前編
「ジョセフィーヌ エステ公爵令嬢、私は君との婚約を破棄したいと考えている。」
貴族学院の卒業パーティーの場、貴族学院の生徒一同、保護者多数の中でジュリオ王太子は宣言した。
「理由は君のはしたない嫉妬で、ブリエンヌ カイン男爵令嬢に嫌がらせ行為が誰の目にも余る状態にあることだとてもこの国の未来の王妃に相応しくない。」
公爵令嬢ジョセフィーヌは銀の髪とエステ公爵に受け継がれる赤い瞳の凛とした雰囲気のある美しい少女だ。ジュリオ王太子の後ろに少し隠れるように立っている金髪の柔らかい巻き毛と薄い水色のあどけない幼女のような瞳を持つブリエンヌ男爵令嬢とは対照的だ。
「君はブリエンヌ男爵令嬢の大切にしている押し花の栞を盗んだ、彼女は雨の中日が暮れるまで探したんだ、なぜなら、栞の押し花は私が初めて彼女に贈った花で作ったんだ、それを君は盗んだ、さっき君の部屋で見つけたこれが証拠だ。」
青い勿忘草の小さな花の栞をジュリオ王太子は差し出す、ジョセフィーヌ公爵令嬢は静かに反論する。「確かにその栞は私の部屋に預かっていました。お返ししたかったから、私の目の前でその栞を落とされた時に私は何度も呼びかけて渡そうとしました。それを全く無視して振りかえずに行ったのはそちらです。」
「そんな嘘がよくもつけるな、冷酷貴族とは君の様なものの事だろう、そのごてごてとした赤い宝石でみを包み、平気で貧しい平民から搾取するあさましい姿だ。」
ジョセフィーヌ公爵令嬢は赤いガーネットの耳飾り、首飾り、指輪をしている。ドレスもそれを引き立てる薄いグレーの輝く絹だ。
「このガーネットの飾りは我エステ公爵家に伝わる家宝です、150年前の我スポレート王国建国のおりにリチャード王から共に戦かった証として頂き、我が家の忠誠と誇りとして守ってきたもの、悪し様に言われるのは心外です。」
背筋を伸ばし凛とした瞳で見返され、ジュリオ王太子はタジタジとするが
「誇りだ忠誠だと貴族は言うが、イシドロフ侯爵事件をみよ。国を思う民衆への仕打ちは貴族の本質だろう。」
それまで会場の貴族達は公爵令嬢への惨い言葉に憤慨の感情を持ち、王太子への反論を意気込んでいたが、イシドロフ侯爵の名を聞いて雰囲気は一変した。その空気を読んでジュリオ王太子は自分が勝ったと思った。
「今我が国に必要なのは、古い誇りに身を飾った女性ではなく、野に咲く花に思い出を込めて大事にするブリエンヌ男爵令嬢のような女性だ。」
ジュリオ王太子はブリエンヌ嬢の手をとる、そして皆に広めるように会場の真ん中に進み出る。ジョセフィーヌ公爵令嬢の横を通り過ぎる時に、ブリエンヌはちらりと公爵令嬢を見た。あざけ、蔑み、勝ち誇った視線はジョセフィーヌ公爵令嬢にだけわかった。
思わずブリエンヌ男爵令嬢につかみかかろうとしたが、ブリエンヌ男爵令嬢はひらりと身をかわし、ジョセフィーヌ公爵令嬢の手はジュリオ王太子に向いてしまった、運悪く指輪のガーネットが王太子のほほに当たってしまった。
「これは反逆罪だ」少し赤くなったほほに手を当てて王太子はジョセフィーヌ公爵令嬢をにらみつけると「反逆者を捕らえろ。」衛兵は公爵令嬢を囲んだ、
「お嬢様に触れるな」公爵令嬢の従者が守る様にジョセフィーヌ公爵令嬢の前に立つ、
「レオン、いいのよ私をかばわなくて。」
この理不尽な状況で周りの貴族から何の声もあがらない事がジョセフィーヌ公爵令嬢の立場の悪さをしめしていた。
王太子の我儘の様な婚約破棄と男爵令嬢との結婚、これが王家に認められるのには訳があった。
1年前に放蕩貴族イシドロフ侯爵がおぞましい事件をおこした。自分の金と性癖を満足させるために、幼児を誘拐し、慰み者にし、同じ趣味のある者に売り付けた。小さな遺体は広大な屋敷の中に埋められていた。被害者は貧民の子ばかりではなく、裕福な平民の子が誘拐されたり、子目当てに強盗に入り一家惨殺という事件もあった。事件が公になった時にはイシドロフ侯爵は屋敷に火を放ち自死したが、仲間や客の存在を隠した 貴族の仲間がまだいるはずだと、民衆は感じていた。
天候不順が続き不作になり、不況が始まり、民衆の怒りが溜まっていたところに起こった貴族の腐敗を示す事件に貴族を中心にした今の王家に不満を示すようになっていた。各地で、暴徒が貴族の倉庫を襲ったり、王都でも、広場に集まりイシドロフの仲間を探し出せと叫んだりした。
王家はこの難局を民衆に寄る事で解決する事にしたのだ。ブリエンヌの父男爵はイシドロフの罪を告発した孤児院の持ち主だった。
ブリエンヌはその妖しい美しさと王太子の異常な寵愛から、無敵の令嬢と影で噂された。
