第19話:二本の矢
家の中をこれ以上荒らされては、たまったものじゃない。
僕はタンッと床を踏み、ダッシュで玄関を飛び出した。
周囲から漂う熱量と――殺気。
見渡せば、五頭のハクゲツ。
先陣が秒殺されたのを外から察知して、警戒しているのだろう。五頭ともぴたりと足を止め、じっくりこちらを見据えているのがわかる。
さすがは成体だ。
ただの本能で動く獣じゃない。知能がある。
彼らの凍りついていた巨体が、合図もないのにゆっくりと蠢き出した。
散開し、僕を取り囲むように包囲網を敷き始める。
そのじりじりとした歩みに呼応するように、陽は急速に沈み、森のコントラストが死んでいく。
――これはまずい。
あたりは、みるみる薄暗くなっていく。
《解体》は便利だけど、視覚情報に依存する魔法だ。光がなければ、あの「赤い切断線」が見えなくなる。
対して、ハクゲツの目は怪しく光り始めた。
もともと夜行性の彼らは、時間が経つほど夜のハンターへと変貌していく。
暗闇は、彼らのホームグラウンドだ。ずるい。
周囲のハクゲツの息遣いが静かになる。
ほんのり光る視線から、じりじりと焼けるような殺気を感じる。
次の瞬間。
ドッドッドッ……!
左右から挟み込むように、二頭が同時に動き出した。
暗闇を利用して、挟み込む算段だな。
――賢い。けれど、こっちだって料理の手順がないわけじゃない。
(ふふーん、見えないなら――足場ごと調理るまでだよっ!)
僕はバックステップで距離を取りながら、足元の地面に魔力を流し込む。
イメージは圧力鍋。カチカチの根菜を、舌で押し潰せるほど柔らかく煮込む感覚。
足裏で地面を踏みしめる。
触れた箇所から、扇状に魔力が伝播した。
生粋魔法:《調理》――《熟成軟化》!
カチカチに踏み固められた庭土が、一瞬で粒子の結びつきを失い、、ドロドロの「マッシュポテト」みたいな流動体へと変わる。
「美味しく召し上がれっ!」
ズブブッ!
「ギュアッ!?」
トップスピードで突っ込んできた二頭が、足の付け根まで泥に沈んだ。
急ブレーキなんて利かない。バランスを崩し、前のめりに倒れ込む二頭。
泥沼という名の、即席の落とし穴。
二頭は必死に抜け出そうと、頭を激しく揺らす。
その瞬間――背後を、おぞましい悪寒が走った。
(――動くな)
脳の指令じゃない。
足裏から這い上がった悪寒が、背筋を一気に貫く。
細胞レベルの本能が、僕の足を地面に縫いつけた。
直後。
ゾッとするような風切り音が、二回。
何かが、僕の頬の産毛を掠めて通り過ぎた。
「えっ!?」
振り返るより早く――グチャッ! という、肉を穿つ重い音が響いた。
泥に沈んだ二頭の、首の付け根。そこに、二本の太い矢が深々《ふかぶか》と突き刺さっていた。
痙攣ひとつしない。即死だ。
「……ロイさん?」
おそるおそる振り返ると、クロスボウを構えたロイさんが、クロスボウの先に残った埃を払うみたいに、ふぅーっと息を吐いていた。
足元の影が、ほんの一瞬だけ薄く伸びた気がした。
気のせいだ。……たぶん。
「鴨葱くん、すまん。一瞬の判断だったもんで、『百パーセント安全に』とはいかなかった」
「ロイさん……怖いって……!」
口では謝ってるが、ロイさんの表情は軽い。
おそらく、あの状況で僕が動かないことも、獲物がどう倒れるかも、すべて計算済みだったんだ。
動いている僕の頬すれすれを通し、さらに動いている標的の急所を射抜く。
ただの狩人じゃない。
『小僧、あの男……ただ者じゃないのう』
ガンテツの低い声が脳内に響く。
ああ、分かってるよ。
まったく、心強くて怖い。
きっとロイさんは、歴戦のハンターだったのだろう。
今は、気を向ける相手を間違えたら命取りになる。
でもこれで――
「……残り、三頭」




