第80話:開演前の鉄と、火を待つ命
土曜の朝。
バイソン討伐から、一夜が明けた。
一睡もしていないはずなのに、空が白んでいくと同時に、頭がクリアになっていく気がする。
徹夜明け特有の、あの感覚だ。
体は――重い。けれど、頭の奥の“やりたい”だけが異様に冴えていた。
なんてたって、今日と明日はまだ土日。
待望の休日。連休だ。
学園が休みのときは、エレナさんの気遣いで、バイトも同時に休日にしてもらっている。
僕としては、むしろ牛さんたちと戯れることができる機会なので、正直、毎日バイトでもいいんだけど、学生の身分でそんなことはさせられないと気を遣ってくれている。
……今日だけは、正直そっちのほうがありがたかった。
ロイさんに、あれだけ行くなと言われた竜息山に行ってしまったから、正直に言えばバツが悪い。
バツが悪い、なんてもんじゃない。
声に出さなくても、自分の行動が“褒められたものじゃない”ってことくらいは分かっている。
僕は約束を破ったんだ。事実、そうだ。
――ケジメはつけないと、な。
ロイさんに会う前に、少しだけ頭の整理と心の準備が必要だ。
心はじわじわと痛む気もするが、それは自業自得だ。いつまでも誤魔化してもいられない。今は、そう思えてきている。
僕は「見ないフリ」が得意だけど、ここ最近は、それが下手になってきている気もする。
いいことなのか、わるいことなのか、僕にはよくわからない。
ただ、結果的に行ってよかったとは思うし、後悔はしていない。
――ほんとうに短い時間に、いろいろなことがあった。
冷夏さんのこと。
メロウって子どものこと。
ジェーンさんのこと。
バイソンたちのこと。
濃くて、深くて、長い夜だった。
何より、竜息茸と、黒い統率者の素材、バイソンのミルク。
数々の戦利品が手に入ったことは、素直にうれしい。
さっそくそれを活かすために、僕は休日返上で、学園の端にある「第3実習棟」の工作室を借りていた。
「休日はゆっくり休めよ」と橙馬に言われたことを思いだすけど、やるべきことがあるから仕方ない。
この作業は、僕にとっての癒しだから、ある意味、休んでいるようなものだし。
工作室を借りる名目は――
『破損した調理器具の修繕』。
真っ当だと思う。
調理器具は命だ。壊れたら直す。
……ただし、作業台の上に鎮座しているのは、ひしゃげた鍋なんかじゃない。
黒光りする、巨大な装甲板。
B級素材――
『漆黒鉄の皮膚』だ。
昨夜、裏山の主である『黒い統率者』から剥ぎ取った、最高級の戦利品。
それが今、学園の工作室で、堂々と存在感を放っている。
これをここに持ち込んだのには、訳がある。
来週から始まる「調理実習」。
そこで使うための、最強のステーキ皿を用意するためだ。
……だが、どうやら一筋縄ではいかなさそうだった。
「……やっぱり硬いなあ」
試しに、学園備え付けのハンマーで適当に叩いてみる。
返ってきたのは、『キンッ!』という軽い音だけ。
軽いのに、妙に澄んでいて、耳に残る。
傷一つ、つかない。
手で、黒光りする素材をあらためて撫でるように触る。
冷たさはあるのに、温度を持たないような不気味さがある。
多少でこぼこした凹凸があっても、皮膚というより、鋼鉄に近い質感をしている。表面はなめらかだ。
ガンテツが言うには、どんな素材であれ、『呼吸』が存在するらしい。
言っていることは、なんとなくわかる気がする。
僕も料理をするときは、素材の呼吸をさぐるところから始める。
性質を確かめて、尊重するところからスタートする。
だから、この呼吸を探るということも、そこまで不得手には思えなかった。
手で黒い皮膚の構造をまさぐる。
結合してカチカチになっていたとしても、どこかにひずみがあるはず。
目ではなく、指先の違和感だけを頼りに、面をなぞっていく。
そうやって数分間、弱点を探し求めていると――
(おっ! ここ、なんだか不安定に感じるぞっ!)