「ジュリオ王太子に会わないといけないんだ、どうにかしてくれ、私を司法長官にしてもらわないとヤバいんだ。」
ブリエンヌの部屋からカイン男爵の焦った声がする。婚約破棄の日から3か月、民衆の怒りを抑えようと結婚式は早められ今日がその日そして夜、ジュリオ王太子はなぜこんな時間にまで父親が残るのか、そして司法長官という言葉にひっかかるものを感じてドアの前に止まった。
「お前にならできる、この身体を使えば若造はならひとたまりもないはずだ、私が教えた通りにするんだ。」
その声には何とも言えずいやらしさがある、この言葉に、ブリエンヌに自分がどうしてあんなにも惹かれたのか、あどけない瞳が伏せられた時のなまめかしさ、手を取られた時の指の柔らかさ、学園の少女達にはない秘密が暴かれた。ジュリオ王太子はドアを開けた
それに驚いた男爵はかけていたソファーから立ち上がった、しかしその片手は夜着にガウンをまとう娘の肩に置かれたいる。
「どういうことだ。」真っ青な王太子を見て男爵は色々な事が気付かれのを悟った。
「殿下、もうわかられたようなので、ぶっちゃけますよ。イシドロフ侯爵事件に私は関わっていました。どうします、公爵令嬢を婚約破棄してまで選んだ娘の父親を捕まえますか。そんなスキャンダルに王家は耐えられますか。もう一蓮托生なんですよ、私を司法長官にして、証拠をなくせば、全て上手くいくんですよ。」
ジュリオ王太子は男爵にこれ以上おぞましい話をさせたくなかった。
手近にあったガラスの置物でその頭を殴っていた。
「何ってこった、悪党とはいえ義理の父ですよ。まずい事になりましたね」
部屋の隅からぬうっと黒い服を着た男があらわれた、いつもカイン男爵に付き従っているポールという男だった。
ジュリオ王太子とブリエンヌ嬢の結婚式の夜、悲劇は起こった。エステ公爵家に呼び出されたカイン男爵は殺され、エステ公爵は屋敷に火を放ち一族もろとも自決した。花嫁の不幸に同情し、王太子夫妻は民衆から大きな支持を得られた。
「後は、出来るだけ早く子供を作ることだ、そうすれば、民の支持は決定的になる。」
国王は王太子夫妻とお茶を飲みながら話した。
「貴族達は王家から距離をとろうとしだしたからな、文官や武官も積極的に平民から採用すればよい。そうすれば貴族達も己の立場が弱まるとあせってこちらに戻ってくる。心配はいらないぞ、しかし王太子妃よ、もう少しマナーに気を付けた方が良いぞ。外交の場面で不都合な時もある。」
椅子の座り方、カップの持ち方、王妃はとても及第点ではない平民の嫁に注意したかったが、いじめていると噂されるのが怖くて言えなかった。
「ブリエンヌは努力しているのですよ、もう少し待ってください。」
いつもジュリオ王太子はかばっていた、熱愛した娘と結婚したのだから味方になろうとするのだ、しかし甘やかしすぎではないか、国王夫妻はそう感じていた。
「しかし、あの公爵がイシドロフとつながっていたのは驚きました、高潔だとみんな思ってましたもの、だから娘と婚約までさせたのに、裏切られましたが、結果的には良かったですね。」
「お母様その話は、ブリエンヌの前では止めて下さい。」真っ青な顔でジュリオ王太子は話を遮る、確かに酷い惨劇だが、成金で下品な態度が鼻につく男爵を嫌っていた王妃にとって、事件は都合のいいものだった、だから捜査はおざなり。
「とにかく、子供が生まれる慶事があれば少しは社会の不安も落ち着くはずだ」
ジュリオ王太子の顔色はもっと蒼くなり、手も震えだした。二人を急いです下がらせると、王太子妃の酷いカーテシーに王妃は眉を顰めた。
ジュリオにとって夜は地獄だった。寝室の片隅で一人酒をあおり、妻のベットでの睦言を耳にいれるまいと必死に抑えた、しかしベットの中の二人はそれを楽しむかのように声を上げた。ブリエンヌと彼女の幼馴染だという男ポールの声が部屋に響く
「仕方ないでしょう、あなたは私が抱けないんだから、誰かに種を付けてもらわないといけないのよ。」「すまないね、殿下なかなか孕ませられなくて、毎晩頑張っても難しいよ」ポールは笑う、どんな残酷な事をしても、いつも笑っている、ジュリオが殺した男爵を見ても笑って、始末してあげますよと簡単に言った、死体を軽く担いで、以前に緊急脱出用にブリエンヌに教えた寝室の秘密通路を使い出て行った。
そして、エステ公爵家に行きあの犯行を行ったのだ、きっと笑ってやったのだろう、何度も何度もイシドロフ侯爵事件の時のように残忍な犯行を犯していたのだろう。
ジュリオは引き込まれた深淵のおぞましさから目を背けようと、酒を浴びるしかなかった。