本当の断罪
「――ッ!?」
突然、脳裏に何かの情景が湧き上がった。
色とりどりのドレスや黒の礼装を身にまとう人々が集まった王宮の舞踏会。
そこには今よりもずっと見栄えの悪いナタリーに向かって婚約破棄を突きつける私自身の姿があった。その私は婚約者を前にして、隣には派手なドレスを身にまとった女を侍らせる不埒な有り様だった。
『貴方の腕にぶらさがってる女が、貴方の最愛のマドレーヌですよ』
「――私のではない!」
私が愛しているのはナタリーだ。私はマドレーヌなどに惑わされてなどいない!
だが、頭の中で流れ続ける映像は私の心とは正反対に進んでいく。
泣き出すナタリーをみっともないと蔑み、二度とその醜い顔を見せるなと怒鳴りつけて王宮から追い出した。
婚約破棄されたナタリーには帰るところはなかった。その世界のブランシュ侯爵はナタリーの実父で、毒婦であった愛人母娘の言いなりの傀儡だ。リゼットのいない愚鈍な私では侯爵家の内情に気づくこともできないのだから当然野放しのまま。絶望の表情のまま街を彷徨った挙げ句、彼女は破落戸に殺された。
ナタリーを殺した者達に報酬を与えるマドレーヌの様子も克明に脳裏に描かれる。
『可哀想なナタリー。悪魔のような元婚約者のせいで若い命を落とすなんて』
吟遊詩人が語るように大仰に嘆いて見せるが、カエルムの顔は変わらず笑顔のままだ。
ナタリーが死んだという報告を受けたくせに罪悪感さえ抱かない私は確かに悪魔そのものだ。そうして自ら望んだ恋人と結婚に至ったわけだが、両親や大臣は私達夫婦を認めず、立太子されぬまま燻る日々が数年続いた。
その後にナタリーを殺した黒幕が私の妻となったマドレーヌだと弾劾される。厚顔無恥なナタリーの父親達も尻馬に乗って私を非難し、娘の死を嘆いて見せた。妻は処刑され、私は婚約者を死に追いやった元凶として破滅した。子供もいたが、愚かな私はわが身の不幸を嘆き酒に溺れるばかりで、子供達を省みることなく何を成すことも無く野垂れ死んだのだった。
『王位は貴方の弟が継ぎましたが、貴方達の夫婦のせいで王権の維持が難しくなり、徐々に貴族達の専横も酷くなって王国は荒れていきました』
創世神カエルムは歌うように、愚かな私が辿った未来を語る。
『そして100年後、リゼットが16歳の時に他国から侵略を受けました』
この先の言葉が恐ろしくて仕方がない。止めて欲しいと願っても、止める言葉すら私の口には上らない。
『殆ど庶民と変わらぬ生活を強いられ、誰からも忘れられていたリゼット一家でしたが、彼女達が王家の末裔だと密告を受けた反王家派が処刑台へと引きずり出したのです』
頭の中には情景が流れ続けていて、他国からの侵略に乗じて台頭した反王家派に捕らえられたリゼットと、恐らく彼女の両親と兄らしき青年が次々と処刑されていった。何の罪もない一家が処刑された瞬間、集まった民衆達から大きな歓声が上がる。この処刑は圧政からの解放を象徴する意図があったのだろう。
『教会辺りが情報を売ったのでしょうねぇ。まぁ、安心してください。神が愛する一族を悪徒に売り渡す者には天罰を下しましたから』
全ての国民は教会で洗礼を受ける。だから表向き平民を装っていても、洗礼の際に登録された名前を引き出せば、血筋が露見してしまうことは必然。カエルムを祀る神官にも関わらず、愛し子の末裔である王族を売ることは死に等しいだろうに愚かな真似をしたものだ。
その後、反王家派は王侯貴族を排除し、侵略者達と交渉の席を設けようとしたが叶わなかった。反王家派は所謂労働階級出身の者達ばかりで、権威の無い人間を対等に相手にするほど侵略者達は紳士的でなかっただけの話である。
そうして我が祖国ルリジオンは歴史の中に消えていったのだった。
『セレステの末裔を殺して悦に入る者達など、この世界から葬り去ってしまおうかと思ったですが……リゼットが両親と兄を助けて欲しいと願うので、歴史を変えることにしたのです』
恐らく、リゼットもまた愛し子であったのだろう。彼女の願いを叶える為に、カエルムは歴史を変えた――人知の及ばぬ力に私はただただ震え上がることしか出来ない。
「リ、リゼットは未来を変えることで自分が消滅することを知っていたんですか?」
『当然でしょう。彼女は自分の魂と引き換えに、消滅する運命にあった家族の魂の救済を願ったのですから』
どういう理屈の話なのかは分からないが、リゼットはカエルムと交渉して家族の安寧を約束させたのだろう。その結果、自分が消滅することも受け入れていたのだ。
『さて、愚かな貴方に種明かしをしたことで溜飲が下がりましたから、私はそろそろ帰るとしましょう』
カエルムはどこまでも笑顔だった。けれど冷え冷えとした微笑が私には恐ろしかった。
『くれぐれも、この王国を滅亡させないように気を付けなさい。この世界線には自分達を不幸にした貴方さえ救おうとした、賢く慈悲深いリゼットはいないのですからね』
恐らく彼は私を恨めしく思っていたのだ。自らと愛する妻セレステの末裔だとしても、このルリジオン王国を滅亡に追いやった私を許しはしなかった。
「リゼット、すまない……」
神の気配が去った後、口を衝いて出たのは謝罪の言葉だった。謝ったところで彼女に聞こえるわけもない。届くわけもない。だって彼女はいない。今も昔も、未来永劫いないのだ。私が王族として正しい未来を歩まなかったから生じた不具合なのだから。
「すまない。本当にすまなかった……」
可愛らしいアクセサリーに目を輝かせた幼気な少女が、真実私の不徳の後始末をする為に殺されたのだ。
彼女も、彼女の両親や祖父母も、弟の血脈もまた愚かな私のせいで生み出され、不幸になった。それを正しい道を歩み始めた私に突きつけることが、カエルムからの断罪であったのだ。
どうすることも出来ないと分かってはいても、それでも私は溢れ出る涙を止めることは出来なかった。




