第58話:竜息茸の下拵え
「よし。取引は成立したね」
僕はポン、とひとつ手を叩くと、瞬時に意識を切り替えた。
表情から「共犯者」の色を消し、いつもの「酪農家」の顔に戻る。
「じゃあ、さっそくキノコを頂いて帰ろうかな」
「……は?」
冷夏さんが、ぽかんと口を開ける。
彼女が呆気にとられている間に、僕はリュックから保存用のガラス瓶を取り出した。
「ちょ、ちょっと待って! 今やるの!? こんなシリアスな話の直後に!?」
「うん? シリアスな話、まあしてたけど……でも仲直りしたじゃん」
「仲直りってあなた……」
「あれ? 違った? 僕、まだ冷夏さんのこと不快にさせるようなことしてる?」
「いえ、そういうわけじゃないけど」
「なら良かった」
「そうじゃなくて、あんな緊張感があった後なのよ? 一息ついてもいいはずなのに、焔乃士くん、すごいわね……」
「そりゃあ、僕がここに来た第一目的はこっちだからね。それに夜もだいぶ深い。夜行性の魔獣だっているかもしれない。できることなら明ける前に終わらせたいし、安全なうちに採取して持ち帰らないと危険でしょ?」
「そ、そうかもしれないけれど……あまりにあっさりしてるから、なんか緊張感が抜けちゃったじゃない!」
「未来の牛さんたちが待ってるんだ。僕にちんたらしてる時間なんてないよ」
「牛さんってあなた……ぶれないわね……」
「あはは、あんまり褒めないでよ」
「褒めてはないわよ」
冷夏さんは呆れたように溜息をついたが、その顔からは、さっきまでの悲壮な色が少しだけ薄れていた。
『アハハハ! ホノちゃんの天然っぷりに、レーカちゃん見事に惑わされてるね!』
ジュリアが楽しそうに脳内で笑う。
(ジュリア……それが誉め言葉じゃないことぐらいはわかるよ?)
『なに言ってるのホノちゃん! どっからどう見ても誉め言葉じゃん! ね、ルヴァ姉もそう思うでしょ?』
『確かに、ご主人様のマイペースっぷりには、全人類があきれ果てて嘆息したくなりますわね』
(全人類は言い過ぎじゃない!?)
そうやって、今度は脳内にいる英雄たちに僕はお手上げ状態。
いつもの通常運転。
当然のような罵声。
さすがに慣れた。
(うぅ、つらい)
うそ。
慣れてない。
傷つきたくないから、そう思い込みたかっただけだった。
「……悲しそうな顔」
あ。
やばい。
冷夏さんに顔を見られた。
「あ、これはなんでもないよ。アハハハ……」
「無理して笑ってるわね。もしかして、やっぱりわざとなの……?」
「えーと、何が?」
僕の何もわかっていない顔を見て、冷夏さんは妙に納得したような表情になる。
「やっぱりそうなのね……ふふ。あなたって、意外と気遣い屋なのね」
「え? 気遣い? なんのこと?」
「無理やり話題を変えて、重い空気を吹き飛ばしてくれたんでしょ?」
「え」
「不器用な優しさよね。ありがと」
「いや、僕はただ純粋にキノコが……」
「……わかってるわよ。助かったわ」
「いや、本当にキノコが欲しくて……」
「はいはい」
(……なんか猛烈に誤解されてる気がするけど、訂正するのもめんどうだし、まあいいか)
彼女が元気になったなら、それでいいってのは本当のことだ。
確かに、その気持ち自体は嘘じゃない。
今回はたまたまその意図がなかっただけ。
結果オーライ結果オーライ。
さて、話も落ち着いたし。
ここからは、改めて気合を入れないといけない。
僕は冷夏さんに、真剣な顔で告げる。
「冷夏さん。そこから少しでも近づいたらダメだ」
「え……?」
「僕は今から、キノコを取る。そのために確かめたいことがある。もう少し下がってて」
「ええ、わかったわ」
冷夏さんを安全な位置まで下げる。
僕は地面に転がっている、梅干しサイズの小さな石を拾い上げた。
それを、優しくふわっと竜息茸の方へ投げる。
石がぶつかった瞬間――。
ボッ!
