第12話「動かない!?」
霧の中から飛び出した私の機体に、敵が反応する気配がした。
急停止しようとする音が聞こえる。
金属が擦れ合う音。
精霊力が逆流する音。
だが、酷使された右足首の反応が一瞬遅れる。
その隙を、霧の中に潜んでいたエミリアが見逃さなかった。
『そこぉっ!』
エミリアの乗るヴェルドルが、敵の足元に滑り込み、しがみついたのだ。
泥臭い捨て身のタックル。
華麗さのかけらもない、ただ「止める」ことだけに特化した動き。
敵機が体勢を崩す。
片膝をつきバランスを失う。
「エミリア!」
だが、敵は冷静だった。
苛立ちを露わにするように剣を振り上げた。
そして、容赦なく振り下ろす。
『うあぁっ!』
エミリアの悲鳴。
敵の剣が、エミリアの機体の背部装甲を深々と斬り裂き、火花を散らす。
装甲が弾け飛び、内部機構が露出する。
精霊光が噴き出す。
機体が痙攣する。
だが、彼女は離さなかった。
ヴェルドルの全身が悲鳴を上げても、敵の足を拘束し続けた。
『誰だか知らんが、でかした!』
マルセル先輩が、全速力で突っ込んできた。
盾を構え、自身の機体を巨大な弾丸のようにして敵にぶつかる。
恐怖を振り切り、全力で突撃している。
激突音と共に、二つの巨体が絡み合う。
マルセル先輩のヴェルドルも、衝撃で装甲が歪み、盾が砕け散る。
破片が宙を舞う。
金属の悲鳴が響く。
だが、彼は敵を強引に押し込み、壁際へと叩きつけた。
壁が砕ける。
敵の体勢は完全に崩れた。
『はぁぁぁぁッ!』
霧を切り裂き、赤い流星が走った。
ルシア先輩だ。
彼女の気迫と、炎の精霊力が一点に収束する。
レイピアのような鋭い突きが、敵の胸部——コックピットのど真ん中に迫る。
速い。
美しい。
そして、致命的。
敵は、もう避けられない。
マルセル先輩が押さえつけている。
エミリアが足を拘束している。
逃げ場はない。
ルシア先輩の剣が、敵のコックピットに突き刺さった。
肉を貫くような、鈍く重い手応え。
装甲が裂ける音。
何かが壊れる音。
そして——
静寂。
◇
敵機の動きが、糸が切れたように停止した。
赤い眼光が消える。
機体が沈黙する。
精霊力の反応が、急速に弱まっていく。
『やった…か?』
マルセル先輩の呻くような声。
ルシア先輩が、ゆっくりと剣を引き抜く。
その剣先には、ドロリとした赤い液体が付着していた。
そして、破壊された装甲の隙間から、大量の赤黒いものが溢れ出し、地面を濡らしていく。
月明かりに照らされて、それは黒く光っている。
あぁ…あれは。
あれは——血だ。
『…あ…』
ルシア先輩の機体が、後ずさった。
剣を取り落とす音が響く。
私たちは勝った。
そして、初めて、人を殺したのだ。
◇
コックピットの中で、胃が裏返るような感覚に襲われる。
手が震えて止まらない。
吐き気がこみ上げてくる。
これが戦争。
人を殺し、殺される場所。
頭では分かっていた。
でも、実際に目の当たりにすると——
こんなにも、辛い。
「しっかりせよ、小娘!まだ終わっておらん!」
◇
その瞬間、背後で凄まじい爆風が巻き起こった。
視界の端で黒い塊が宙を舞う。
グレゴール教官の黒いヴェルドルが、地面に転がっていた。
左腕と左脚が根元から失われ、切断面からは夥しい量の精霊光が漏れ出し、火花を散らしている。
機体は痙攣するように震え、やがて動かなくなった。
「教官!」
私は叫んだ。
教官の安否を確認する余裕すらない。
パンターブリッツが、ゆっくりとこちらに向き直ったからだ。
その機体は、グレゴール教官を圧倒したにも関わらず、ほぼ無傷に近かった。
装甲に、いくつかの傷はある。
だが、致命傷には程遠い。
あの教官を、あっさりと——
◇
パンターブリッツが、沈黙する部下の機体に近づく。
その動きは、ゆっくりとしている。
まるで、時間が止まったかのように。
呼びかけているのだろうか。
だが、返事はない。
コックピットから垂れる血を見て、彼は全てを悟ったようだった。
部下の機体に、手を添える。
まるで、祈るように。
数秒間の沈黙。
そして——
「ひっ…」
空気が変わった。
◇
さっきまでの冷徹な軍人の気配が消え、そこにあるのは、荒れ狂う殺意の塊だ。
外部スピーカーなど使っていないのに、怒りの波動が肌を刺す。
