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蹄煮込み、経験を喰らう――牛好きの少年は「死」を食べて強くなる  作者: メイ
第二章:言葉を探す少年

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第58話:竜息茸の下拵え

「よし。取引は成立したね」


 僕はポン、とひとつ手を叩くと、瞬時に意識を切り替えた。

 表情から「共犯者」の色を消し、いつもの「酪農家」の顔に戻る。


「じゃあ、さっそくキノコを頂いて帰ろうかな」


「……は?」


 冷夏さんが、ぽかんと口を開ける。

 彼女が呆気あっけにとられている間に、僕はリュックから保存用のガラス瓶を取り出した。


「ちょ、ちょっと待って! 今やるの!? こんなシリアスな話の直後に!?」


「うん? シリアスな話、まあしてたけど……でも仲直りしたじゃん」


「仲直りってあなた……」


「あれ? 違った? 僕、まだ冷夏さんのこと不快にさせるようなことしてる?」


「いえ、そういうわけじゃないけど」


「なら良かった」


「そうじゃなくて、あんな緊張感があった後なのよ? 一息ついてもいいはずなのに、焔乃士ほのじくん、すごいわね……」


「そりゃあ、僕がここに来た第一目的はこっちだからね。それに夜もだいぶ深い。夜行性の魔獣だっているかもしれない。できることなら明ける前に終わらせたいし、安全なうちに採取して持ち帰らないと危険でしょ?」


「そ、そうかもしれないけれど……あまりにあっさりしてるから、なんか緊張感が抜けちゃったじゃない!」


「未来の牛さんたちが待ってるんだ。僕にちんたらしてる時間なんてないよ」


「牛さんってあなた……ぶれないわね……」


「あはは、あんまり褒めないでよ」


「褒めてはないわよ」


 冷夏さんは呆れたように溜息をついたが、その顔からは、さっきまでの悲壮な色が少しだけ薄れていた。


『アハハハ! ホノちゃんの天然っぷりに、レーカちゃん見事に惑わされてるね!』


 ジュリアが楽しそうに脳内で笑う。


(ジュリア……それが誉め言葉じゃないことぐらいはわかるよ?)


『なに言ってるのホノちゃん! どっからどう見ても誉め言葉じゃん! ね、ルヴァ姉もそう思うでしょ?』


『確かに、ご主人様のマイペースっぷりには、全人類があきれ果てて嘆息したくなりますわね』


(全人類は言い過ぎじゃない!?)


 そうやって、今度は脳内にいる英雄たちに僕はお手上げ状態。


 いつもの通常運転。

 当然のような罵声。

 さすがに慣れた。


(うぅ、つらい)


 うそ。

 慣れてない。


 傷つきたくないから、そう思い込みたかっただけだった。


「……悲しそうな顔」


 あ。

 やばい。


 冷夏さんに顔を見られた。


「あ、これはなんでもないよ。アハハハ……」


「無理して笑ってるわね。もしかして、やっぱりわざとなの……?」


「えーと、何が?」


 僕の何もわかっていない顔を見て、冷夏さんは妙に納得したような表情になる。


「やっぱりそうなのね……ふふ。あなたって、意外と気遣い屋なのね」


「え? 気遣い? なんのこと?」


「無理やり話題を変えて、重い空気を吹き飛ばしてくれたんでしょ?」


「え」


「不器用な優しさよね。ありがと」


「いや、僕はただ純粋にキノコが……」


「……わかってるわよ。助かったわ」


「いや、本当にキノコが欲しくて……」


「はいはい」


(……なんか猛烈に誤解されてる気がするけど、訂正するのもめんどうだし、まあいいか)


 彼女が元気になったなら、それでいいってのは本当のことだ。

 確かに、その気持ち自体は嘘じゃない。


 今回はたまたまその意図がなかっただけ。

 結果オーライ結果オーライ。


 さて、話も落ち着いたし。

 ここからは、改めて気合を入れないといけない。


 僕は冷夏さんに、真剣な顔で告げる。


「冷夏さん。そこから少しでも近づいたらダメだ」


「え……?」


「僕は今から、キノコを取る。そのために確かめたいことがある。もう少し下がってて」


「ええ、わかったわ」


 冷夏さんを安全な位置まで下げる。


 僕は地面に転がっている、梅干しサイズの小さな石を拾い上げた。


 それを、優しくふわっと竜息茸ドラゴン・マッシュの方へ投げる。


 石がぶつかった瞬間――。


 ボッ!