衝撃を受けた竜息茸から、赤く煌めく胞子が勢いよく噴き出した。
「焔乃士くん!?」
後ろから、心配する冷夏さんの声が飛ぶ。
「大丈夫だよ冷夏さん。確認しただけ」
勢いはすごいが、量はたいしたことがない。
噴き出た分の胞子を、成分分離と食糧保存で、安全に、でも素早く確実に小瓶へ収納する。
安全を確保したあとは、動く前に仮説を立てる。
胞子だって、無限じゃない。
蓄えている胞子を、いつだって惜しみなく噴出できるわけじゃない。
なら。
(可能性として高いのは、衝撃の強さによる噴出量の調整かな……)
今度は、先ほど拾った石よりも一回り大きい石を手に取る。
そのまま大きく振りかぶり、腕をしならせるようにして投げた。
――ビュンッ!
石は勢いよく竜息茸に当たり――。
――ボボボォッ!
さっきよりも大量の胞子を噴き出した。
「――なるほど。こいつは、常に胞子を垂れ流してるわけじゃない。外敵から攻撃を受けたり、強いストレスを感じたりした瞬間に、防衛本能で高熱の胞子を一気に噴き出すってことか」
「一気に噴き出す……それはやばいわね……」
「うん。無理やり竜息茸を剥がせば、この辺一帯が灼熱の空気になる。そうしたら、あっというまに肺をローストされる……僕も、君もね」
「ろ、ローストって……」
冷夏さんが息を呑み、一歩後ずさる。
その緊張を背中で感じながら、僕は慎重に、いつもの手順で噴き出た胞子を瓶に閉じ込める。
そして、一番立派な竜息茸の前へと踏み込み、膝をついた。
近くで見ると、その異様さがよくわかる。
傘の表面は、まるで爬虫類の鱗のように硬質化し、赤黒い脈動を繰り返していた。
まるで、触れる者を拒絶するように。
食材に見えるのに、立ち姿は獣じみていた。
――いや、違う。
今のこいつは、食材というより“生きた地雷”だ。
さっきの一連の確認作業を振り返る。
衝撃や脅威によって噴出量が決まるなら……下限もあるはずだ。
なら、ここはできるだけ丁寧に。
「優しくやるのが吉か」
僕は手を擦り、温める。
腰の包丁は抜かない。
あれは「解体」には向いているが、ミリ単位の繊細な作業には強すぎる。
(……使うのは、指だ)
『……懐かしいのう』
脳内で、ガンテツがふと呟いた。
その声はいつもの頑固な響きの中に、どこか昔を懐かしむような色を帯びていた。
『小僧。自力で判断を間違えず、丁寧に除去する結論にたどり着いたのはえらいのう』
(へへ、ありがとう)
『手当たり次第に突撃する前に、仮説を検証したこと、少しだけほめてあげますわ』
(へへ、ミネルヴァも少しだけありがとう)
『だが油断するでないぞ。根こそぎ奪えば、負荷により胞子を吹き出す。そしたら、ただではすまん。高級食材の謂れは、数が少ないことよりも、その採取方法の難度が高いからじゃ。なるべく衝撃は少なくするのがコツ。とくに気を付けるべきは、菌糸――』
(……菌糸)
『本体はもちろん、くれぐれも菌糸を下手に傷つけるなよ』
「……っ」
僕は生唾を飲み込んだ。
喉仏が上下する音が、静寂の中でやけに大きく響く。
さっき小さな石を投げ込んだときの、あの噴出し方。
失敗すれば爆発するのは、想像に難くない。
ただのキノコ狩りじゃない。
これは、爆弾処理だ。
失敗すれば――死。
その可能性に、指先がわずかに強張る。
その空気を察したのか、ガンテツの声が、ふっと柔らかく緩んだ。
『なあに、きのこには変わらん。地元のレインズで、たくさん優しく採取してきたじゃろう。いつも通り、落ち着いてやれば大丈夫だぞい』
