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 聖女という存在。あるじ様の共犯者となったわたしが、その帰還方法を聞いたとき、はじめに思ったのは、簡単すぎる、ということだった。

 あるじ様自身もそう言っていた。

 それにしても――。

 召喚には、命という代償を求めた存在が、血の一滴だけで、聖女を帰す?


 わたしはあるじ様を信用している。信頼している。

 けれども、その優しさ故に、わたしに何かを隠すことがあることも、知っている。

 臣下とは、主の手足。主が臣下に、すべてを教える義務などないことも知っている。


 幸い、わたしはあるじ様の側近として認知されていた。

 だから、調べることができた。

 あるじ様の祖先が行ったように、彼らの神を喚ぶことができた。


 ――わたしはガーウィン公爵家の、契約の神に、尋ねた。


 あるじ様がわたしに言った聖女様の帰還の方法は、正確ではなかった。

 一部は合い、一部は違う。

 聖女様が召喚された時点で、異世界との道というものは、開き続けている。

 ただ、人間の目には見えなくなっているだけ。神には見えている。

 必要なのは、人間にも道を見えるようにすること。

 道が見える条件の一つは、召喚されたのと同じ日付であること。だから帰還の儀式が行えるのは、一年に一度だけ。時刻は関係ない。


 そして――命だ。


 喚ぶのに必要なのだから、帰すのにも必要に決まっている。

 ……誰の?

 契約の血筋の。

 あるじ様の。

 わたしは、重ねて神に尋ねた。

 他の誰かではいけないのか? それなら、わたしが何人だって見繕ってみせる。

 何人だって、何十人だって。


 ――すると神は、わたしの命を所望した。


 わたしが命を捧げれば、あるじ様は、助かる。


 喜んでわたしは応じた。

 わたしの命は、リンカの帰還の際に、捧げられることになった。


 わたしはあるじ様を、来たるべき日まで、騙すことになった。

 けれど――あるじ様も、重要なことをわたしに隠していたのだから、お互い様だ。

 それに、主を救うのは、臣下として当然のこと。


 これから――わたしの魂はどこに行くのだろう。

 死後の世界なんて、あるのだろうか。

 そこはやはり、苦しい場所だろうか。

 汚れきった、わたしに、ふさわしい場所だろうか。







「…………?」


 瞼が、震える。

 わたしは、何度も瞬きした。天井が見えた。……天井?

 誰かが、見下ろしている。


「あれで、お前は満足だったのか」


 聞き間違えるはずがなかった。あるじ様の声だ。困惑する。その声音は冷たく、抑えた激しい怒りを含んでいた。


「…………?」

 わたしは上半身を起こした。目が見える。身体も動く。どうやら、寝台に横たわっていたようだ。見知った調度品がある。……ガーウィン公爵家の本邸。あるじ様の部屋だった。

 そしてやはり、寝台の側で、わたしを見下ろしていたのは、あるじ様だった。

 混乱する頭で、質問の意味を考えてみる。

 わたしが死ぬ――死んだはすだ――直前までのことだろう。


 満足?

 聖女様――リンカを故郷へ帰した。そうすることで、リオルナーに復讐した。殺すのではない。生きてこそだ。生きながらして……生きているからこそ、リオルナーは苦しみを味わう。

 何より――あるじ様の命が失われることもなかった。


 満足だったか?

 あるじ様の忠実な臣下として、答えは決まっている。

 もちろん、満足だ。


「はい」


 わたしは、答えた。


「お前の命が、喪われてもか」

「はい」

 あるじ様が生きているなら、それでいい。


「――お前は、俺を殺す気か!」


 わたしは大きく目を見開いた。あるじ様が、わたしを強く抱きしめたからだ。


「……あるじ様?」

「その呼び方は止めろ」


「ですが……」

 あるじ様の身体は、あたたかい。あたたかくて、居心地が悪い。逃げ出したくなる。もがいたが、拘束する力が強くなっただけだった。


「お前は俺をフリードと呼んでいたはすだ」

「それは……」

 口ごもる。あの山小屋では、何もしらなかったから。

 知った後も、側に居続けるためには。


「俺が死ねば、お前も死ぬんだろう」

「……はい」

 かつて、わたしは確かに、そう言った。


「それは、お前が死ねば、俺も死ぬということだ。一方通行ではないんだ……! 覚えておけ」


 ――本当に、お前は、俺の予想しなかったことばかりをする。


 あるじ様……フリードが呟いた。


「だって、フリードは、生きたかったんでしょう? リンカを帰したら……」

 あのままわたしが何もせずにいたら、リンカが帰った後、フリードが命を落としていたはずだ。そんなこと、あっていいはずがない。


「そうじゃない。代償は、アレが気まぐれに決めている。お前には俺の命が必要だと言い、俺には……」

「一滴の、血だと」

「それも、違う。一滴の血でも、俺の命でもない。もっと別のものだった」

「別の……」

「知らなくていい。――何であろうと、お前の命以外なら、俺は代償などなんでも良かったんだ。だが、だからこそ、アレは、お前には、お前の命を捧げろと言ったんだろうな」

 フリードが、苦く、笑った気配がした。


 沈黙が落ちた。

 わたしは身体の力を抜き、フリードの胸に頭を預けた。鼓動の音がする。


 フリードは生きている。

 わたしも、生きている。


「わたしが、生きているのは……」

「お前を遺跡から連れ帰って、アレと、契約をし直した。俺の命も、お前の命も半分になった。その上、アレの手の内だ。……逃れられない。俺はわかっていて契約した。だが、セルマ、お前は、ここで命を永らえたことを後悔する日が、来るかもしれない。――いや、するだろう」


