第20話:噛むポーションと、生活魔法
「さてと。大方は片付いたが……問題はこの大量の肉だな。鴨葱くんがもらうって話ではあるが……うーん」
ロイさんが、朝日に照らされた肉の山を見上げて呟いた。
七頭分の肉塊。これだけで、小さな村の一か月分の食料に匹敵する量だ。
「鴨葱くんのために、七頭分の肉を代わりに保存しようと思ったが、さすがにウチの冷蔵庫には入りきらない。燻製にするにしても設備が足りないし……このままじゃ、半分は腐らせることになっちまう。どうしたもんかね」
ロイさんは苦い顔で頭を掻いた。
ハンターにとって、奪った命(獲物)を無駄にすることは最大の恥だ。
けれど、普通に保存するにしても、物理的な限界がある。
「それは困ります……!」
せっかく捌いた極上の肉を、腐らせるなんてもったいない。
それは食材への冒涜であり、僕の胃袋への裏切りだ。
何より、「商品」としての価値がなくなってしまう。
そこで僕は、一つの提案をすることにした。
「なら、保存食にしましょう」
「保存食?」
「はい。ジャーキーです」
僕は手近なロース肉のブロックを手に取った。
「塩と、さっき頂いたピーキーペーパーを少々っと……」
革袋から粉末のピーキーペーパーをひとつまみ取り出し、肉の表面に擦り込む。
粗塩も惜しみなく振りかけ、全体に馴染ませるように揉み込んでいく。
手のひらの熱でスパイスの香りが立ち上り、鼻孔をくすぐった。
「で、これを天日で干すってのかい? しかしこの量だ、作業に数日はかかる。完成する頃には、虫が湧いて腐っちまうぞ」
「いえ。もっと簡単な方法があります」
僕は肉を両手で挟み込み、魔力を練る。
イメージするのは、昨夜の戦闘じゃない。
本来の調理だ。水分を飛ばし、旨味を閉じ込め、時を止める魔法。
「見ててください。——《乾燥焼成》!」
ジュワァァァッ……!
肉の表面から、一気に猛烈な白煙が立ち上る。
水分が瞬時に蒸発し、赤かった生肉がギュッと収縮していく。
同時に、熱で溶けた脂が塩と空椒を巻き込み、肉の繊維の奥深くまで浸み込んでいく。
あたり一面に、香ばしい肉の焼ける匂いと、スパイスの刺激臭が爆発的に広がった。
「おい……マジかよ……」
ロイさんが目を丸くして後ずさる。
数十秒後。
白煙が晴れた僕の手の中には、黒く硬質化した、まるで鋼鉄の延べ棒みたいな肉の塊が完成していた。
「完成です。『月冠鹿の瞬間熟成ジャーキー』」
表面はカチカチに乾燥して輝いている。
でも、経験でわかる。内部にはまだ、微かに肉汁の芯が残っているはずだ。
「ロイさんどうぞ。まずは味見してみてください。……あ、かなり硬いので、歯に気をつけてくださいね?」
「あ、ああ……ありがたく頂くよ」
「じゃあ、僕もとりあえず試食っと……」
僕はロイさんとともに、出来たての熱い塊を口に運び——思い切り奥歯で噛みちぎった。
バキィッ!
肉を噛んだ音とは思えない、乾いた破砕音が響く。
硬い。石かと思うほどだ。
だが、口の中で転がし、唾液でふやかしながら噛み砕いていくと——
「……っ!」
口の中で、旨味の爆弾が炸裂した。
濃縮された、野性味あふれる肉の味。
そこへ遅れてやってくる、ピーキーペーパーの電気が走るような痺れ。
確かな塩味が全体の輪郭を引き締め、噛めば噛むほど、深いコクと甘みが引きずり出されてくる。
「これ……すごい」
「こいつは……」
ロイさんも一口食べて、カッと目を見開いた。
「……うめえ! これ、間違いなく酒が進むやつだぞ! 噛めば噛むほど、じわじわと旨味があふれ出してきやがる……ピーキーペーパーがアクセントになって、脂の甘みを尖らせてるんだ……くそっ、唾液がとまらねえ! エレナも絶対気に入るぞ!」
「あはは。でしょう?」
僕は満足げに頷いた。
大成功だ。これなら水分が少ないぶん長く持つし、最高の行動食になる。
「……それにこれは……! 疲れが吹き飛んでるような……? いや、体力回復とはまた別の……」
ロイさんが、自分の掌を握ったり開いたりしている。
「頭が冴えてくる感じがあります……よね?」
「ああ。意識が活性化されてるような、視界の霧が晴れるような……そんな感じだ……」
(……やっぱり。この覚醒作用……カフェインには似ているけど、それよりも爽快でパキっとする感じなんだよな……)
どうやらこのジャーキー、ただの保存食以上の価値を秘めているのかもしれない。
そう結論づけた、その時だった。
『……あアッ! なんて素晴らしイッ! 宿主よ、図らずとも魔法強化食にたどり着くなんテ……!』
脳内に、異常にテンションの高い声が響き渡った。
粘着質で、鼻の奥に薬品の匂いがツンと来そうな声だ。
(ブースターミール? ……宮廷料理人が使ってるヤツだっけか……?)
『まさしクっ! その技術はボクが発明したものだケド、宿主が自ら発見するなんてネエ……! これも、《還元消化》の体質のおかゲ……! あアッ! 染み渡る発見の快楽ッ! 毒を食らわば皿まで!!』
(……ダイジェストって、なにそれ?)
『……レクターのアホウが。小僧に説明するのは後だと、ワイらで話し合ったじゃろうに。まったく……興奮しおって』
『アハハ! テツ爺っ! それをレクターに求めちゃだめなんだよ。一番話が通じない人なんだからさ!』
ガンテツとジュリアの呆れた声が続く。
(ちょっと待ってよ! ……ま〜た何か隠してる?)
