第14話「疲労困憊」
完全に崩壊したヴェルドルの残骸の脇に、私は力なく座り込んでいた。
お尻に伝わる地面の冷たさが、逆に心地よい。
戦いは終わった。
けれど、体中の震えはまだ止まらない。興奮と、恐怖と、そして安堵がごちゃ混ぜになって、指先を痺れさせている。
「…あれは結局、なんだったのじゃ?」
私の膝の上で、セラフィが不思議そうに首を傾げている。
彼女の視線は、私の胸元――父さんの形見のペンダントに釘付けだ。
さっきまで青白く輝いていたそれは、今はただの銀色の装飾品に戻っている。熱も光も失い、沈黙している。
「わかんないよ。…全然、わかんない」
私は首を振った。
父さんは、これを「お守り」だと言っていた。いつか役に立つとも。
でも、あんなことになるなんて。
これは本当に、ただの「お守り」なのだろうか。
遠くから、ざわざわとした人の声が近づいてくる。
学院の校舎から、避難していた生徒や職員たちが恐る恐る出てきたのだ。
私は反射的に、身を縮めて残骸の影に隠れた。今はまだ、誰とも話したくない気分だった。
「…みんな、生きてるよね?」
私の問いかけに、セラフィがふわりと浮き上がり周囲を見回す。
「大丈夫だとは思うがの。女二人も、あの眼鏡の男も、いけすかない小僧も気配はある」
その言葉に少しだけ肩の力が抜ける。
隙間から覗き見ると、担架が忙しなく行き交っているのが見えた。
大破した機体から引きずり出されたマルセル先輩が、苦痛に顔を歪めながら運ばれていく。
その向こうでは、ルシア先輩が自力で歩こうとして止められ、渋々担架に乗せられている。
そして、首のない機体のそばでは、クラウディウスが白目を剥いたまま運ばれていった。
(よかった…本当に、よかった)
涙が滲んでくる。
誰も死ななかった。あの絶望的な状況で。
「あれ?エミリア…」
友人の姿を探す。
彼女の乗っていた機体は、戦場の真ん中で膝をついている。ハッチは開いているけれど、姿が見えない。
「私は、大丈夫」
不意に、隣に誰かがストンと座った。
エミリアだった。
制服は汚れ、髪も乱れている。腕の中には、水滴のような精霊プルルを大事そうに抱きしめていた。
「エミリア!」
「リーシャが無事で、よかった…」
エミリアが私の肩に頭を預けてくる。その体は小刻みに震えていた。
私は彼女の手を握りしめる。冷たい手だった。
「エミリア…ありがとう」
「ううん…」
エミリアは弱々しく首を振った。
「でも、なんでヴェルドルに…」
「なんかね、誰も乗っていないヴェルドルが頭から離れなかったの。逃げなきゃって思ってるのに、あの機体が『ここだよ』って呼んでる気がして。私でもなにかできるんじゃないか、なにかしたいって思ってたら…気づいたら乗っちゃってた」
「あの霧は?最初から考えてたの?」
「ううん、プルルが教えてくれたの」
エミリアが腕の中の精霊を撫でる。プルルが「ぷるっ」と嬉しそうに震えた。
「ヴェルドル、というかシヴァルリィって、エメルの力を増幅してくれるんだって。この街くらいだったら全部霧で覆うこともできるって、プルルが言うの。だから、霧で視界が悪くなれば、リーシャの『耳』でなんとかなるかなぁと思って」
私は目を見開いた。
あの極限状態で、そこまで考えて私を信じてくれたのか。
「…ありがと。おかげでなんとかなったよ。あの霧がなかったら、私たち全滅してた」
「…」
エミリアが顔を上げ、夜空を見上げた。
「私も、もっとシヴァルリィを扱えるようになりたい。もっともっと強くなりたいって、すごく思うようになっちゃった。守られるだけじゃ嫌だ。…怖かったけど、戦えてよかった」
その瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていた。
今日、戦場に立ったのは私だけじゃない。エミリアもまた、覚悟を決めたミディだったのだ。
「一緒に頑張ろ。私も、もっともっともっと強くなってみんなを守れるようにならないと。今はまだダメ。セラフィのおかげでなんとかなってるだけだから」
「お?なんじゃ、急に素直になったのう」
それまで黙って聞いていたセラフィが、ニヤニヤしながら割り込んできた。
