第十三話:調査
一人の男が、一〇匹の走竜をいとも容易く瞬滅し、体長一〇mを超える大型の魔物に至っては、まるでボロ布を裂くように顎を引き裂き、さらに粘土に拳を突き入れるがごとく、素手で眉間を貫いてしまった。そんな光景を間近で見せつけられた者たちは、助かった喜びよりも、信じられないものを見たという感情のほうが強いようで、一人を除いて誰もが声を失っていた。一人とはカーリのことなのであるが、彼女だけはソルの勝利を純粋に喜んでいるようだった。全員の視線が集中するなか、ソルは何事もなかったかのように仲間のもとへと戻った。
「まったく、呆れた腕力ですわね。亜種とはいえ、魔物化した地竜を素手で引き裂くなど」
「あれは地竜というのか、デカいだけで動きは遅いし大したことはなかった」
「それは…… 確かに本物の竜種と亜種とでは強さのレベルが桁違いですけれども。一般的に地竜は強敵と言われておりますのよ」
「そうなのか? それよりだ、もう魔物の気配は感じないが、どうだ?」
強そうな魔物の気配が周辺から無くなったことで、ソルはカーリに確認するよう催促した。カーリは辺りをひとしきり見回すと、ソルを見上げて言った。
「うーん、ちかくにはいないのです」
「そうか、それなら俺たちの仕事は終わりだな。帰るぞ」
調査隊にとっての脅威が去ったのだから、もう自分たちの仕事は無くなった。そう考えて歩きだそうとしたソルに、エルネスティーヌが待ったをかけた。ソルは不思議そうな顔をしてエルネスティーヌを見ている。
「お待ちくださいな、まだ契約は完了しておりませんの。わたくしたちが結んだ契約は、調査隊の調査が完了してギルドに帰りつくまでですから、もう少しお待ちなさいな」
「そうだったのか、興味がなかったのでよく聞いていなかった」
結局、エルネスティーヌとグレゴワールの交わした契約内容を、興味が無いからよく聞いていなかっただけかと、ソルは納得し、今後はこういったことが無いようにと、密かに誓ったのであった。
「ほら、あなたたちは呆けていないでさっさと調査を続行してくださいな」
なにか別次元の物語を鑑賞する視聴者のように、ソルたちの会話する姿を見ていたクリスチアーノと傭兵は、エルネスティーヌに催促されたことで、我に返ったようだ。彼らは全員の無事を確認すると、周辺の調査を再開したのだった。つい今しがた繰り広げられた戦闘の痕跡。雷に打たれ、有機物が焼け焦げようなた異様な匂いを発する走竜の死体や、引き裂かれた地竜やソルに一刀両断された走竜から飛び散った、どす黒い血液を避けるように、地面に残された黒い染み、ちりじりに破け、乾燥した赤黒い血液が付着する皮鎧、折れ曲がった剣や槍など、全滅したと思われる傭兵たちが襲われた痕跡を調べている。
ソルたちは、邪魔にならないように少し離れたところから調査の様子を見ていた。
「ソル、今のうちに言っておきたいことがありますの」
「なんだ?」
「人間は地竜を素手で引き裂いたりできませんの。このままではあなたの噂が広まって、わたくしたちの旅に支障をきたすことになると思いますわ」
それは尤もなことだと納得したソルは、しばらく考え込んだが、これといった対策を考えつくことができなかった。しかし、何もしないわけにはいかないと考え、仕方なくではあるが、神としての力を行使することを提案した。
「では、記憶を改ざんするか?」
「今回はそうするしか方法がありませんわね…… ですが、今回限りにして頂きとうございますの。そもそも、あなたはですね――」
ソルはエルネスティーヌの小言を聞きながら自問していた。良かれと思ってやった行為が、やりすぎて裏目に出た。確かに少し恰好つけようとしたことはソルも自覚していた。しかし、魔法の命名は失敗するは、エルネスティーヌに小言を言われるはで、思うようにはなかなか行かないと肩を落とすソル。それを見かねたカーリとルシールは、ソルに慰めの言葉をかけたのだった。
そうこうしている間に調査が一段落したようで、クリスチアーノが走り寄ってきた。
「助けてもらったばかりで言いにくんだが、ソルさん、あんた時空魔法が使えるよな」
