第十二話:走竜
大岩が点在する緩やかな上り勾配の大地が唐突に終りを告げた。前方には切り立ち、岩肌を露にした崖がそびえている。その崖の麓には坑道の入り口が見え、横には比較的大きな小屋が建てられていた。ただし、坑道の入り口は崩落によるものだろうか、大小の岩で塞がり、僅かに上部に隙間が開いているだけだった。その塞がった坑道から続く道は南に向かっており、轍が溝を作っている。エルネスティーヌの話によれば、ここから南西に流れる小川まで鉱石を運ぶための道らしい。その道は川沿いにオニコポス村の南側まで続いているとの事である。
クリスチアーノ率いる調査隊は、大岩の影から身を屈めて鉱山に近づくと。比較的背の高い草陰に隠れた。坑道入り口の方を覗き見るようにして魔物の気配を探っているようだ。
「カーリ、魔物の気配は感じ取れるか?」
「すぐ近くにはいないのです。南のほうになんびきかいるのです」
カーリは辺りを見回すと、クリスチアーノの様子を見ているソルを見上げてそう言った。
「一匹じゃないのか?」
「えっと、小さいのが一〇ぴきと大きいのがいっぴきいるのです」
「まずいな、奴らを呼び戻すか」
ソルがそんなことを考えているとき、草陰のクリスチアーノは何かを見つけたのか、別働隊に向かって手招きを始め、自分達は坑道の入り口のほうへ向かって歩き始めた。別働隊はそれを見てクリスチアーノの方に走っていく。そして、別働隊がクリスチアーノに合流してすぐだった。
「ソルおにいちゃん、北のほうからまものがいっぴき近づいてるのです。すごくはやいのです」
「いくぞ!」
走り来る魔物の強さを瞬時に判断したソルが、クリスチアーノたちのところへと走り出す。エルネスティーヌとルシール、カーリもそれに続いた。
「魔物だ! 北のほうから近づいている。お前達は逃げろ」
その警告に、地面を見ていたクリスチアーノが、驚いたように振り向いた。そして、北の方角を見ると傭兵たちに指示を出したのだった。それは、ソルの意図するところとは違うものだった。
「不味いことになった。走竜だ! この距離では逃げ切れん、戦うぞ。防壁の魔法が使える奴は準備しろ! 槍を持ってる奴は前に出て陣を組め」
走竜の接近を目にしたクリスチアーノは、即座に戦うことを決断したのだ。傭兵たちは彼を信頼しているのだろうか、迷うことなくその指示に従っている。ソルとその仲間達がクリスチアーノの近くへ駆けつけたときには、向かってくる走竜の姿が、その凶暴な容姿がはっきりと見て取れる所にまで迫っていた。その姿は大きく強力な後脚と、それに比して小さいが、鋭い三本の爪を備えた腕を持ち、長く重厚な尻尾で体のバランスを取っていた。魔物化した影響か、まだらに紫がかった体色をしている。クリスチアーノは既に詠唱を始めており、走竜が目前にせまると、その魔法を放ったのだった。
「我が欲するは灼熱の炎。火炎弾」
直径一mあろう炎の塊が、走り来る走竜の五〇cm近い頭部に着弾した。火炎弾を頭部に喰らった走竜は大きくのけぞると、首の近くまで避けた大きな口を開け、けたたましい雄たけびを上げる。ダメージはほとんど無いようであったが、突進を食い止めることができた。もし、そのまま突進されていたら、傭兵たちは確実に吹き飛ばされ、蹂躙されていたであろう。このとき、ソルはクリスチアーノと傭兵たちがある程度は戦えると踏んで様子見をすることにした。今にも飛び出しそうにしているカーリとルシールを視線で抑える。
「ヤバイと判断したら助ける。それまでは様子見だ」
走竜が雄たけびをあげているうちに、槍を持った傭兵たちが半円形に取り囲み、槍でけん制をしている。その隙に魔法で攻撃を浴びせている。走竜が大きすぎて、とても剣では手出しができないようだった。
「ほう、よく戦っている。個々の実力は魔物に比べて貧弱だが、連携によってうまく補っているな」
「ええ、でもぜんぜん効いていないようですわね。このままでは……」
善戦していると言っていいクリスチアーノと傭兵たちであったが、状況のほうは芳しくなく、エルネスティーヌが指摘したとおり、魔物の攻撃を凌げてはいるが、ダメージを与えているようには見えない。次第に、防壁魔法の効果が薄れ、槍を弾き飛ばされる者が出てきた。それでもなんとかクリスチアーノの魔法攻撃で持ちこたえているが、ついに、保たれていた攻撃と防御のバランスが崩れかけてきた。