「もっと崇めてよいのじゃぞ?わしがいなければ、おぬしらは今頃ただの肉塊じゃったからの!」
その尊大な物言いに、私とエミリアは顔を見合わせた。
張り詰めていた何かが、プツンと切れる。
「ははーっ!ありがたき幸せ!」
私は大袈裟に地面にひれ伏した。
「ははーっ!セラフィ様、万歳!」
エミリアも悪ノリして平伏する。
「うむ、苦しゅうない。もっと褒めよ!」
「あはははは!!」
堪えきれず、私たちは爆笑した。
大きな笑い声が、静まり返った戦場跡に響く。涙が出るほど笑った。生きている実感が、笑い声と共に湧き上がってくる。
「…二人とも、ここにいたのね」
凛とした、静かな声が降ってきた。
顔を上げると、そこには一人の女性教師が立っていた。
薄茶色の髪をきっちりとまとめ上げ、知的な銀縁眼鏡をかけた女性。精霊学担当のイレーネ・ラヴェンダル先生だ。普段は厳格で、あまり感情を表に出さない先生だけど、今の表情はどこか柔らかい。
「イレーネ先生!」
私たちは慌てて立ち上がり、姿勢を正した。
「無事で何よりだわ。学院長がお呼びよ」
「あ、はい…怒られますか?」
エミリアが恐る恐る尋ねる。
正規の手続きも踏まず、勝手に機体を動かしたのだ。処罰されても文句は言えない。
「まさか」
イレーネ先生は、ふっと口元を緩めた。
「功労者を処罰するような真似はしないわ。…よくやったわね、二人とも」
「え…」
「職員室から見ていたわ。通信も全部聞いていた。貴女たちの判断と勇気が、この学院を救ったのよ」
先生の手が、私とエミリアの頭に置かれた。
ポンポン、と優しく撫でられる。
「でも、ノーヴェ。無茶はいけないわ。他人の機体に無理なリンクをすれば、精神に傷が残ることもあるのよ。二度とあんな無茶はしないで。…心配したんだから」
最後の言葉は、震えていた。
先生もまた、必死で私たちを見守ってくれていたのだ。
「はい…ごめんなさい」
「さあ、行きましょう。学院長が待っているわ」
◇
イレーネ先生に伴われて学院長室に入ると、ヴァルデマール学院長が椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「よくぞ…よくぞ守ってくれた。礼を言う」
「いえ、そんな!頭を上げてください!」
私が慌てると、学院長は穏やかな顔で微笑んだ。その笑みに釣られて、みんなの安否を聞いてみた。
「学院長、他のみんなは」
「安心していい。命に別状はない」
学院長が手元のメモを見ながら教えてくれた。
グレゴール教官は、激しい疲労で倒れているが、四肢に欠損などの怪我はない。あの片腕での奮戦は奇跡的だったらしい。
ルシア先輩は、右腕に軽度の骨折――軽くヒビが入っている程度とのこと。
マルセル先輩は、割れたモニターの破片で額を切ったが、傷は浅い。
そして――。
「エルデンベルクだが…気絶しただけだ。外傷はない」
「そうですか…」
ほっとしたのと同時に、少しだけ笑いがこみ上げてきた。あんなに威勢よく飛び出しておいて、気絶だけって。彼らしいというか、なんというか。
「今回の件、おそらく明日以降に、領主であるミラボー伯爵夫人から呼び出しがあるだろう。心の準備をしておきなさい」
「領主様から、ですか?」
「うむ。この街、ひいてはこの国を守った功労者だ。それ相応の扱いがある」
学院長は真剣な眼差しで私たちを見た。
「二人とも見たところ元気そうだが、興奮状態で痛みを感じていないだけかもしれない。念のため、医務室で精密検査を受けてから帰宅しなさい。今日はもう、ゆっくり休むといい」
「はい。失礼します」
私たちは一礼して退室した。
扉が閉まった瞬間、長い長い一日が終わったことを実感し、大きなため息が漏れた。
◇
(Side:ミラボー伯爵夫人カタリナ)
「…勝ちましたか」
報告を受けた私は、執務室の天井を仰いだ。
全身の力が抜け、革張りの椅子に深く沈み込む。
「はい。奇跡的な大勝利でございます」
老執事、ゲオルグの声も弾んでいた。
敵の精鋭『パンターブリッツ』二騎を、学生主体の臨時部隊が撃破した。普通に考えればあり得ない戦果だ。
「被害状況の確認、避難者の帰宅支援、街の治安維持…やることは山積みね」
私はすぐに思考を切り替えた。