彼の機体から吹き出す精霊光が、禍々しいほどに赤く輝き出した。
まるで、血のように。
大気が震える。
地面が震える。
私の心臓が激しく鳴る。
「来るぞ!避けろ!」
セラフィの絶叫。
赤い閃光が走った。
速いなんてものではない。認識した瞬間には、もう目の前にいた。
「えっ——」
◇
衝撃すらなかった。
気付いた時には、私のヴェルドルの右腕が、剣ごと宙を舞っていた。
続く二撃目。
盾を構える暇もなく、重厚な蹴りが胴体に叩き込まれる。
視界が激しく回転した。
天と地がひっくり返る。
私の機体は枯れ葉のように吹き飛ばされ、練兵場の壁に激突してずり落ちた。
全身に衝撃が走る。
頭を強打する。
視界が霞む。
『警告。機体損傷甚大。生命維持モードに移行します』
無機質なアナウンスと共に、コックピットの照明が赤から薄暗い緑へと変わる。
駆動音が消え、静寂が訪れる。
寒い。急速に温度が下がっていく。
◇
「う、動いて…」
どのキーボタンを何回押しても、機体はピクリとも反応しない。
まるで棺桶の中に閉じ込められたかのようだ。
「動いて!」
何度も、何度も叫ぶ。
でも、機体は動かない。
「う、うぅ…」
頭から血が流れている。
視界が霞む。
薄れる意識の中でモニターを見た。
◇
そこでは、ルシア先輩の機体が、パンターブリッツによって一方的に破壊されていた。
エミリアの機体は動かない。
マルセル先輩の機体も大破し、機能を停止している。
唯一動けるルシア先輩が、最後の抵抗を試みている。
だが、力の差は歴然だった。
ルシア先輩の剣が、弾き飛ばされる。
腕を掴まれ、ねじり上げられる。
関節が逆方向に曲がり、折れる音が聞こえた。
『あああぁぁッ!』
ルシア先輩の悲鳴。
敵の蹴りがルシア先輩の足を砕く。
ルシア先輩のヴェルドルが無惨な姿で地面に転がった。
◇
剣が振り上げられた。
その切っ先は、ルシア先輩のコックピットに向けられている。
確実に殺す気だ。
復讐だ。
部下を殺された復讐を、ルシア先輩に——
「やめて…!やめてーーー!!!」
私は叫んだ。
声が掠れる。
嫌だ…。イヤだ、嫌だ、イヤだ!!
「動いて!ヴェルドル!動いてよぉッ!!」
私はキーボタンを力任せに叩いた。
何度も、何度も。
私の声だけが、狭いコックピットに虚しく響く。
◇
「嫌だ…こんなの嫌だ…」
涙が溢れて止まらない。
お願い、誰か。
父さん、助けて!
モニターの中で、パンターブリッツの剣が振り下ろされようとしている。
ルシア先輩が——
「小娘…」
セラフィが私の頬に触れた。
小さな手が、冷たくなった私の肌を温める。
見ると、彼女もまた、泣いていた。
いつも強気で、尊大な女王様のようなセラフィが、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
◇
「動くんじゃ!頼む!この子の願いを聞いとくれぇぇッ!!」
セラフィが、あらん限りの声で絶叫した。
精霊としての誇りも、余裕もかなぐり捨てて。
ただの友として、機体に縋り付くように。
彼女の瞳からこぼれ落ちた涙の雫が、ふわりと舞った。
そして、私の胸元で揺れる、父さんのペンダントへと吸い込まれるように落ちた。
その時。
心臓が、跳ねた。
いや、違う。
私の心臓じゃない。
もっと大きく、力強い鼓動が響いた。
胸元が熱くなった。
父さんの形見のペンダント。
そこから、目が眩むような青白い光が溢れ出し、薄暗いコックピットを満たした。
「…え?」
◇
光の中で、無数の文字と図形がモニターに走る。
死んでいたはずの計器が、次々と息を吹き返す。
いや、それだけじゃない。
限界値を示すレッドゾーンを遥かに超えて、ゲージが振り切れていく。
出力が上がっていく。
どこまでも、どこまでも。
機体が唸りを上げる。
まるで、目覚めたかのように。
「これ…なに?」
「分からぬ…じゃが、これは…!」
セラフィの驚愕の声。
そして——
私の体が、浮いた。
いや、機体が立ち上がったのだ。
動かないはずの機体が、勝手に立ち上がった。
「動いた…!」
私は叫んだ。
そして、モニターを見た。
そこには——
剣が、ルシア先輩に振り下ろされようとしている光景が映っていた。
「間に合って!」
私は、全力で意思を込めた。