 衝撃を受けた竜息茸ドラゴン・マッシュから、赤くきらめく胞子が勢いよく噴き出した。


焔乃士ほのじくん!?」


 後ろから、心配する冷夏さんの声が飛ぶ。


「大丈夫だよ冷夏さん。確認しただけ」


 勢いはすごいが、量はたいしたことがない。


 噴き出た分の胞子を、成分分離セパレート食糧保存パントリーで、安全に、でも素早く確実に小瓶へ収納する。


 安全を確保したあとは、動く前に仮説を立てる。


 胞子だって、無限じゃない。

 蓄えている胞子を、いつだって惜しみなく噴出できるわけじゃない。


 なら。


(可能性として高いのは、衝撃の強さによる噴出量の調整かな……)


 今度は、先ほど拾った石よりも一回り大きい石を手に取る。

 そのまま大きく振りかぶり、腕をしならせるようにして投げた。


 ――ビュンッ!


 石は勢いよく竜息茸ドラゴン・マッシュに当たり――。


 ――ボボボォッ!


 さっきよりも大量の胞子を噴き出した。


「――なるほど。こいつは、常に胞子を垂れ流してるわけじゃない。外敵から攻撃を受けたり、強いストレスを感じたりした瞬間に、防衛本能で高熱の胞子を一気に噴き出すってことか」


「一気に噴き出す……それはやばいわね……」


「うん。無理やり竜息茸を剥がせば、この辺一帯が灼熱の空気になる。そうしたら、あっというまに肺をローストされる……僕も、君もね」


「ろ、ローストって……」


 冷夏さんが息を呑み、一歩後ずさる。

 その緊張を背中で感じながら、僕は慎重に、いつもの手順で噴き出た胞子を瓶に閉じ込める。


 そして、一番立派な竜息茸の前へと踏み込み、膝をついた。


 近くで見ると、その異様さがよくわかる。

 傘の表面は、まるで爬虫類の鱗のように硬質化し、赤黒い脈動を繰り返していた。

 まるで、触れる者を拒絶するように。

 食材に見えるのに、立ち姿は獣じみていた。


 ――いや、違う。


 今のこいつは、食材というより“生きた地雷”だ。


 さっきの一連の確認作業を振り返る。

 衝撃や脅威によって噴出量が決まるなら……下限もあるはずだ。


 なら、ここはできるだけ丁寧に。


「優しくやるのが吉か」


 僕は手を擦り、温める。

 腰の包丁は抜かない。

 あれは「解体」には向いているが、ミリ単位の繊細な作業には強すぎる。


(……使うのは、指だ)


『……懐かしいのう』


 脳内で、ガンテツがふと呟いた。

 その声はいつもの頑固な響きの中に、どこか昔を懐かしむような色を帯びていた。


『小僧。自力で判断を間違えず、丁寧に除去する結論にたどり着いたのはえらいのう』


(へへ、ありがとう)


『手当たり次第に突撃する前に、仮説を検証したこと、少しだけほめてあげますわ』


(へへ、ミネルヴァも少しだけありがとう)


『だが油断するでないぞ。根こそぎ奪えば、負荷により胞子を吹き出す。そしたら、ただではすまん。高級食材のいわれは、数が少ないことよりも、その採取方法の難度が高いからじゃ。なるべく衝撃は少なくするのがコツ。とくに気を付けるべきは、菌糸――』


(……菌糸)


『本体はもちろん、くれぐれも菌糸を下手に傷つけるなよ』


「……っ」


 僕は生唾を飲み込んだ。

 喉仏が上下する音が、静寂の中でやけに大きく響く。


 さっき小さな石を投げ込んだときの、あの噴出し方。

 失敗すれば爆発するのは、想像にかたくない。


 ただのキノコ狩りじゃない。

 これは、爆弾処理だ。


 失敗すれば――死。

 その可能性に、指先がわずかに強張る。


 その空気を察したのか、ガンテツの声が、ふっと柔らかく緩んだ。


『なあに、きのこには変わらん。地元のレインズで、たくさん優しく採取してきたじゃろう。いつも通り、落ち着いてやれば大丈夫だぞい』


(……うん。そうだね)