喜んでばかりはいられない。領主の仕事はここからが本番だ。
明日にはガリアード団長率いる騎士団の残存部隊が帰還する。彼らのケアと、失われた戦力の補充。考えるだけで頭が痛くなる。
「王都への報告はいかがいたします?」
「あー、それがあったかー」
一番厄介な問題だ。私はこめかみを揉んだ。
「ゲオルグ、適当に言っておいて。『敵は来ましたが、なんか勝手に帰りました』とか」
「そうはいきませんでしょう」
ゲオルグが呆れたように眉を下げる。
「国境からガルドラム軍が侵入した件は、国境の軍から既に連絡がいっているはずです。それなのにミラボーの街は無傷なのに敵機が破壊されているとなれば、詳細な説明を求められます。適当な報告などすれば、逆に疑念を抱かれ、査察団が送り込まれてしまいますぞ」
「分かってるわよ。冗談よ…」
私は溜息をついた。
学生が最新鋭機を倒したなどと報告すれば、王都の軍部が色めき立つのは目に見えている。「その学生を寄越せ」「機体を徴収しろ」と煩いことになるだろう。
「あ、いっそ…」
ゲオルグが言いよどむ。
長年の付き合いだ。彼が言葉を濁す時は、ろくでもない提案か、危険な策がある時だ。
「…いっそ…なに?」
「以前、マクシミリアン公爵閣下が仰られていた『英雄』候補として、彼らを推挙するのも手かと」
「学院の子供たちを!?」
私は思わず声を上げた。
王都の有力者であるマクシミリアン公爵は、低下しつつある王家の求心力を高めるため、民衆が熱狂できる新たな「英雄」を求めていた。
「彼らは、女王陛下と年も近いことですし、『英雄』は若ければ若いほど効果は大きいと思いますが」
「確かに…。若き学生たちが、国を守るために立ち上がった。物語としては最高ね。民衆も熱狂するわ」
けれど、それはあの子たちを政治の道具にするということだ。
「でも、その中の一人はロルフの秘蔵っ子よ?彼が了承するかしら」
リーシャ・ヴァレンティア。
報告によれば、最後の一騎を葬ったのは彼女だという。一番の功労者だ。
「了承する可能性もあると思います。ガリアード団長も女王陛下の身を案じておられましたし、彼自身が以前、リーシャ・ヴァレンティアを女王陛下に会わせたいとも話をしていたことがあります」
「ロルフが?意外だわ。あの子を戦いから遠ざけたいのかと思っていたけれど」
「ヴァレンティア家と王家には因縁もございますれば…おっと、これは失言でした。ご放念ください」
ゲオルグが口元を押さえる。
「因縁?」
私は目を細めた。
ギリク・ヴァレンティアはただの凄腕技師ではなかったのか?
「…カタリナ様。今はまだ、ご容赦ください。時が来れば、ガリアード団長の口から語られるでしょう」
「…そう、分かりました」
無理に聞き出すのはやめよう。ロルフが隠しているなら、それなりの理由があるはずだ。
「では、ガリアード団長が戻ったら確認してみましょう。その返答次第で、公爵閣下へ推挙するか考えます。五人でよいかしら。あ、グレゴールはどうしましょう」
「グレゴールは対象外としましょう。もし推挙したとしても固辞するに決まってます。過去の経緯もありますし、中央政界には関わり合いを持ちたくないでしょうから」
「そうね。彼はやめてあげましょ。じゃあ、ルシア・アルトリーベ、マルセル・ロシュフォール、クラウディウス・エルデンベルク、あ、エミリア・ノーヴェもね。そして、リーシャ・ヴァレンティアとしましょう」
五人の学生。彼らが、この国の未来を背負うことになるかもしれない。
「王都へは、捕虜としたガルドラムの士官…エーリヒ大尉でしたか?彼を早急に送る必要があります。こちらの使者に公爵への手紙を持っていってもらいましょう」
「そうね、直接、公爵に通信するわけにもいかないし。密書という形で状況と提案を伝えましょう」
私は羽ペンを取り紙に向かった。
書くべきことは山ほどある。
「ヴェリアルの受領もありますし、その後の戦力再編…これから忙しくなりますな」
ゲオルグが心配そうに私を見るが、私はニッと笑って見せた。
「そうね!でも、暇してるよりはずっといいわよ!未来のために頑張りましょ!」
窓の外では、東の空が白み始めていた。
新しい一日が始まる。
それはきっと、激動の時代の幕開けだ。