「チッ、このままじゃ時間の問題か。頼む、もう少し凌いでくれ」
何とか踏みとどまっている傭兵たちに向けて、そう言ったクリスチアーノが詠唱を開始する。
「我が命ずるは氷塊。散在する数多の水よ、我が下に集いて凝縮せよ。我が全ての魔力を喰らいて凝結し、氷結せしめて凍てつく槍となせ。フリーズランスッ!」
クリスチアーノの頭上に形成された巨大な氷の槍が、魔物めがけて放たれた。氷の槍が魔物の胸に白い冷気を振りまきながら吸い込まれるように突き刺さる。かのように見えた。が、現実は残酷なものだった。魔物の胸に吸い込まれたように見えた槍の先端は、脆くも砕け散り、魔物の足元に散らばっている。魔物には傷ひとつ負わせることができなかったのだ。それを見たクリスチアーノは、諦めたように「すまん」とだけいって膝から崩れ落ちた。もう魔力が残っていないのだろう。
「限界だな、助けるぞ。カーリは防御結界をはって皆を守ってくれ。叩き潰してくる」
「お待ちください。ここは私が出ます。エル、援護願えますか」
ルシールの申し出に、ソルは頷き、エルネスティーヌも詠唱を始めることで了解の意を示した。
「わが命ずるは紅蓮の炎、密集し渦を成せ、寄り集いて槍を成し焼き尽くせ、炎の槍」
突き上げられた指先から、灼熱に燃え盛るマグマを連想させるがごとき炎の渦が形成され、それは次第に鋭く長くなり、矛先を魔物に向けた。次の瞬間、エルネスティーヌの詠唱によって顕現した炎の槍が魔物の頭部めがけて突き進む。それと同時だった。投擲された炎の槍に隠れるようにして、ルシールが翔る。炎の槍を見て咆哮をあげた魔物の口に槍が突き刺さった。魔物の頭部は紅蓮の炎に包まれる。同時に、弾丸のような速度で飛び込んでいったルシールの剣が、魔物の首を切り裂いた。灼熱の炎に焼かれ、切り裂かれた首からはどす黒い血しぶきが舞う。そして、首を切り裂かれた魔物は、断末魔の叫びを上げることもできずにぐらりと地に伏したのだった。
「さすがシーだな。傭兵達とは動きのレベルが違う」
「仮にも近衛副隊長を務めていたのですから、当然ですわ。あの程度の敵に苦戦などするはずがありませんの」
エルネスティーヌはさも当然の如く言っているが、クリスチアーノや傭兵から見れば、走竜クラスの魔物をいとも簡単に切り伏せてしまうなど、想像もつかないこどであったようだ。彼らは全員が全員、今起こった現実を信じられない。といった感じで、目を見開き口をポカンと開けて固まっている。しかし、気を持ち直したクリスチアーノが、ソルのところに戻って来るルシールへと、何とか立ち上がってふらふらとした足取りで歩み寄ると、頭を下げて礼を言った。
「ありがとう、助かったよ。俺はもう終わったと思ったんだ。まさか君たちがこれ程の実力者だったとは…… 今まで生意気なことを言って申し訳なかった。このとおりだ」
「何、気にすることは無い。お前達が危なくなったら手助けするのが俺たちの役目だ」
「あの程度の魔物、ソル様が出るまでもありませんでした」
ルシールの強さを目の当たりにして驚愕し固まっていた傭兵達も、クリスチアーノが礼を言っている間に正気を取り戻し、安堵の表情を浮かべていた。しかし、そんな安心した雰囲気のなかでも冷静でいたエルネスティーヌによって不穏なものへと変わる。
「それはそうと、安心するのは早いのではなくて? 南の方にまだ魔物の気配がありましてよ」
「エルのいうとおりなのです。もう、ちかくまできているのです」
その言葉を聞いてこの場にいる全員が一斉に南の方角に顔を向けた。切り立つ山沿いの遠方から迫っている集団がソルの瞳に映った。クリスチアーノと傭兵たちの表情は安堵から絶望へと変わっていく。それはあたかも、雪山で迫り来る巨大な雪崩を前にしたときのような、どうしようもない絶望感とでも言えばいいのだろうか、強大な力を前にした弱者が己の運命を知り、全てを諦めたときのような空気が流れたのだった。
「カーリ、俺以外全員を守る結界魔法を張れ。シー、エル、今度はお前達でも太刀打ちできそうにない。カーリの張る結界の中で大人しくしていろ」
