第18話:解体の朝と、英雄の気配
朝だった。
正確には、気がつけば朝になってしまっていた、と言うべきか。
貴重なハクゲツの成体七体に遭遇し、日の入りに殺し合い、日の出と共に解体を終える。
そんなハードな夜を、誰が想像できただろう。
夜と朝の境目が、単純作業への没入の中に静かに溶けていく。
冷や汗はとうに乾き、身体の感覚もどこか麻痺していた。
疲労というより、作業そのものに思考を委ね続けた結果、感情が摩耗して平らになった——そんな感覚に近い。
東の空が白み始めている。
その清浄な光の下、視界の端にあるのは——
山のように積み上げられた肉、肉、肉。
量だけを見れば、とんだ悪夢だ。
僕の手は血と脂でぬるぬるしていて、指先の感覚は鈍い。
エプロンは飛び散った肉片と体液で前衛芸術のような惨状になり、布地の色が白だったと、これを見て誰が信じてくれるだろうか。
鉄錆のような血の臭気が、朝の澄んだ冷気と混ざり合い、鼻の奥にへばりつくような独特の生々しさを醸し出していた。
「……ふぅ」
吐き出した息は、思ったよりも重く、白かった。
ロイさんと協力して、七頭分の成体ハクゲツ。
そのすべてを、解体し終えたのだ。
ドロッとした戦いだった。
肉体的な消耗以上に、全身の毛穴が獣の脂で塞がったような、生理的な不快感が残る。
今すぐに熱いシャワーを浴びて、そのあとは——
酸味の効いたフレッシュチーズが食べたい。
トマトとバジルを添えて、オリーブオイルをかけたやつ。
そんな、場違いなほど日常的な食欲が、ふと頭をよぎった。
(マジで疲れたんだもん……自分にご褒美ぐらい欲しくなるよ……)
だが、ここからが楽しい時間だ。
徹夜の成果を眺める、収穫の時。
肉は部位ごとに分け、骨は髄液を抜き、皮は丁寧に剥いで塩漬けにした。
どの工程も、考えなくても手が勝手に動くくらいには染みついている。
角は七本すべて、根元から綺麗に切り離してある。
ロイさんの視線が、角の山にだけ妙に長く留まった。
すぐにいつもの顔に戻ったけれど、空腹みたいな何かが一瞬だけ滲んだ気がした。
そして――魔煌玉。
成体のハクゲツの心臓部に宿る、拳大の青白い結晶だ。
魔獣の心臓にできる核は、ふつう 魔石核 と呼ばれる。
けれどCランク以上ともなると、その核はより濃く、より硬く変質し、魔煌玉核 へと変わる。
そこから取り出し、使える形にしたもの。
それが、魔煌玉だ。
まだかすかに体温を残した七つの 魔煌玉 が、朝日を浴びて淡く光っていた。
静かなのに、どこか脈打つような気配がある。
死んだはずのハクゲツが、心臓だけ別の形で残っているみたいだった。
(美しい……。これならいい値段がつく。牧場を買うのに一歩前進だ)
望む未来を思い浮かべて、自然と頬が緩んだ。
そのときだった。
「……改めて考えても、信じられんぞ」
横から聞こえた、重たい溜息。
ロイさんが、呆然とした顔で僕を見ていた。
その視線はまず僕という人間に向けられ、次いで、周囲に散らばる七頭分の「元・ハクゲツ」へとゆっくり移っていく。
「一晩でハクゲツの群れを単独で壊滅させるなんて……鴨葱くん、本当にただの学生か?」
「はは……運がよかっただけですよ。必死でしたし」
言葉とは裏腹に、ロイさんの表情は緩まない。
「運でハクゲツの成体——Cランク(SV240級)の群れは殺せないさ。サポートも最小限で、あっという間に殲滅した。少なくとも、あの動き……十六の学生が持ってていい『胆力』じゃない。本職の戦士でも、手練れの傭兵でも、無傷でこれをやるのは難しいぞ」
声色には、はっきりとした畏怖が混じっていた。
それは単なる戦闘能力への評価ではない。
——理解できない「異物」を前にした、大人の警戒。
「それに、これだ」
ロイさんが視線を落とす。
そこには、二つの山ができている。
ロイさんの足元にある、二頭分の解体跡。
そして僕の周囲には——五頭分の肉と骨が、無駄なく、乱れなく、芸術的に並べられていた。
「戦闘で消耗しきった直後に、一晩で五頭分をここまで綺麗に捌く体力と技術……。俺なんて二頭捌くので手一杯だった。捌いたあとの処理も、断面の美しさも、ずっと鴨葱くんのほうが上だ」