脆そうな部分を発見。
ほんの僅かな“引っかかり”を見つけた瞬間、胸の奥が跳ねた。
嬉々とした逸る気持ちを抑えながら、右手を振り上げる。
そして――
「そこだァッ!」
力を込め、全力で振り下ろした。
加速していく金槌は、見据えた部位に一直線に衝突する。
(いただいたっ!)
と、思った瞬間だった。
衝撃は素材に伝わり、そして――
ガキィイイインッ!
跳ね返った。
「っ! いづぁあああっ!?」
言葉にならない声が出る。
衝撃が腕を逆流する。手首から肘、肩まで、一本の芯に貫かれたみたいに痛い。
「おー、いだっ! アウチチチチッ! 痺れが……うぅっ……」
痺れのような痛みが、じんわりと右手に集中した。
不意の痛みに、涙が出た。
……さすがはBランク。
生半可な熱や衝撃では、変形すら許さないらしい。
『当たり前じゃ、あほう。素人が闇雲に叩いて、どうにかなる素材じゃないわい』
いつものガンテツの優しくも厳しい声が、脳内で低く響いた。
「うーん、闇雲に叩いてるつもりなんかないんだけどなぁ。ガンテツが前に教えてくれたとおり、鉄の呼吸を探りながら打ってる。一応、柔らかそうな部分を選んでるつもりなんだけど……」
『狙いはいい。打ち方の筋も悪くない。だが、それだけじゃ届かん。相手が悪すぎる』
脳内で、ガンテツが呆れたように言う。
その声音は厳しいくせに、どこか楽しそうでもあった。
――面倒な素材ほど、職人は燃える。
“無理だ”と言いながら、すでに攻略の地図を描き始めている声だ。
『お前は料理と酪農に関しては、甘く見積もってもSクラスすら余裕で凌駕しとる。だが、鍛冶の才能は……まあ、Aってところじゃな』
「え~。Aなら十分でしょ。上位だし。でもさ、ガンテツはSをぶち抜いてるよね?」
『当然じゃ』
間を置かず、即答。
そこに一切の照れも迷いもないのが、逆に清々しい。
『SだのSSだのという物差しで測るなら、ワイらはSSSじゃが――』
一拍。
言葉の切れ目に、当たり前の前提が挟まる。
『腐っても英雄なんじゃから、その程度は前提条件じゃ』
「……ああ、そっか。そもそも一般的な枠組みで推し量れるものじゃないんだ」
『ようやく分かったか。英雄っちゅうのはな、評価される側じゃなく、評価軸そのものじゃ』
「……脳内にそんなのが何人もいる時点で、普通なわけないよね」
『その通りじゃ。小僧の脳内が平和なわけがなかろう。安寧は訪れないと思っとった方がええな』
「それは否定しづらいけど……」
『とにかく。こいつは入手ランクこそBじゃが、加工難度はSS。手に入れるより、手を加えるほうが鬼難度ってわけじゃな』
「うわ……。じゃあ僕には、さすがに無理じゃない?」
『だから言っとるじゃろ。一朝一夕で簡単にいかんこともある。鍛冶は丁寧な対話じゃからな』
ガンテツの声が、少しだけ真面目になる。
さっきまでの茶化しが消え、職人が“仕事の顔”に切り替わる。
『素材の呼吸を聞き、熱の通り道を見極め、そこに魂を打ち込む。だがこれは、数と気合だけでは越えられん』
「精神論はいいから、具体的に教えてよ」
『簡単じゃ。ワシに体を貸せ』
「……やっぱりそうなるのね」
『近いうちにモノづくりをさせてくれる約束じゃったろう』
「そりゃあそうだけど……」
『安心せい。英雄再演はやらん。英傑貸出じゃ。右手だけで十分じゃし、バレやせん。今の小僧の身体でも、そこまで負担にはならん』
(……全部、渡す必要はない)
英雄再演は完全憑依。
十分間、身体の主導権をすべて英雄に明け渡す。
強力だが、僕の意識が飛ぶリスクや、周囲に違和感を与える危険がある。
だが、英傑貸出は違う。
一日最大約六十分間、力の一部だけを借りる。
基本的な主導権は、あくまで僕のまま。
でも、一部の主導権を英雄に渡す。
必要な部位、感覚だけを“共有”する感じ。
今回は――右手だけ。
バレることはない。そう自分に言い聞かせる。
「よし、わかった。じゃあいくよ――《英傑貸出》!」
僕が意識の奥で許諾した瞬間。
右腕に、熱い血が奔流となって駆け巡った。
――ドクンッ。
腕の重さが変わる。
握った柄が“道具”に変わる。
視界が変わる。
ただの黒い鉄の塊が、熱の脈動を持つ「生き物」に見え始めた。
どこが急所か。
どこを撫でれば従うか。
手に取るようにわかる。
さっき僕も似たようなことをしていたのに、まるで感触が違う。
これが、ガンテツの見えている世界なのか。
“分かる”じゃなく、“読める”。
そんな感覚だった。
『ほれほれ、お主の弱点はどぉこじゃろな♪』
鼻歌交じりに、ガンテツはどこか嬉しそうに、皮膚だったモノの感触を確かめる。
指先が迷わない。
触れているのに、すでに手順が決まっている。
あらかた全体を撫でると、そこで僕の金槌をすっと上げた。
『ここか?』
ビュンッ、と振り下ろす。
ほどよい脱力からの解放で、金槌をしなやかに素材へ打ち込んだ。
ドゴッ!