(……うん。そうだね)
その一言で、肩の力が抜けた。
深く、静かに息を吸い、ジャーキーで研ぎ澄まされた集中力を指先一点に集める。
狙うのは、石づきの少し上。
菌糸にストレスを与えず、再生可能なギリギリのライン。
「生粋魔法・調理――下拵え《プレップ》」
小さく呟き、右手をかざす。
――フォォォォン……。
指先から淡い光が溢れ出し、僕の手全体を薄い膜のように包み込んだ。
まるで、光でできた手術用手袋のようだ。
さらに、人差し指の先端から、数センチほどの極細の光刃が伸びる。
強度は低い。
骨に当たれば砕けるほど脆い。
だが、その鋭利さは手術メス以上。
筋繊維の一本一本を剥がし、皮の裏側の薄膜だけを取り除くような、極小の世界の魔法だ。
僕は、光のメスをまとった指を、静かに差し入れた。
――スッ。
抵抗は、ない。
触れていることさえ、相手に気づかせてはいけない。
僕の魔法は、対象を「敵」としてではなく「食材」として認識する。
どんなに硬いドラゴンのような鱗だろうと、それは丁寧に下処理すべき「皮」であり、切り分けるべき「繊維」に過ぎない。
ツー……。
指先を滑らせる。
光の刃が、細胞の隙間を縫うように茎を通り抜けていく。
カサッ。
切り離された竜息茸が、僕の、光に包まれた手のひらにコロンと落ちた。
胞子の爆発はない。
「ふぅ……」
そこでやっと一息つく、首の後ろから汗が滴った。
しっかり緊張してたみたいだ。
手袋状のオーラ越しに、心臓のような熱だけが伝わってくる。
切り取った、という感覚より、向こうがするりと手の中へ収まってくれたような感触だった。
キノコ自身も自分が切り取られたことに気づいてないだろう。
勝ったというより、許された。
そんな手応えが、指先にだけ静かに残っていた。
『いいネエ……! 素晴らしい鮮度だネェ! その赤黒い輝き、見ているだけでヨダレが出ルよ。さあ宿主、早く密閉するといいヨ』
レクターの急かす声に従い、僕は手早くそれをガラス瓶の口へと近づけた。
「食糧保存」
僕が唱えると、竜息茸が淡い光に包まれる。
瞬きする間に、そのサイズがみるみる縮んでいった。
シュッ、という小さな音と共に、元の百分の一サイズになったキノコが、コロンと瓶の中へ収まる。
『竜息茸』――ラベルが印字される。
間髪入れずに蓋を閉じた。
「よし、密閉完了」
瓶の中は、あらかじめかけられた調理――《真空空間》によって完全な真空状態に保たれている。
そこに食糧保存の効果――「腐食スピード百分の一」が加わるんだ。この二重の封印がある限り、中の鮮度は半永久的に落ちないことだろう。
「……ふぅ」
額から垂れた汗を拭い、もう一度息を吐く。
指先にまとっていた光が、粒子となって夜風に溶けた。
リュックを背負い直し、僕は冷夏さんのもとへ戻る。
「……終わった、の?」
恐る恐る声をかけてくる彼女に、僕は笑みを返す。
「うん、終わったよ。用事も済んだし、長居は無用だね。いちおう手がかりは見つかったし、どうする? そろそろ帰る?」
「……ええ。そうね」
冷夏さんはひとつため息をつくと、もう一度だけ、掘り返された痕跡の残る土を見つめた。それから、静かに頷いた。
月明かりと、紫色の燐光。
二つの光に見送られながら、僕たちは静寂に包まれた裏山を後にしようと――。
その、一歩を踏み出した時だった。
違和感が足裏から走った。




