「エリート増殖計画」
【未知の送信元:本体意識の位置をマップに同期しました。接触を避けてください】
考える暇もなかった。
視界左上。
隠されていた小型マップが突然展開する。
そこに――
赤い点が一つ。
明滅している。
また……何だ?
全員が反応するより早く、桀驁男が真っ先に駆け出した。
「……あいつ、何しに行ったんだ?」
誰かが呟いた。
だが、その疑問に答えが返ってくるより先に、スーツ姿の男が崩れ落ちた。
「ふざけるな!」
彼は空を仰ぎ、咆哮する。
両目は真っ赤に充血していた。
「最初はバックアップだ!」
「それで今度は、本体がまだ生きてるだと!?」
「俺たちに殺し合いをさせたいだけじゃないのか!」
声が、徐々に冷たくなっていく。
「……いいだろ」
「どうせ、生き残れるのは一人だけだ」
スーツ男は瓦礫の中から鉄筋を一本引き抜いた。
そして、無言のまま人混みから離れていく。
まだ冷静さを保っている数人が、互いに顔を見合わせる。
「これで分かっただろ」
「最初に飛び出していった奴が、何をしに行ったのか」
趙守心が大声を張り上げた。
「全員、落ち着け!」
「俺たちは、公式の指示を待つべきだ!」
だが、人々の議論は止まらない。
「本体を殺す?」
「そうだよ」
「本体を殺せば、俺たちが生き残れるんだろ?」
誰かが声を潜めた。
「でも……人を殺したら犯罪だろ」
短い沈黙。
そして、誰かが冷笑した。
「誰を殺すんだ?」
「……?」
「……?」
男は平然と続けた。
「俺は社会のために、余計な『俺』を一人処理するだけだ」
「殺したのは――俺自身だ」
「何が問題なんだ?」
「いい加減にしろ!」
趙守心が激しく怒鳴った。
だが、その直後。
豹柄の女が鼻で笑った。
「一人の馬鹿が、馬鹿どもをまとめてる」
「そこで仲良く待ってなよ」
「金属棺に放り込まれるまでね」
そう言い捨てると、彼女は桀驁男の後を追い始めた。
笑い声が、甲高く響く。
「ダーリン! 私も手伝う!」
「私のダーリンを殺すんだからね!」
「はははははっ!」
次々と押し寄せる情報。
それに耐えきれず、考えることを放棄する者も増えていった。
「趙さん……悪い」
「俺には、もう受け入れられない」
「もう一人の『俺』が、俺の妻や娘を奪うなんて」
「たとえ……それも俺自身だったとしても」
また一人。
そして、また一人。
何人かがその場を離れていった。
極天は、まだ動かなかった。
ホールから。
契約。
そして、ここへ。
記憶は、繋がっている。
白い光。
扉をくぐったとき、数秒間だけ視界を塞いだ。
問題は――
おそらく、そこだ。
だが、それだけでは場面が切り替わった理由を完全には説明できない。
極天は訊鏈を開き、意識調整局の公式文書を何度も確認した。
明らかな矛盾はない。
おそらく――
本物だ。
もし、もう一人の「俺」が本体として湮甦の入社試験を受けているのだとしたら。
なら――
俺は何だ?
敵か?
生贄か?
……いや。
今は、そんなことを考えている場合じゃない。
問題は――
これから、どう動くか。
極天の視線が、未知の送信元から届いた情報へ向けられる。
表示されたタイミングが、あまりにも出来すぎている。
まるで――
考える時間を与えず。
生死を餌にして、人間を動かそうとしている。
……
そうだ。
頭の中に真っ先に浮かんだ言葉。
「選択」。
湮甦の目的は――
俺たちに選択させること。
何を選ばせる?
本体と自分。
どちらを生かし、どちらを殺すか?
……違う。
そんな選択は、湮甦にとって何の意味もない。
なら。
この試験の答えは何だ?
混乱。
分裂。
殺し合い。
すべての情報が、そちらへ人々を誘導している。
なら――
俺は、どうすればいい?
極天は俯いた。
足元には、ひび割れたコンクリート。
微風が吹き抜け、細かな煙埃を舞い上げる。
道は――
足元にある。
極天は顔を上げた。
まっすぐ前を見る。
そして、一歩を踏み出した。
都市の奥へ向かって歩き始める。
歩き続けるうちに。
赤い点から離れていくにつれ――
極天は、奇妙なことに気づいた。
どれだけ道を変えても。
街区を抜けても。
路地へ入っても。
瓦礫を越えても。
最後には必ず――
広い大通りへ戻ってくる。
まるでこの都市そのものが、
「迷う」という行為を許していないかのように。
俺が本体を探さないと決めた、その時点で――
すでに道は用意されていたのか?