評価は、素直に嬉しかった。
だが同時に、身体の奥で限界を迎えていた感覚も確かにあった。
ハクゲツの成体。
その筋肉繊維は鋼のように硬い。
それを一晩で五頭。
正直、四頭目を終えた時点で、僕の握力は死んでいた。
だからこそ——最後の一頭だけ、「彼」の力を借りたのだ。
「……なぁ、鴨葱くん」
ロイさんの声色が、一段低くなる。
朝の澄んだ空気が、わずかに張り詰めた。
「七頭を殺した戦闘力も異常だが、俺が一番ゾッとしたのは、作業の最後だ」
「え?」
「最後の一頭を解体している時だよ。……あの一瞬だけ、空気が変わった。疲労困憊のはずなのに、まるで『精密な機械』か『何者か』に乗っ取られたみたいに、それまでの四頭とは比較にならない速度と精度で処理していた」
胸の奥が、ひくりと鳴った。
鋭い。
ハンターとして積み上げてきた経験が、ほんの一瞬の違和感——スイッチの切り替わりを見逃さなかったのだ。
「あはは~。さすがにそろそろ早く帰りたいなって思って! 最後は火事場の馬鹿力ですよ!」
「……だといいんだがな。少なくとも、あんたのそれは……戦闘も、技術も、狂気的ですらあった」
「そうですかね? 動物を解体していただくのは、まあよくあることじゃないですか。そもそも戦うの、僕苦手ですし」
「苦手? わかりづらい冗談はやめてくれよ。あれが苦手な人間の戦果なわけないだろう」
(う~ん、ほんとに好きではないんだけどなあ……)
これ以上突っ込まれれば、綻びは確実に広がる。
「……ちょっとの間、あっちで休憩してますね!」
僕は逃げるように、作業場の隅にある木陰へと移動した。
現実から距離を取るように、木陰に腰を下ろした瞬間——脳内に、聞き慣れた声が響いた。
『都合が悪くなったら逃げる回避癖だけは一級品ですね』
(う、うるさいよミネルヴァ! それに……嘘はついてない……僕は一言も「僕の実力です」とは言ってないぞ……!)
『屁理屈じゃな。ワイの「英傑貸出」を二十分も酷使したくせに、ようそんな涼しい顔ができるわい。人の能力で称えられる功績は気持ちええか? あん?』
ドスの効いた低い声。
第一世代・ガンテツが、珍しく不機嫌さを隠そうともしない。
(うぐっ! 申し訳ない……とは思うけど、ガンテツなんかイライラしてない?)
『べっつに? ……最近ワイ、なんも「ものづくり」しておらんからの。久々の指名で、ついにワイの神業で何かを作れると期待しちょったら……まさか真逆の「解体」とはのう。しかも徹夜で。老人いじめるんは楽しいか? お?』
図星だった。
彼の「神の腕」を、ただの精肉マシーンとして酷使してしまったのだから。
創造を愛する職人に、破壊(解体)ばかりさせていれば、そりゃあ臍も曲げる。
(だ、だって……あのとき一番頼れたの、ガンテツしかいなかったんだもん……。あの硬い肉を繊維単位で綺麗にバラすなんて、ガンテツの「神の手」じゃなきゃ不可能だったよ。やっぱりすごいね、ガンテツは)
『……一番、か?』
ピクリ、と気配が変わる。
(ん……うん。一番だよ?)
『……フン。なら今日はこれぐらいにしたるわ。近いうちなんか作らせろよ? 絶対じゃぞ』
(うん、もちろんだよ! 楽しみにしてる!)
『うっわ……。見てて思うけどホノちゃんって、時おり「無自覚人たらしの悪魔」になってるときあるよね? え? もしかして、わざと? 計算? だとしたらガクブル案件すぎ……』
(何を言いたいかはよくわからないけど、ジュリアの言い方は何かムカつくね!)
『ご主人様、ジュリアの言いたいことを要約するなら「クソカス野郎」ってことですわ』
(……それはさすがに要約しすぎだし、だいぶミネルヴァの私情入ってるよね? しかもクソカスって言い方したら、オーガが反応しちゃうよ?)
『あ゛ー!? だれがキレんだ、このクソガキ、クソッカスがよ!!』
(……キレてんじゃん)
脳内の騒がしさに苦笑しながら、僕は現実に戻った。
ロイさんが手招きしている。
「鴨葱くん、今いいかい? 取り分の話をしよう」