「ああ、使えるが」
「よかった、死んだ魔物を処分したいんだが、大きすぎて俺たちだけではどうにもできないんだ。このまま放っておくと新たな魔物が寄ってくるし、死肉を喰った獣が魔物化してしまう。だから時空魔法で処分してほしいんだ」
ソルたちの実力を知り、命を助けられたからだろう、クリスチアーノの口調はまだ乱雑だが、今までの横柄な態度からは一八〇度変わって、妙にかしこまっている。しかし、ソルはそんな彼の態度の変化よりも、頼られたことの方が嬉しかった。今まで、自発的な行動ばかりで、人に限らないが、頼られたことなどほとんど経験したことがないソルにとって、それは賞賛されたり褒められたりすることよりも、とても心地よいものであった。少し暗かったソルの表情が笑みを含んだ明るいものへと変わったのだった。
「そんなことでよいのなら幾らでも協力しよう。俺に任せておけ」
元気を取り戻し、意気揚々として、俺の出番だとばかりに張り切るソルの耳をエルネスティーヌが引っ張る。
『張り切るのはいいですが、くれぐれもやりすぎないようにお願いしますわ』
このときソルは自分が浮かれていたことに気付き、今しがた言われたばかりの小言を思い出して、やりすぎないようにしよう。と自身を戒めたのであった。それでも、人に頼られた嬉しさが抜けることは無く、明るい表情で歩み出ると、傭兵たちを下がらせて詠唱を開始したのであった。
「俺が欲するは虚空。虚無を持って、その忌まわしき血肉を深淵なる闇へと葬り去れ」
走竜や地竜の死体がゆっくりと宙に浮きあがっていく。そして、次第に霞がかかったように、透けるようにしてその存在が薄らいでいった。そして最後には完全に透明になって消失したのだった。誰も気付いていないが、この時ソルは、クリスチアーノと傭兵たちの記憶を改ざんししていた。ソルが地竜を素手ではなく剣で倒したことに。
「よし、これでいいだろう」
「ええ、この程度でしたら問題ありませんわ」
エルネスティーヌのお墨付きをもらったソルは、安心したようにクリスチアーノに問いかける。
「調査は終わったのか?」
しかし、クリスチアーノの答えは否であった。大小の石によって塞がれた坑道の中をこれから調査する必要があるそうである。ソルは魔法を使って邪魔な石を退けてしまおうかと提案したが、クリスチアーノは、それくらいなら自分たちにもできる。何から何までソルたちに頼ることは控えたいと言って傭兵たちのもとへ走って行った。傭兵を集めて指示を出していたクリスチアーノは、彼らと共に石を運び出す作業を開始したのだった。
「今日は帰れないかもしれませんわね。聞いてきますわ」
しばらく作業の様子を見ていたエルネスティーヌは、そう言ってクリスチアーノのもとへと歩いて行った。今後の予定を聞いているのだろう、しばらく話し合っていた二人だったが、どうやら終わったようでエルネスティーヌが戻ってきた。
「石を排除する作業はもうしばらくかかるらしいわ。今日中に石を排除して、ここで一泊し、明日の朝坑道に入って調査の続きを行うとのことでしたわ」
「ならば俺たちは飯の準備でもするか?」
「そうですわね。ここは血生臭いですから、場所を移動しましょう。彼らに伝えてきますから待っていていただけますか」
「いえ、私が伝えてきます。エルはここにいてください」
王女にばかり仕事をさせていることに気後れしたのだろうか、歩き出そうとしたエルネスティーヌに代わって、ルシールが用件を伝えに走った。その間に辺りを見回したソルは「あの辺でどうだ?」と北の方角を指差し、エルネスティーヌとカーリはそれに頷いて了解の意を示した。ルシールが戻ると、ソルたちは坑道から北へ数分歩いたところにある大きな岩の手前で、火を起こし、食事の準備を始めたのだった。メニューは先日捕えたガゼールの串焼きだ。ソルが亜空に保存しているので、腐ることは無いし、まだかなりの量が残っている。エルネスティーヌは、野菜を入れたスープか煮込み料理でも作りたいと言っていたが、あいにくと鍋や野菜を持ってきていないので、串焼きだけという事になった。それでも美味いガゼールの串焼きを食べられるのだから、ソルにとってはそれで十分だった。