誘導している。
音もなく。
人間を、どこかへ送り込んでいる。
長い距離を歩いた。
そして、極天は足を止めた。
振り返る。
今いる場所。
そして――
最初にここへ入ってきた「扉」。
その二つが、ほぼ一直線上に並んでいる。
極天は、ふっと自嘲気味に笑った。
「……もしかすると」
「ある程度まで馬鹿になったほうが、この試験は簡単に突破できるのかもしれないな」
そして、再び歩き出す。
しばらくすると――
霧が現れた。
道路の両側には広がらず。
まるで道の先だけを塞ぐように、前方へ集まっている。
極天は、立ち止まらなかった。
そのとき。
低く。
そして、どこか空虚で美しい旋律が、ゆっくりと響き始めた。
「……神様に恋をしてた頃は――」
緋紅鈴の声だった。
歌声が、廃墟の街に響き渡る。
――『ダイアモンド クレバス』。
「It's long long good-bye……」
歌声が遠くへ消えていく。
両側の建物が、音もなく崩れ始めた。
崩れ落ちた壁。
砕けたコンクリート。
それらが空中で次々と文字化けしたようなノイズへ変わり、明滅する。
極天が歩みを進めるたびに――
道路の両側へ、まるで長大な巻物を広げるように、次々と映像が展開されていった。
そこに映っていたのは――
血溜まりの中に倒れている、桀驁男。
生死は分からない。
その傍らには、豹柄の女。
その表情は、狂気に染まっている。
場面が切り替わる。
趙守心たちが、制服姿の人間たちに拘束されていた。
そして――
「意識停止」を受けている。
周囲の光景が突然砕け散った。
そして、再構成される。
極天は足を止めた。
目の前に、一人の少年が立っていた。
少年は穏やかな表情で、ただ前を見つめている。
「おめでとうございます、衛君!」
一人の記者が、少年の隣へ投影される。
マイクが、少年の口元へ差し出された。
少年は何も言わない。
ただ、わずかに顔を上げる。
まるで――
極天を見ているかのように。
記者は少年の冷淡な態度を気にも留めず、極天の背後へ視線を向けた。
興奮した声を上げる。
「衛君が意識複製技術に果たした、偉大な功績に感謝します!」
その言葉が響いた瞬間。
極天の背後から、大きな歓声が沸き起こった。
人々が次々と投影される。
彼らは極天の身体をすり抜けるようにして前へ進み、少年を取り囲む。
祝福。
歓喜。
「これで、もっと多くの天才を複製できる!」
「人類文明は、もっと速く発展できるぞ!」
「世界は、もっと素晴らしい場所になる!」
周囲の景色が変わる。
都市が拡張されていく。
巨大な星艦が宇宙へ飛び立つ。
そして――
宇宙植民。
人類文明は、かつてない速度で前進していった。
人々が望んだ通り。
すべてが、急速に発展していく。
だが。
映像が歪む。
そして、再び正常に戻ったとき。
極天は、別の街路に立っていた。
周囲には――
怒り狂う群衆。
人々は手にした少年の肖像を引き裂き、踏みつけ、火を放っている。
怒号が耳元で炸裂する。
「衛同言! この悪魔め!」
「お前が何をしたのか分かっているのか!」
「この世界に何をもたらしたと思ってる!」
群衆は衛同言の「罪」を糾弾していた。
怒りが、都市全体を覆い尽くしている。
極天は地面に落ちていた、比較的綺麗な肖像画を拾い上げた。
そこに描かれている少年は、静かな目をしている。
表情はない。
おそらく――
この時代の出来事なのだろう。
自信。
突出した能力。
そして、強烈な自己認識。
それは、多くの天才に共通する特徴だ。
天才と天才なら――
互いに協力できるのかもしれない。
だが。
百人の天才が。
百人とも、何の制約もない「俺」だったなら。
その野心を――
誰が止められる?
そして――
百人の「チンギス・ハン」が、
生まれた。
……
極天の手の中にあった肖像画が、煙のように崩れ去った。
周囲の景色が、再び変わる。
地域の混乱。
戦争の勃発。
政権の分裂。
流血。
死。
燃え上がる都市。
それは――
百年にも及ぶ混乱だった。
そして。
文明は――
衰退した。
再び、廃墟。
極天は、道路の果てに立っていた。
目の前の霧が、まるで幕のように左右へ開いていく。
その向こうから――
一つの石碑が姿を現した。
廃墟の中に、ただ一つ。
高く。
冷たく。
そびえ立っている。
極天は、一目でそれが何なのか分かった。
彼はゆっくりとしゃがみ込む。
指先で、地面に積もった埃をなぞった。
一画。
また一画。
不器用な手つきで、何かを描いていく。
やがて――
少し不格好な花束が、地面に描かれた。
極天は立ち上がった。
そして、顔を上げる。
石碑の表面には、長い年月によって刻まれた傷が無数に走っている。
それでも。
そこに刻まれた文字だけは、はっきりと読み取れた。
――この碑をもって、「エリート増殖計画」により失われた人々を記憶する。