き、気持ちいい……。
芯を捉えたような、ぞくりとする感触。
さっきの“跳ね返り”とは別物だった。
衝撃が“返る”んじゃなく、“吸い込まれていく”。
打ち下ろした部分を見ると、少し凹んだことがわかる。
僕が全力で振り下ろしたときはスンとして、何も変形しなかったのに、さすがはモノづくりの英雄だ。
同じハンマー、同じ腕なのに――当て方ひとつで世界が変わる。
『ほほう。お主はここがいいのか、そうかそうか』
まるで赤子をあやすかのような優しい声色。
こんなガンテツの声、滅多に聞けるもんじゃない。
何かをクラフトするとき以外は。
ガンテツは「ふふん♪」と鼻歌を鳴らしながら、またもや僕の右手を上げた。
そして、ゆらっと力を抜いた瞬間、とんでもないスピードで振り下ろす。
脱力から加速までが滑らかで、見ていて怖いほど自然だ。
ボゴォッッ!
これは……クリティカルに、さらに芯を食ったのが僕にもわかった。
先ほど振り下ろした場所よりも、大きく穿たれたように歪み、変形している。
あれだけ硬かったはずの素材を、まるでグミみたいに扱うなんて……。
『なるほどのう……あらかたわかった。まずは熱入れに入るぞい。ここが難度の九割を占める。この素材の成形に必要なのは――ざっと一万度ってところじゃな』
「一万度!? ……いや、無理じゃん」
『……普通ならな。だが、ワシらには都合のええ出力機がおる』
一拍。
言外に、別の英雄の気配が立つ。
『――のう、ヴァンデル。火を貸せ』
『……フン。我の高貴な炎を、湯沸かしに使う気か』
ヴァンデルが不機嫌そうに唸る。
その声だけで、室温が一度下がった気がする。
『ステーキのためじゃ』
『……チッ。レアを所望する』
交渉成立。
要求が俗っぽいのに、言い方だけはやたら偉そうなのが腹立つ。
『そこの小市民、我と英傑貸出しろ。感覚共有など不服だがな』
余計な一言の多さと、小市民と呼ばれたことにいくらか苛立ちを感じつつも、ヴァンデルに意識を向けた。
切り替えの瞬間、脳内の騒がしさが一段増す。
だけど、今はそれでいい。
『一万度でいいんだな?』
『おう、十分じゃ』
『容易い――《白炎一極》』
そうつぶやいた瞬間、左手に白い炎が灯る。
ポォォォォンッ!