日が傾き、西の空が赤く染まったころ、焼きあがったガゼールの串焼きに噛り付きながらソルは考えていた。ここまで、まだ僅かな時間ではあるが人と寝食を共にしてみたことで、色々なことを経験し、新たな感情や知識を得るに至った。それは、不自由のない神界でのみ生活していれば、想像さえできなかったことであり、新鮮なものであった。これからも彼女らと行動を共にすれば、もっと様々な事を経験できるだろう。そして、それは遥かなる未来に自分が創造するであろう世界の、礎となる経験になるはずである。父親が言った『人の世の理』を、少しだけではあるが学び、理解したことで、ソルはこのイースティリア世界を旅する意義を得たのであった。
火が沈み、食事が終わってしばらくして、ようやくクリスチアーノたちの作業が終わったようだ。今日経験したことに満足したソルは、その礼というわけではないが、ガゼールの足を一本、亜空より取り出して作業を終えたクリスチアーノと傭兵たちに分けた。彼らは恐縮していたが、ソルの「気にするな」の一言を聞くと、喜んでそれを受け取ったのだった。
クリスチアーノは、今から夕食の準備をして食事をとったあとは、傭兵たちと交代で寝ずの番をするそうである。自分たちは外で夜を明かすので、ソルたちは小屋で寝てくれと言って夕食の準備を始めたのだった。
「そういうことなら、わたくしたちは遠慮なく小屋で眠ることにしましょう。いいですわね」
エルネスティーヌの確認めいた問いかけに、誰も異を唱えなかったので、ソルたちは小屋で一晩ぐっすりと睡眠をとったのであった。
翌朝、目覚めたソルが小屋の外に出ると、辺りには濃い朝霧が立ち込めていた。坑道の入り口付近では火がたかれており、傭兵が二人で番をしていた。おそらく、交代しながら番を続けているのだろう。ソルたちが泊まった小屋は、二階に仮眠用のベッドが備えてあり、四人はそこで睡眠をとったのだが、起きて来たときに一階には誰もいなかった。クリスチアーノと傭兵たちは坑道で夜を明かしたのであろう。
「もう起きておられたのですね。ソル様、ここは冷えます。中に戻りましょう」
いつのまにか横に来ていたルシールは、そういってソルを小屋の中へと連れ戻した。小屋に戻ると、エルネスティーヌとカーリも起き出して来ており、カーリがソルに抱きついてきた。
「おはようございますなのです」
カーリは朝から元気一杯なのであるが、エルネスティーヌは低血圧なのか、すこぶる機嫌が宜しくない。
「まったく、調理道具があるならあると、はじめから教えて欲しかったですわ。ソル、スープを作りますから肉を少し出してくださいな」
不機嫌モード全開状態のエルネスティーヌには逆らうまいと、ソルは亜空からガゼールの肉を適量切り出して彼女に渡した。ソルから肉を奪い取り、調理場にあった保存食をくすねたエルネスティーヌは、ルシールに調理を手伝わせて、スープと簡単な朝食を作ったのだった。
朝食を終えると、エルネスティーヌの不機嫌もおさまったようで、食器を片付けて外に出たときには、すっかりいつも通りの彼女に戻っていた。外は既に朝霧が晴れてきており、陽の光が山に遮られて少し肌寒いが、大岩が生える遠方まで見通すことができるようになっていた。ソルたちが小屋から出るのを待っていたのだろうか、坑道入り口の焚き火の前にいたクリスチアーノが一人駆け寄ってきた。
「おはよう。今から坑道に入り、調査を再開したいんだが。よければ一緒に来て欲しいんだ」
その言葉を聞いたソルは、一旦エルネスティーヌを見て、彼女が仕方ありませんわねといった仕草をするのを確認すると、クリスチアーノに了解の意を返す。近頃はよく小言を言われるせいであろうか、エルネスティーヌの機嫌を特に気にするようになったなと、ソルは感じたのだった。
坑道へは傭兵の見張り二人を残して、クリスチアーノを先頭に、ばらけ無いように纏まって入ることになり、ソルたちは最後尾を任された。坑道に入ると、微かにではあるが以前感じたことのある気配を、ソルは察知したのだった。




