T3級・液体再構成型智械
「でも、あいつは無傷だ」
「それは、俺のせいじゃないだろ」
「繆隊長、責任転嫁はやめてください!」
「じゃあ、俺にどうしろっていうんだ?」
「あいつはT1を二機相手に、二ラウンドもやり合ったんですよ」
「俺、生体義体だぞ? どうやって勝てっていうんだ」
「全部、繆隊長が油断したせいです!」
「最初から機械義体に換装しておくべきだったんですよ!」
「はは。無理無理、勝てるわけないって」
向こうからは、怒りに震える荒い息だけが返ってきた。
繆隊長は一度、頭の中を整理する。
「『戴罪者』として考えれば、強度は基準を満たしているな」
パン、と手を叩く。
「なら、話は早い」
そう言うと、身を翻して仰向けになり、空を見上げた。
「『至勇絶』、T3液体型を降ろせ」
――――
宇宙。
意識連携調整局所属、部門級智脳――至勇絶が、命令への応答を開始する。
【申請を受理しました】
【身元認証中……】
【権限認証中……】
【使用許可を取得:T3級・液体再構成型・軍用智械】
【投送準備開始……】
軌道宇宙ステーション内部。
球形だったT3が、起動する。
二立方メートルの体積を持つT3は、軌道上の輸送コンテナを使わなかった。
自ら噛み合わせ機構を構築し、軌道設備へと接続する。
輸送開始。
T3の後方ではハッチが一枚、また一枚と閉じていく。
その一方で、前方のハッチが次々と素早く開いていく。
T3が加速する。
さらに加速。
軌道の輪郭が次第に見えなくなり、一本の線へと変わっていく。
周囲の船体もぼやけ、すべてが一つに繋がったように見える。
T3、射出。
その瞬間――
すべてが、再びゆっくりになったかのように見えた。
目の前の惑星が、どんどん大きくなっていく。
近づく。
さらに近づく。
機体温度が急上昇する。
機体の周囲に炎が燃え上がる。
T3は猛烈な速度で落下し、一筋の光となった。
だが、この形態を維持した時間は長くなかった。
地上の人間に気づかれる、その前に――
崩壊。
分散。
T3は水滴のような形状へと変化し、ひっそりと地上から五千五百メートルの高度へ到達する。
風を受ける面の形状を変え、速度を制御する。
タイミングを見計らいながら、さらに降下していく。
同時刻。
極天のいる都市の上空では、局地気象改変システムが至勇絶によって接収され、降雨の準備が進められていた。
雲が集まり、冷たい風が吹き抜ける。
――――
空中にいた繆隊長は減速し、広場から離れた商店街へと降り立った。
「俺は向こうには行かないぞ。さっき瞬殺されたばっかりだからな」
「星星楽のミルクティーでも買ってくる」
「ちょっと気持ちを落ち着けないとな」
通信越しに、苛立った女の声が響く。
「隊長!!」
ドン!
机を叩く音。
「サボるにしても、もう少しマシな言い訳を考えてください!」
繆隊長は慌てて通信を切り、ぶつぶつと呟いた。
「現場評価はもう終わってるんだ」
「後は智脳が片付けてくれるだろ」
「それにしても、程のやつは何をあんなに騒いでるんだ?」
繆隊長はミルクティーショップの前へ向かった。
ほどなくして、店員が愛想よくミルクティーを差し出す。
「お客様、星星楽でございます」
繆隊長は頷き、受け取った。
ずっと細められていた彼の目が、この瞬間だけわずかに開く。
視線がミルクティーの蓋に印刷された3Dコードへ向いた瞬間、情報端末が情報を読み取り、アニメーションを再生し始めた。
カップの口が立体的な夜空に覆われる。
そして、ゆっくりと流星雨が降り始めた。
封を剥がす。
銀河がカップの中へと流れ込み、その上を一葉の小舟がゆったりと進んでいく。
波紋が静かに広がる。
ドン。
繆隊長の左側の尻に、何かが勢いよくぶつかった。
余目で見ると、先ほどぶつかってきた男の子が、今にも転びそうになっている。
直前の衝撃でカップが揺れ、中のミルクティーが一部、空中へと飛び出した。
その液体は瞬く間に波しぶきへと変わり、夜空がその軌跡に沿って広がっていく。
カップの中にいた小舟は、一面に繋がった夜空の上を波しぶきを踏みながら、前方の二人へと向かっていく。
一瞬――
