第40話 董卓、上洛する
「本当にこのまま上洛しても大丈夫でしょうか・・・?」
慌ただしい外の喧騒とは打って変わり、董卓の幕舎のなかは静かであった。
董卓の娘婿である牛輔は膝をにじらせ、声をひそめるようにしながら董卓に対して懸念を口にしていた。
心配性な彼にとって、何進から洛陽へ招聘する檄文が届いたことも不審だが、董卓が上洛を即決したことも不可解であった。
牛輔は自分たちを誘殺するワナではないかと疑い、慎重に様子を見るべきとの考えを持っていたのだ。
出陣の一報を聞いて居ても立っても居られなくなった彼は義父のもとへ行き、思いとどまるよう説得を試みていた。
何しろ、現在の朝廷から董卓へ注がれる視線は決して好ましいものではない。
非合法に軍を河東郡に駐屯させ続ける董卓はいつ処罰されてもおかしくない存在であり、このタイミングでゴーサインが発動されたと考えるのはあながちうがった見方とは言えないのだ。
「大丈夫だ。わしのカンでは、これからまだひと波乱もふた波乱もあるぜ!乗り遅れてはなんねぇんだ。」
董卓はいやに自信たっぷりである。
それもそのはずで、董卓は洛陽の宮廷事情についてかなりの確度で情報を手に入れており、今回の何進の招聘に危険な裏がないことを読み切っていたからだ。
董皇太后派の壊滅により情報源を多く失いはしたが、それでも董承など董卓に情報提供を行ってくれる廷臣はまだまだいた。
また、謀臣の賈詡に命じて洛陽方面へかなりの数の密偵(スパイ)を放っており、それによってもたらされる情報もあった。
現在董卓の意識は洛陽へすべて向けられていると言っても過言ではない。
一度ならず二度も軍の引き渡しを拒み、朝廷の権威をないがしろにした自分が処罰を受けないのは、朝廷内部がそれどころではないからだとわかっていた。
さらに、自分が握っている軍事力が脅威ととらえられているだけでなく、味方につけたいと思わせる魅力も持っていることも認識していた。
董卓は三輔や涼州で自立する野心を温めていたが、それとともに洛陽で政変が起った場合にすぐ介入したいという想いも持っており、言わば好機が到来したのであった。
(何進とは会ったこともねぇが・・・あまり賢い奴じゃなさそうだ。それに・・・ずいぶんと気の小せぇ男のようだわい。)
董卓にはそのようなことを考えるゆとりすらあった。
普通に考えれば、武官のなかでナンバーワンの地位にある何進は洛陽城内でもっとも多くの兵を擁する存在であり、より多くの兵を集めなければならない理由はない。
相手は後宮の実力者といっても所詮は宦官であり、直接大軍を握っているわけではないのだ。
これでは何進にたいした実力がないことを満天下に向けて暴露したようなものだった。
それに何進がいたずらに外から兵を呼び集めることは、別の思惑を疑われても仕方がない。
見ようによっては宮城を攻めて王朝自体を転覆させようとしていると言われかねない。
こう考えると、何進やその取り巻きが行ったこの兵力増強策は軽率であるし、悪手である。
何よりいけないのが、董卓という「非合法的存在」にも助力を呼びかけた結果、彼が握っている軍の指揮権を「合法的」なものとしてしまったことであった。
「虎に翼をつけて野に放つ」どころか、「虎に翼をつけて身内に抱え込む」ようなことをしてしまったのである。
この願ってもないチャンスを董卓は最大限に活かすつもりである。
白々しい顔で何進配下の将としてはせ参じ、やがては何進の勢力ごと乗っ取ってしまうのだ。
腹中に黒々ととぐろを巻いた野心を抱えながら、董卓の心はすでに洛陽へと飛んでいくようであった。
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曹操が指摘したように、いくら内密にことを運ぼうとしても何進らの動きが後宮に漏れないはずがなかった。
いや、むしろバレたとなると、何進はかえっておおっぴらに洛陽に軍が参集してくることを広言し、後宮に圧力をかけた。
それまで何事にも強気の姿勢を崩さなかった何皇太后も、洛陽が兵乱の場となり新帝の治世の始まりがこれ以上血で汚れることを憂慮した。
何進の圧力に屈した形で中常時や小黄門といった高位の宦官をみな解任して私邸に帰らせ、後任人事を何進に一任すると宣言したのである。
何進に任命権を与えさえすれば、さすがに宦官を皆殺しにはしまいとの考えであった。