小さく、高温の音が響き続けている。
これが一万度の炎、か……。
周囲は熱くないのに、そこに尋常じゃないエネルギーが集中しているのがわかる。
空気が歪むほどでもない。
ただ、目が“本能的に”逸らしたがる。
触れれば、身体の部位が一瞬で溶け落ちるだろう。
うん、普通に怖い。
『もういいぞ、小市民』
ヴァンデルにそう言われ、ガンテツを探るように意識を集中させた。
左手の炎を保持したまま、両手に主導権を寄せる――同時進行の綱渡り。
そして、切り替えるように――《英傑貸出》。
両手の主導権を預かったガンテツは、それを装甲板に押し当てた。
並の金属なら一瞬で溶ける熱量。
だが、漆黒鉄は――ようやく、桜色に染まるだけ。
なんて素材なんだ。
“桜色”で止まるのが、むしろ恐ろしい。
普通の鉄なら、とっくに溶けて流れている。
さすがはSS級の加工難度といったところか。
『ここじゃな! ゆくぞ!』
右手を振り下ろす。
魔力を打撃の瞬間に集中させ、衝撃を内部へ浸透させる――
――カァァァンッ!!
澄んだ音が、工作室を震わせた。
耳の奥がきゅっと締まり、音だけが真っ直ぐに突き刺さる。
信じられないことに、Bランク素材――加工難度SSクラスの素材――が、飴細工のように凹む。
『いいぞ! 鉄が冷める前に形を決めろ!』
カァンッ!
カァンッ!
カァンッ!
右手が止まらない。
ガンテツの意思と、僕の感覚が、完全に噛み合っていく。
ただ叩くんじゃない。
叩く“理由”が、手のひらに先に降りてくる。
不純物が弾け、密度が上がる。
厚みは均一に。
縁は肉汁を逃がさぬ角度で。
表面には、あえて微細な凹凸を残すことで、脂の回りを良くする。
そこに、僕の料理人としての経験が、自然に合流していく。
――これは鍛冶じゃない。
料理の前奏だ。
◇
一時間後。
無骨な楕円形の鉄板が、そこにあった。
余った端材で作った、特製のハンドルも添えてある。
仕上げに熱を落ち着かせ、反りを抑え、表面の機嫌を整えた結果――“道具”としての顔が出来上がっていた。
夜の湖面のような艶。
底知れない黒さが、吸い込まれそうなほどの存在感を放っている。
『無限保温皿』。
「……できた。カッコいい……」
『悪くないのう。これなら百年は使えるわい』
「百年分、ステーキ食べられるね!」
まだ、熱を帯びている。
今すぐ肉を乗せろ、と叫んでいるみたいだ。
いや、叫んでいるのはプレートじゃなくて――僕の腹かもしれない。
――ジュウゥゥゥ。
脳内で、脂が弾けた。
「……じゅる」
『まだ焼かんのか? 今なら我の繊細にして優雅な火で焼いてやるぞ。早くレアで食わせろ』
ヴァンデルが、待ちきれない様子で急かしてくる。
“高貴な炎”のくせに、結局いちばん食い意地が張っている。
「……だめだ。今は、我慢して」
『何故だ』
「――ヴァンデルもわかってるでしょ? 調理実習があるんだよ」
『知るか。早く焼け』
「……そんなこと言うなら、ヴァンデルだけ感覚共有しないよ?」
『チッ! 小市民、貴様……我を待たせる気か』
「とっておきの下拵えをする。その意味、食通のヴァンデルならわかるでしょ?」
『……ほう。小市民なりに、やってくれると? いいだろう。我を満足させろよ?』
ヴァンデルの傲慢な言葉に、僕はぐっと唾を飲み込んだ。
ここで一人で食べる肉じゃない。
完成した道具は、ちゃんと“舞台”で使いたい。
最高の舞台で、最高の付け合わせと共に。
それに――苦労して手に入れた竜息茸を使ったソースも、試したい。
そして何より、あのとき一緒に戦ってくれた冷夏さんには、一番に食べてほしい。
「待っててね、プレートちゃん。最高の開演を用意するから」
僕は愛おしそうに、まだ熱いプレートを布で包んだ。
布越しにも伝わる熱が、今日の成果を黙って肯定してくる。
今回の料理の主役は、Bランク・バイソン肉。
舞台になる器は、無限保温皿。
でも、役者はまだそろっていない。
ステーキ皿の熱処理を終え、僕は自宅のキッチンへと向かう。
工作室の油と鉄の匂いが、まだ指先に残っている気がする。
鉄の素材の次は……主役と同じぐらい重要な脇役たちの出番だ。