繆隊長の手が遊龍のように走り、足がそよ風のように動く。
手にしたカップがその口となり、飛び散った波しぶきと小舟をすべて飲み込む。
足元の埃が風の影を描き、茫然とした少年の身体を支える。
――画面が、停止する。
繆隊長は前へ伸ばした腕でミルクティーを持ち、後ろへ伸ばした足で少年を支えていた。
そして、危うくミルクティーを浴びるところだった男が、その場に立ち止まり、振り返る。
「どうした? 極天」
少しの間。
「……何でもない」
「さっきの人……何をしてるんだ?」
ぽつ。
ぽつ。
水滴が目の前から落ち、地面に弾ける。
一滴。
二滴。
街に、雨が降り始めた。
「うわっ! なんで雨が降ってきたんだ?」
季平は極天を引っ張り、足早に雨宿りできる場所を探す。
雨粒が広告ディスプレイへ落ち、細かな光の粒となって砕け散る。
通行人たちが空を見上げる。
空は灰白色。
雷鳴はない。
風も止まっている。
それでも、雨は次第に強くなっていく。
ぽつ、ぽつ。
やがて、商店街のミルクティーショップに設置された透明な雨よけシェードが、無数の細かな雨音で埋め尽くされる。
水の筋が縁を伝って流れ、いくつもの透明な珠のカーテンを作っていく。
歩く速度を上げる者。
上着を引き寄せる者。
街に灯る色とりどりの光が、濡れた路面の上で長い反射となって伸びていく。
赤。
青。
白。
――――
広場。
雨粒が半球状の光幕へ降り注ぐ。
その一部が、音もなく内部へと溶け込んでいく。
内部のドーム天井。
侵入した雨粒が集まり、凝縮する。
やがて――
巨大な銀白色の液体の塊が、蠢きながら形を成した。
その体積が増えなくなり、動きが止まった瞬間。
突然、見えない巨大な力に押し潰されたかのように平たく広がる。
ドームの天井一面へ均等に張り付き、その表面に幾重もの波紋が広がった。
その真下。
胴体と繋がっていない四肢が、T1の残骸の上に立っていた。
ただ静かに、そこにいる。
まるで何かを待っているかのように。
次の瞬間。
その両手が一瞬で持ち上がり、胸元を覆う。
そして――
あの液体の塊が、瞬間移動したかのように目の前へ現れた。
反応する暇すらない。
巨大な口が開き、鋸のような牙が姿を現す。
閉じる!
噛み砕く!
ドン――
すべてが終わった後になってようやく、重く鈍い衝撃音がドーム全体に炸裂した。
球体そのものが震える。
轟音が広場の外へと漏れ出し、都市の街路へと響き渡っていく。
――――
商店街。
雨上がりの空気には、わずかな冷たさが残っていた。
「極天、なんで急に雨が降ったんだ?」
季平は情報端末に表示された天気予報を確認する。
しばらくして。
「……今日、雨が降るなんて予定、どこにも出てないぞ」
極天は答えなかった。
ただ、少し離れた場所にいる、先ほど一緒に雨宿りをしていた細目の男を見つめている。
私服。
高性能機械義体。
湮甦?
意識連携調整局?
それとも……別の何か?
相手も極天の視線に気づいたらしい。
男は極天へ手を振り、まるで挨拶するような仕草を見せた。
……まあいい。
下手に考えすぎると、余計なことまで考えてしまう。
極天は頷き、相手へ返した。
「同僚か?」
季平も極天の視線を追う。
極天は首を横に振った。
「違う」
「知らない人だ」
「そうか。てっきり同僚かと思ったから、ちょっと知り合いになろうかと思ったんだけどな」
その時。
ドン――
広場の方向から、重く鈍い音が響いた。
季平が一瞬、動きを止める。
そして極天を見る。
「……何の音だ?」
「分からない。広場のほうから聞こえたみたいだ」
遠くの広場は、相変わらず半球状の光幕に覆われている。
内部の様子は見えない。
だが、その衝撃音は――
地面の底から響いてきた。
重い。
低い。
鈍い。
細目の男が手にしていた、飲みかけのミルクティーが空中で止まる。
彼はゆっくりと顔を上げ、広場の方向を見る。
細められた目。
その瞬間だけ、都市の喧騒が一拍遅れたように感じられた。
通行人が足を止める。
店員が手を止める。
食事をしていた者たちは、開いた口を閉じることすら忘れている。
誰もが無意識のうちに――
音の発生源へと視線を向けた。