こうして張譲や趙忠ら大物宦官は宮中から一掃され、宮城外の私邸で逼塞を余儀なくされた。
さらには司隷校尉の袁紹が洛陽城内外の武官をとりまとめ、虎賁中郎将の袁術が宮城内の兵を指揮下に収めつつあった。
袁紹の献策はその目的を達したかに見えた。
しかし、長年生き馬の目を抜くような政争をくぐり抜けてきた張譲らがおとなしくしているはずがない。
彼らにしてみれば、「失脚=死」なのである。
何皇太后と違い、これですべてが終わったとの甘い幻想を抱かなかった。
宮中追放後まもなく、張譲・趙忠らはひそかに連絡を取り合い、早速善後策を協議した。
まずは様子見もかねて何進に哀訴し、復職を願った。
だが、何進の返答は冷たいものであった。
「今日の天下の乱れは、お前たちのせいだ。間もなく董卓が来る。命が惜しければ、とっとと故郷に帰るのだな。」
けんもほろろ、とはこのようなことを言うのだろう。
この回答を受けて張譲の考えも固まった。
張譲の屋敷をひそかに訪ねてきた趙忠との間で、次の策に対する結論はすぐに出た。
「消すか。」
「ええ、かの者を殺すほかありますまい。」
張譲らの策は実にシンプルであった。
敵の頭である何進を早々につぶす。
そうすれば、求心力を失った配下の者たちは各個に撃破することが可能と踏んだのだ。
「しかし・・・こちらには大将軍府を攻めるだけの兵がない。」
問題はどのようにして何進の命を奪うかである。
張譲らが私兵をかき集めて大将軍府へ兵を向けても、成功の公算はほとんどないであろう。
それにグズグズしていては、各地から何進の檄に応じた軍が次々と集まってきてしまう。
「皇太后さまにおすがりし、まずは宮中に戻らねば。その後、あやつを宮中へ呼び寄せましょう。」
「それしかないか・・・。」
何皇太后をだまし、何進をもだまし討ちにする。
首尾よく何進を討つことができても、何皇太后からどのようになじられるか知れないが、もはやそのようなことにこだわっていられないほど状況は切迫している。
「いざとなれば、玉(皇帝のこと)を握ればよろしいのです。」
いつも通り優しげな趙忠の声だが、ゾッとするような冷えた感情が込められている。
さすがの張譲も身震いする思いだった。
趙忠はいざとなれば何皇太后を排除し、少帝をコントロール下に置こうというのである。
詔書(皇帝の命令書)の発信元さえ押さえておけば、いざとなれば敵をすべて「賊」にすることができるのだ。
この点、むやみやたらに「共犯者」を増やし、隠密性と迅速性を損なった何進らに比べれば、張譲たちの方がはるかに陰謀の何たるかを知り尽くしていたと言ってよいであろう。
陰謀をなすには、いかに最小限の時間と人員で効果的に敵の急所を突けるかどうかが重要なのである。
策が決まれば一刻も無駄にはできない。
張譲がその足で向かったのは、養子・張奉の妻のところである。
彼女は何皇太后の実妹である。
彼女やその母の舞陽君に何皇太后へ取りなしを頼み、復職を図ろうとしたのだ。
「わたくしは罪を得たため、息子やあなたとともに故郷に帰らねばなりませぬ。代々の天子に受けたご恩を思えば、宮殿から遠く離れるのは心残りがございます。願わくばいま一度皇太后さまと陛下のご尊顔を拝し奉りたいのです。さすれば、故郷に引きこもってやがて死を迎えようとも何の心残りもありませぬ。」
言葉こそ哀願調であるが、これは脅しである。
聞いた張奉の妻は、大粒の涙を流した。
張譲が都落ちすれば、家族の一員である自分もこのきらびやかな洛陽を捨てねばならないのだ。
彼女は実母の舞陽君に泣きつき、舞陽君は何皇太后に泣きついた。
母から張譲の言葉を伝え聞いた何皇太后は、その美しい眉をひそめた。
その瞳に浮かんだのは不快感ではなく、老いた張譲への憐れみであった。
もし不快感があったとすれば、それは兄の何進へ向けられたものである。
彼女は元々宦官を排除することに反対であった。
宦官が後宮で、何進や何苗が外朝で支えることで、我が子少帝の治世が安定すると信じていたからだ。
「母上、安心ください。ただちに詔を出しましょう。張譲らの謹慎を解き、再び宮中へ戻れるようにします。兄には私から話します。いずれ、地位も復させるようにしましょう。」
「おお・・・これで一安心じゃ。」
張譲らの策は半ば成功した。
完全復帰とはいかないが、宮中へ戻ることはできたのだ。
ただ、綱渡りのような状況には変わりない。
張譲らは次なる策謀へと移っていったのだった。