絶望の空気が漂う中、一人平然と迫り来る脅威を俯瞰していたソルが南へと歩を進める。それを確認したカーリが詠唱を始めた。胸の前で腕を交差させて組み、上を向いて言葉を紡ぐ。
「風よ風よ、守りの風よ、回りて守れ、われらを守れ」
カーリを中心に風が渦巻き始め、それは次第にその大きさを増していった。そして全員を包み込むとその厚さを増し、強固で鋭利な触れるもの全てを切り刻むような風の防壁となった。
「みんな動いてはだめなのです。回っている風にさわったら大けがするのです」
風の防壁を後ろにして立ちはだかったソルは、迫り来る魔物の群れを待ち構えるように立ち止まり、視線を前方に据えている。やがて、つい先ほどエルネスティーヌとルシールが始末した走竜の魔物が、群れをなして突進してきた。その数一〇匹、そして、その後ろからズシンズシンと巨大な魔物が姿を現す。体長五mほどの走竜が小さく見えるその大きさは体長一〇mを超え、体格は走竜をそのまま大きくしたものよりも、かなり肉付きがよくがっしりとしている。姿形は似ているがそれはまるで別次元の怪物だった。ソルは右手に剣を持ち、迫り来る走竜の群れを迎え撃つ。土煙を大量に巻き上げながら襲い掛かる走竜の集団がソルを飲み込んだ。集団の速度はその後も衰えることなく、カーリが築いた風の防壁へと次々に突き刺さっていく。が、ぶつかったはなから弾き飛ばされていった。土煙が晴れると、一匹の走竜がソルに左手一本で鼻頭を押さえ込まれ、その動きを封じられていた。
「ふむ、たいそうな勢いだったがこの程度か」
ソルはそう言って左手を離すと、右手の剣で走竜の頭を一刀両断にしてしまった。が、風の防壁に弾き飛ばされた走竜たちがよろよろと立ち上がり、前方からは巨大な魔物が迫っている。
「全部を切り伏せるのは面倒だな」
ソルは魔法を使って走竜の群れを一掃することにした。エルネスティーヌにきつく言われているので、魔力はトゥレイス級に抑えなければならない。トゥレイス級の火炎では倒せないことが既に実証されているので、ソルは電撃を選択したのだった。たとえ倒せなくてもしびれて動けなくなるだろうと。そして、詠唱をその場で考え、唱え始めた。
「俺が欲するは雷。数多の槍と成りて、天空より降り注げ。その名は……」
ここまで唱えて沈黙したソルは後ろを振り返えった。二の句まで唱え、いっちょここは命名してやろうと考えたのが失敗だったようだ。格好いい名前を思う浮かべることができずに命名にできなかったのだった。じつに間抜けな一幕であるが、カーリが展開している防壁の魔法で、その中にいる者たちにはソルの詠唱が聞こえなかったのだろう。ソルの態度を見て不思議そうにしているエルネスティーヌやルシールに、頭をかきながら舌を出したソルであった。それでも、二の句までは確実に詠唱が完了している。一拍の間を空けて、轟音と共に走竜たちを落雷が貫いた。雷の衝撃と流れる電流で体内を焼かれた走竜たちは、その一瞬で絶命したのだった。
ブスブスと煙を上げながら倒れ伏していく走竜を確認したソルは、いよいよ目前に迫った怪物に目を向ける。一mを超える巨大な頭部には中ほどまで裂けた口があり、そこからは一〇cmを超える反った円錐状の鋭い歯が見える。怪物はその口を大きく開けて地響きのような咆哮を発すると、ソルを飲み込まんと襲い掛かってきた。が、ソルは慌てることなく巨大な口を開けて迫り来る怪物の上顎と下顎を両手で掴むと、おもむろにそれを開いて、まるで紙でも破るように引き千切ったのだった。下顎を引き千切られた怪物は、もがき苦しむようにどす黒い血を垂れ流しながら、その場にズシンと崩れ落ちた。ソルは崩れ落ちた怪物の残った頭部の眉間の辺りに、左の拳を叩き込むと、拳は眉間にブスリと突き刺さり、怪物はピクピクと痙攣して息絶えたのだった。
防壁の中でソルの戦い振りを見ていたクリスチアーノと傭兵たちは、ルシールが走竜を切り殺したときとは異なり、大きく顎を落として、まるで冗談でも見ているかのように驚愕していた。この時ばかりはエルネスティーヌもルシールも、彼らほどではないが、あっけに取られたように口を開けて固まっていたが、カーリだけは即座に防壁を解いて手をたたいて喜んだのだった。




