ちを醸し出していた。


 サミーの席は誰も座る事なく蔭川の視界の隅に居座り続ける。

「サミー……」


 悲しみを感じながらも第二の頭である影ヒコーキ君(チェーニ)のおかげで、蔭川は難なく試験を終えた。

 さすがに、事前準備で抜けていた関連研究部分では点を稼げなかったが、上位二割は確定だろう。

 残り三教科分の試験も同様に例年より何倍も楽に解き終わる。


 試験の度に教科が殆どかぶっているサミーの席が視界に入るのが胸をチクチクと刺してきて、蔭川は時間と意識を擦り潰すように解答の見直しや無くてもいい参考図追加に時間を使った。

 試験前後に囁くサミーの不在を心配する同級生の声が蔭川の心を重く重く沈めて行った。

 ある人は試験前に見せびらかしていた犬が原因かと騒いでいた。


「これは背負うべき代償だろう」

 これからも授業に出る度、大学に来る度、そして大学を思い出す度に脳裏をよぎるのだろう。


 難なく終えた試験に喜びもせず、逃げるようにモート家へと帰った。

 サボサが同居していたマンションには帰れなかった。世間がまだ騒がしいからと説得してくれたジョナサンに甘えているのだ。


 霜(11)月が終ろうとしていた。日本は冬だが南半球にあるオーストラリアは夏だ。

 サマークリスマスを前にスーパーも少しずつ関連グッズの売り場が広がっている。


「せっかくじゃから、夏休みはここで過ごしたらどうかの?」


 ジョナサンの言葉に振った蔭川の頭は下向きだった。


 暑さは増し、風は強く吹いている。

 日差しの強い平日の昼、ひっそりと忍び込むようにマンションに帰った蔭川は荷物を箱に詰め引越しした。誰とも会わない為だ。


 こっそりと確認すると、やはりサボサは居なかった。部屋も殺風景で、しかし何故か綺麗になっていた。

 家を出るのも二週間前に言うのが通例なのに、即座に敷金も返ってきた。オーナーも疲れ痩せこけてしまっていたが、それは今大注目を集めるシュゴフ教のサボサの住居に取材が連日押し寄せた為だろう。


 実はオーナーは住居者に対する嫌がらせとも言える悪事も働いていたので、警察や取材班の大群への対応や隠蔽工作で消耗しきっていたのだ。半分は自業自得という事である。


 ・・・


 すっかり引越しを済ませると、日本領事館、銀行、大学等に住所変更を届けた。

 エミリー家は第二の実家になりかけていた。


 とろける毒入りミルクティーを舌で味わい、ジョナサンの暗殺術を身をもって味わう日々は何の不満もなかった。いや、強いて言えば、暗殺実験で無残に切られた髪への不満くらいのものだ。


 攻撃を受けて影化するのは生きた細胞が中心だった。頭ごと攻撃を受ければ、身体の近くにある髪も影化するらしいが、髪だけを切られた場合は影化しないのだ。爪も問題なく切れる。


 そういうわけで、蔭川の髪型は長さがばらばらで少々おかしな事になっていた。

 だからと言って気にしている蔭川では・・・あるのだが、諦めていた。


 こうやって毎日人体急所へ手刀やナイフ、スプーン等を撃ち込まれ、時折フェイントか実験のように他の場所を様々な方法で攻撃される事によって蔭川の対暗殺術が上がるかと言うと全く変化がなかった。

 攻撃された時に気が付かないのだから仕方ない。後日鏡や服を見て稀に気付くくらいのものだ。こうやって後でわかるほどの惨事になっているのはジョナサンの暗殺術の拙さのせいではなく、遊びと実験の結果である。


 因みに、七色の雛(ラードゥカ)はジョナサンのアロハシャツについている胸ポケットの中にいる。雛の眼の高さに合わせた部分だけ透明塩化ビニールになっている。


 最初は驚いたが、すぐに慣れて日常となってしまった。

 平穏も新しい生活の新鮮味も色褪いろあせて退屈になるまで二週間程だった。


 だから、日々の日課であるエミリーの病室対談も同じで今日もいつも通りだろうと思っていた、その平穏が破られるまでは。


 その日のエミリーは雑誌を読んでいた。何食わぬ顔で視線を向けられた雑誌は肌色比率が高かった。裸体の人間が映っている。フフフ本である。


 病棟の売店で買ったものではないだろう。エミリーも病棟からは抜け出さないはずだと考えると、誰が買ってきたのだろうか。


「お前さん、キューブ集めておるんじゃろ」

「……そうだよ。」

 ジョナサンは何事もなかったかのように話題を出してくる。もしかして、あの本はエミリーの趣味として認知されているのだろうか。


 蔭川はやや怪訝けげんな視線を向けた。

 その視線の理由はエミリーの脇に移動された雑誌とは関係がない。いや、多少はあるが、キューブと聞いて頭を切り替えたのだ。

 この時エミリーの左手はくの字に曲げられ右肩を掴むように固定されていたため大きな胸も隠れていた。もしそうでなければ病人の着る浴衣みたいな病衣の胸元に視線が泳いでいたかもしれない。