『ご主人様、話はあとです。気を抜かないでください。獲物を見るような目で、バトルロイが不思議がっています』
「……鴨葱くん、あんた急に考え込んだように黙って……まるで誰かと話してるみたいだったな。一体どうしたんだい? 隠し事かい?」
ハッとして前を見ると、怪訝そうな表情でこちらを覗き込むロイさんの姿があった。
長年のハンター生活で培われた観察眼は、ごまかせそうにない。
ロイさんの親指が、指輪の縁を一度だけなぞった。
それは考え事の癖みたいに自然で、だからこそ嫌に目に残った。
隠し事をしてるのは僕ではなく、脳内の英雄たちなのだけど、今はそう言い訳できるはずもない。
「いえ……頭の中で可能性を探ってました。もしかしてこれ、宮廷料理人も使う魔法強化食ってやつになっちゃったのかもしれません」
僕はとっさに、レクターの言葉を借りて説明した。
「ふつうは食事の魔法的なメリットと言えば、魔力含有量による魔力の回復ぐらいです。しかしこれは違う。特定の食材を組み合わせることで、食べた者に一時的なバフ効果を及ぼすらしいです……今回の場合、ハクゲツの『警戒本能』と空椒の『覚醒作用』の組み合わせが、意識の活性化をもたらしてるのかも……」
「なにっ!? なんて技術だ……確かにこの気配察知能力があれば、狩りが格段に捗りそうだ……」
ロイさんが感心したように唸る。
疑念は、驚きと興味に変わったようだった。
「じゃあ、残りも全部ジャーキーにして、保存しますね」
「保存? いくらジャーキーにするとはいえ、量は甚大だぞ? 七頭分だ。干し肉にしても、麻袋で十個分にはなる。どうやって持ち帰るつもりだ?」
「だいじょぶだいじょぶ。まあ、見ててください」
僕は次々と《乾燥焼成》でジャーキーを作り上げ、それを無造作に空中へ放り投げた。
そして——もう一つの魔法を発動する。
「生粋魔法:調理——《食糧保存》!」
シュンッ。
次の瞬間、空中の肉が淡い光に包まれた。
物理法則を無視して、そのサイズがみるみる縮んでいく。
同時に、時間の流れすら凍結される。
音もなく、あらかじめ用意していた親指サイズの小瓶へと、巨大な肉塊が吸い込まれていった。
カラン。
一本、また一本。
小さなガラス瓶の中に、ミニチュアサイズになったジャーキーが詰め込まれ、コルク栓が自動でキュッと閉まる。
表面には、それぞれ『肩肉』『腿肉』『内臓(可食)』『脂身』と、簡潔なラベルが魔力文字で浮かび上がっていた。
——癖だ。
実家でも、余ったチーズやミルクをこうして管理していたから。
「……おいおい」
ロイさんが、呆然とした顔で小瓶を見つめている。
その目は、先ほどの戦闘を見た時よりも、さらに驚愕に見開かれていた。
「今、肉が……縮んだ……? 空間魔法か……?」
「はい。《食糧保存》です。食材を圧縮して保存する魔法で、サイズも腐敗速度も元の百分の一になります。これならポケットに入れて持ち運べますから」
「百分の一……!? あんたの魔法、便利すぎやしないかっ!? 空間魔法使いでも、そんな芸当できる奴は滅多に聞いたことないぞ!」
「すっごい助かってますが、保存できるのは『食糧になるものだけ』です。食回りでは最高でも、武器とか道具は無理なんですよね〜」
今すぐ食べる分だけを残し、残りの肉を次々と処理していく。
乾燥、圧縮、瓶詰め。
まるで工場みたいな手際で作業を繰り返し、そうして数分後——目の前の肉山は綺麗さっぱり消え失せた。
残ったのは、木箱一つに収まる量の、可愛らしい小瓶の山だけ。
僕は額の汗を拭い、ようやく一息ついた。
「これで、全部保存完了っと」
「……あんた、本当に天才だな。いや、天災か?」
ロイさんが、呆れたように、けれどどこか楽しそうに笑った。
僕はその小瓶の山から一本を取り上げて、ロイさんに差し出した。
「……この小瓶、ロイさんにあげます」
「えっ!? いいのかい? だってこの肉とピーキーペーパーは、あんたのものになったばかりじゃないか。それに、こんな貴重な効果があるなら、売れば相当な値がつくぞ」
「死ぬ命は巡る命、ですよ。おいしいごはんは、分け合うことにこそ意味があると思いたいんです」
僕は笑って、小瓶を押しつけた。
そもそも、スパイスをくれたのはロイさんだ。
これぐらいのお返しなんて、当然のことだろう。
「ああ、鴨葱くん、やっぱあんたは素敵な少年だ……。ありがたくもらうとするよ」
「蓋を開けて、小瓶を振ると、ジャーキーが一切れずつ出てきます。圧縮されて一キロ分はあるので、ちびちび食べれば相当持つと思いますよ。ここぞというときの狩りに、ぜひ役立ててください!」
「ありがとう。ほんと、助かる。これでもっと狩りが楽しめるからな!」
ロイさんは子どもみたいに目を輝かせて、小瓶を受け取った。
その笑顔を見て、僕も嬉しくなる。
やっぱり、料理は誰かに食べてもらう時や分け合うときが一番楽しい。
――ただ。
さっきから妙に、脳内が静かだった。
そのうえロイさんの親指は、また無意識みたいに指輪の縁をなぞっている。
なんだろう。
うまく言えないけど、朝の空気のどこかが、まだ少しだけ落ち着かなかった。
……まあ、それはそれとして、お腹がすいた。