 その一言で、肩の力が抜けた。


 深く、静かに息を吸い、ジャーキーで研ぎ澄まされた集中力を指先一点に集める。


 狙うのは、石づきの少し上。

 菌糸にストレスを与えず、再生可能なギリギリのライン。


生粋魔法ネイティブ調理クック――下拵え《プレップ》」


 小さく呟き、右手をかざす。


 ――フォォォォン……。


 指先から淡い光が溢れ出し、僕の手全体を薄い膜のように包み込んだ。


 まるで、光でできた手術用手袋のようだ。


 さらに、人差し指の先端から、数センチほどの極細の光刃が伸びる。


 強度は低い。

 骨に当たれば砕けるほど脆い。


 だが、その鋭利さは手術メス以上。


 筋繊維の一本一本を剥がし、皮の裏側の薄膜だけを取り除くような、極小の世界の魔法だ。


 僕は、光のメスをまとった指を、静かに差し入れた。


 ――スッ。


 抵抗は、ない。

 触れていることさえ、相手に気づかせてはいけない。


 僕の魔法は、対象を「敵」としてではなく「食材」として認識する。

 どんなに硬いドラゴンのような鱗だろうと、それは丁寧に下処理すべき「皮」であり、切り分けるべき「繊維」に過ぎない。


 ツー……。


 指先を滑らせる。

 光の刃が、細胞の隙間を縫うように茎を通り抜けていく。


 カサッ。


 切り離された竜息茸が、僕の、光に包まれた手のひらにコロンと落ちた。


 胞子の爆発はない。


「ふぅ……」


 そこでやっと一息つく、首の後ろから汗が滴った。

 しっかり緊張してたみたいだ。


 手袋状のオーラ越しに、心臓のような熱だけが伝わってくる。


 切り取った、という感覚より、向こうがするりと手の中へ収まってくれたような感触だった。


 キノコ自身も自分が切り取られたことに気づいてないだろう。


 勝ったというより、許された。

 そんな手応えが、指先にだけ静かに残っていた。


『いいネエ……! 素晴らしい鮮度だネェ! その赤黒い輝き、見ているだけでヨダレが出ルよ。さあ宿主ホスト、早く密閉するといいヨ』


 レクターの急かす声に従い、僕は手早くそれをガラス瓶の口へと近づけた。


食糧保存パントリー


 僕が唱えると、竜息茸が淡い光に包まれる。

 瞬きする間に、そのサイズがみるみる縮んでいった。


 シュッ、という小さな音と共に、元の百分の一サイズになったキノコが、コロンと瓶の中へ収まる。


 『竜息茸ドラゴンマッシュ』――ラベルが印字される。


 間髪入れずに蓋を閉じた。


「よし、密閉完了」


 瓶の中は、あらかじめかけられた調理クック――《真空空間スーヴィド》によって完全な真空状態に保たれている。

 そこに食糧保存パントリーの効果――「腐食スピード百分の一」が加わるんだ。この二重の封印ロックがある限り、中の鮮度は半永久的に落ちないことだろう。


「……ふぅ」


 額から垂れた汗を拭い、もう一度息を吐く。


 指先にまとっていた光が、粒子となって夜風に溶けた。


 リュックを背負い直し、僕は冷夏さんのもとへ戻る。


「……終わった、の?」


 恐る恐る声をかけてくる彼女に、僕は笑みを返す。


「うん、終わったよ。用事も済んだし、長居は無用だね。いちおう手がかりは見つかったし、どうする? そろそろ帰る?」


「……ええ。そうね」


 冷夏さんはひとつため息をつくと、もう一度だけ、掘り返された痕跡の残る土を見つめた。それから、静かに頷いた。


 月明かりと、紫色の燐光りんこう

 二つの光に見送られながら、僕たちは静寂に包まれた裏山を後にしようと――。


 その、一歩を踏み出した時だった。

 違和感が足裏から走った。

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