 幸運にも冷静でいられた蔭川の顔には『もう殺しは当分拒否する』と書かれている。


「そう身構えんでもいいんじゃよ。ただの情報提供じゃ」

 あの圧倒的なキューブの力を体感したモート家は密かに情報収集を進めていた。その一端を手に入れる為に蔭川を招いたと言っても過言ではない。情報提供で徐々に手助けをして、キューブを手に入れる機会を増やす魂胆こんたんなのだ。


 友好的な共同戦線を維持したいジョナサンは老獪ろうかいなのか積極的な交渉はしないらしい。

「それなら、ありがたい」


「今の所は眉唾物の話じゃが、パース、ダーウィン、ケアンズ、そしてメルボルンでキューブ情報があるの」

 オーストラリア西部の都パース、北西部の森林に包まれた小さな街ダーウィン、サンゴ礁の広がる海に面した東部のケアンズ、南西に位置する文化の街メルボルン。どれも空港のある都市だ。


「今の所、信憑性があるのはパースの労働者、ダーウィンのワニ、メルボルンのカブト虫じゃな」

 パースの肉体労働者は最近急速に知力勝負の番組でテレビにも出演するようになったレムノールと名乗る男。怪しいのは半年前まで学力で目立った事がないのと、半年程前から変化が現れた事らしい。時折キノコを持ち歩いていて、それがキューブなのではと疑っているらしい。


 ダーウィンの鰐は卵採集に来ていた人の前で変身して撲殺、さらに待機中だったヘリコプターに姿を変えて突進されたそうだ。目撃者は墜落したヘリコプターから逃げ、街に戻った青年。

 加えて、ゴキブリが大量発生したとの報告もあったらしい。


 ケアンズではサンゴ礁の一部に奇妙な構造物ができたそうだ。人工物ではなく自然にある物が合わさって建てられ、日々その地域が広がっている。


 最後のメルボルンのカブト虫は最近大富豪が数千ドル、つまり数十億円払って買われた物だが、今でも血みどろの戦いがあるらしい。今も警備員を大量につけて盗人を撃退しているそうだ。常軌をいっしているのでカブト虫が怪しいと思われていたが、調査していたモート家の暗殺者も突然失踪してから調査は中断されている。


「ありがとう。興味はあるよ」

「それは嬉しいの。もう少し分かったら知らせるから期待しておるのじゃ」


 顔を綻ばせるジョナサンの言葉に蔭川の胸は高鳴っていた。

 できれば仲間が欲しい。

 交渉に失敗してシュゴフ教斬殺を繰り返すのは嫌だが相手が人でなければ気持ちもそこまで落ちないだろう。


「仲間が増えるといいね」

 エミリーは微笑んでいる。最近気づいたが座る位置が毎日少しずつ近づいている。


「ジョージみたいに仲良くなれたらいいよね」

 病室、というか家の外では話さないように約束しているらしい。森は例外だと思われるが、今は静かに眼だけ出しているので意思疎通は難しい。


 蔭川の平穏な日々はキューブの話でびりっと刺激を与えたものの、今すぐ動き出すわけではないのでしばらくは穏やかに過ごせそうだった。


「お前さん、儂から暗殺術を学んでみんかの?」


 いや、今日からまた刺激的な生活に変わっていくのかもしれない。

 それでも、血生臭い戦いは終わった。


 終わったんだ。


蔭川の持ち物

2002506ヨム(内1001251ヨムはエミリーの分け前)

闇S 影ヒコーキ君(チェーニ)(支配者)

F  灰色の守衛・蜘蛛(道具)x2

F  ただの薬草(魔法)

F  ただの猫(道具)

F  灰色の守衛・海老(道具)


ジョージの持ち物

0ヨム

炎A 七色の雛(支配者)

F  ただの鳥(道具)x5


鈴蘭の持ち物

1ヨム

B  傀儡使い(支配者)

F  灰色の守衛・蟷螂(道具)




文庫本1冊分完結しました!

読んでくれた方々、ありがとうございます!!


このまま続きを書くか、シリーズ化するかは決まっていません。

一応の話の行方はかなり考えてあるので人気かやりたい気持ちがあれば書きます。

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