 間が空いた。


「……俺を、恨むか?」


 わたしはフリードに抱かれたまま、小さくかぶりを振った。


「まさか」


 臣下としてのわたしは、見返りなど求めない。むしろ、危険を冒しわたしを助けたフリードを間違っていると諫めるべきだった。

 でも、出来なかった。

 浅ましくも、喜んでしまったわたしがいる。

 フリードが、自分の命を半分、捨ててくれたことを。


 ――本当は。


 ただの、わたしは、フリードと、もっと一緒に、いたかったのだから。


「ごめんなさい」


 こんなわたしで、ごめんなさい。


 それから。


 少し躊躇って、自分から、


「ありがとう、フリード」


 フリードの背中に、手を回した。







 リンカが帰還し、国に激震が走った日から、数日が経過した。


 わたしはいまも、たった一人の主に仕えている。

 けれども、主――ガーウィン公爵、フリード・エルレーという人を、再びフリードと呼ぶようになった。

 聖女の帰還に関わったとしてフリードとわたしは近く、査問のために登城することになっている。

 リオルナーは国中から同情を集め、聖女様を呼び戻そうとする気運すら高まっていた。

 対し、ガーウィン公爵と言えば、もはや悪の中の悪。悪の代名詞だ。


 ――ただし、査問にも、そのことに対しても、恐れはなかった。


 現在、国王に実質の権力はなく、国政に強く関与しているのは、王妃と王弟。王弟はフリードに味方し、王弟派の足並みは揃っている。問題は王妃と王妃派。そちらのほうも、王妃派の切り崩しに成功していた。何より――国は、聖女を召喚することのできるガーウィン公爵家を失えない。


 あらかじめ、結末の決まっている査問だった。


「失礼いたします」


 わたしはフリードの執務室を訪れていた。王弟派に属する貴族から、ある提案を受けていたからだ。それについては、わたしの一存では決められない。彼の意見を聞く必要があった。


「あるじ様。少し宜しいでしょうか」

 フリードは嫌そうな顔をした。


「セルマ。二人きりだ」

「……フリード」

 宜しい、とでもいうように、フリードが頷く。でも、何故フリードがそんなにも「あるじ様」と呼ばれるのを嫌うのか、よくわからない。いまだ、わたしには「あるじ様」のほうが馴染みがある。


「少し、フリードに確認しておきたいことがあるの」

「確認?」

「火傷の跡を、治したほうがいい?」


 王弟派の貴族から言われた言葉を思い返す。


 ――お前がガーウィン公爵の懐刀だということはわかっている。裏で働く分には問題もなかったろう。しかし、表では……。その醜さはどうにかならぬのか? 見苦しい。お前も登城すると聞いた。陛下や殿下の御前にあがるのだぞ? ガーウィン公爵家には神治師がいるだろうに……。恐れ多いというなら、わたしが公爵に口添えしてやろう。いいか。その火傷の跡をどうにかするのだ。……まったく、ガーウィン公爵も、何を考えてこのような様を放置しておくのか……。表向き、どうせそばに置くなら、もっと美しく、地位のある娘がいくらでも……。


 火傷の跡を治す。

 考えたこともなかった。


 隠そうとも、してこなかった。それが許されていた。傷跡を隠せ、とフリードがわたしに命じたことはなかったから。


「誰に言われた?」

 眉間に皺を寄せフリードが問う。


 わたしは、それには答えず、顔の左側に触れた。額から鼻にかけて、醜い火傷の跡がある。

 火を近づけて、何度も躊躇いながら、自分で焼いた、その証。


「フリードは、治したほうがいい?」

「――お前が治したいなら、そうすればいい。神治師には命じておこう」

 

 本来なら、奇跡でも起きない限り、わたしには決して受けることのできなかった治療。……それを受けられる。有り難い、ことだ。

 わたしが望めば――。

 この証は、消える。

 しかし、喜びは、わきあがって来ない。


 わたしは、治したい、んだろうか?


「…………」


 フリードが、執務用の席から立ち、わたしの近くまで来た。わたしの顔の火傷の跡を、わたしの手ごと、その大きな手で包む。


「俺が治せといったら、治すのか?」


 そのとき、はっとした。


 少し前のわたしだったら、あるじ様のご命令であれば、と従っていた。

 だから、こうして訊きにきてしまったのだろう。

 けれども、心の中では、とっくに定まっていた答えが、明瞭になった。


 わたしは。


「――わたしは、このままで」


 自分で焼いた、この傷跡があってこそ、わたしだ。

 

 わたしの身に起こった、よくある話。

 あの過去があって良かった、などとは言えない。何も起きなければ、いまもわたしは王都の平民街に住んでいて、父や母と暮らしていたろう。

 暢気で平和で、少し傲慢な街娘として。

 降臨祭には沸き立ち、聖女様の結婚式に憧れ――。もちろん、顔に傷跡などない。


 けれども、ここに、フリードの側に立つわたしは、あの過去があって、生まれた。


 この火傷の跡は、わたし自身。わたしが形作り、わたしを形作るもの。


 醜くとも、恥じることはない。誰が言おうとも、隠す必要などない。

 わたしは、治したくない。


 ――治さない。 


「このままに、しておきたい」


「わかった」


 フリードが微笑んだ。


 この人がこんな風に笑うことは、わたしだけが知っている。




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― 新着の感想 ―
ものすごい小説ですね。衝撃的でした。圧巻です。
[良い点] 主人公が貴族にされたことって短期間、無理やり犯されただけだよな。妊娠したわけでも、暴力を受けたわけでもなく。それほど憎むことか?開放されてからの周囲からエロい目向けられたり、邪険に扱われた…
[良い点] セルマの感情がとても丁寧に書かれていてよかったです。 また、フリードとの出会いのシーンも劇的で素敵でした。 [一言] 雪上でのアクション(斬り合い)、実写でも見てみたいですね。
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