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三国志天の記  作者: 沖家室
2章 天を壊す者【董卓伝】
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第21話 董卓、命拾いをする

2章の主役は董卓です。


よく後漢の衰退のきっかけとして黄巾の乱が紹介されますが、筆者はむしろ董卓による朝廷と地方の分断が後漢王朝を重症化させたと考えています。


董卓が何をもたらしたのか、描いていければと思います。

 張角兄弟の相次ぐ死により、黄巾の乱自体は規模の割にあっさりと1年経たずに平定された。

 実態はともかく、後漢王朝の朝廷ではそのような受けとめがされた。

 黄巾軍以外にもいくつかの地域で反乱軍の勢いが盛りあがっているが、朝廷としては一区切りをつけたいという意識がそこにはにじんでいた。


 だが、そうなったらなったで、今度は別の難題が持ち上がっていた。

 反乱平定に功のあった武将たちに褒賞を授けねばならないのだ。

 洛陽城の奥深く、実際に皇帝や朝廷を動かしている宦官たちにとっては、頭の痛い問題であった。


「いまいましいが、皇甫嵩(こうほすう)らが黄巾賊の平定に功があったことは認めねばなるまい。さて、どう処遇すべきであろうかのう。」


「鷲」を思わせるような風貌の持ち主、張譲(ちょうじょう)が口火を切る。

 その口調は不機嫌そのものである。

 執念深い彼は、皇甫嵩が黄巾の乱勃発時にいまわしき党人たちの復権を皇帝に願い出たことを忘れていない。

 皇甫嵩に黄巾軍討伐の軍勢を率いさせ、何か失敗を犯せばそれを理由に処罰してやろうと手ぐすね引いて待っていたのに、皇甫嵩は逆に次々に戦果をあげ、いまや天下一の名将と褒めそやす者まで出てきているそうなのだ。


「昇進はさせねばなりますまい。ただ、軍権は取り上げねば我らに牙を向くやもしれませぬ。光禄大夫(高位の名誉職。本来は皇帝の諮問に応えて議論を行い、意見を具申する官職)あたりを与えておけばよろしいでしょう。」


 女性を思わせる甲高い声で応じたのは趙忠(ちょうちゅう)である。

 その声にいつもの柔らかさはない。

 付き合いの長い張譲には、趙忠の不機嫌が手に取るようにわかった。

 なにしろ、元々皇甫嵩に討伐軍を率いさせるアイデアを出してきたのは彼であった。

 皇甫嵩の大活躍を面白く思わないのは当然だ。


 不機嫌さが思考の幅を狭めるのか、趙忠のアイデアにいつものような冴えがない。

 皇甫嵩らから軍権を取り上げることは可能だが、光禄大夫は驚くほどの高位でもなければ実権ある地位でもない。

 わかりやすく祭り上げるだけの人事であるため、周囲をうならせるものがないのだ。


「光禄大夫か・・・なるほど、それは良いな。ただ、わしはあれらを地方へ出しても良いのではないかと思うておる。どうじゃな、冀州刺史や涼州刺史あたりに任じては?治績を上げれば、中央での栄転させるとのエサをちらつかせての。」


 張譲は趙忠の提案を称賛しつつ、そろりと自分の案も提示してみせた。

 冀州も涼州も相変わらず反乱の火の手が燃え盛っている地域である。

 刺史は州の長官ではあるが、州全体の軍権を握る存在ではなく、その統治は困難なものとなることが予想された。

 皇甫嵩や朱儁をこの統治困難地域の責任者に据え、今度こそ何らかの失点を犯すのを待つ腹だった。

 もちろん、うまくいった場合の栄転など、張譲にとっては空手形以外の何物でもなかった。


(光禄大夫くらい露骨に薄い褒賞とするくらいならば、刺史にしても問題あるまい。兵を取り上げれば、いかに皇甫嵩といっても失敗するじゃろう。それにいくら空手形を切っても、我らのふところは痛まんしの。)


「お待ちくだされ。陛下は皇甫嵩らに将軍位を授けることを望んでおられます。いまだ天下の混乱は収まらず、陛下におかれましては皇甫嵩らのさらなる活躍を期待されておられるのです。」


 ひときわ大きな声で張譲らの会話をさえぎったのは、蹇碩(けんせき)である。

 相変わらず武人と見まごう筋骨隆々な身体を誇り、全身に自信がみなぎっている印象だ。

 それもそのはずで、最近急に軍事への関心に目覚めた霊帝からより厚い信頼を寄せられるようになり、張譲の地位を脅かしかねない存在になっている。


(余計なことを・・・。)


 張譲にとっては歯ぎしりする思いだった。

 このところ蹇碩は霊帝から諮問される機会が増え、張譲としては大変やりにくい。

 これまで霊帝の突飛な思いつきをするたびに張譲や趙忠が「矯正」してきたのだが、蹇碩は霊帝に迎合するばかりで軌道修正が効きにくくなっている。

 大将軍になった何進だけでも厄介な存在になりつつあるのに、これ以上高位の将軍を増やされてはかなわない。


「では、陛下はいかなる将軍位をお考えであられるか?」


「皇甫嵩に驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)、朱儁に車騎将軍(しゃきしょうぐん)をお考えにございます。」


「なんと・・・!」


 張譲はめまいがしそうだった。

 驃騎将軍とは大将軍に次ぐナンバーツーの将軍位であり、車騎将軍はナンバースリーの将軍位だ。

 大将軍に外戚の何進が座っている現在、与えうる最高位の将軍となる。

 どちらも反乱討伐など非常時に置かれる将軍であり、霊帝としては実績ある皇甫嵩らに各地の反乱鎮圧を委ねたいという思いがあるのだろう。

 しかしながら、厚遇にもほどがある、というのが張譲の率直な感想であった。


「ただ、大将軍への遠慮もあり、実際には車騎将軍と衛将軍あたりに落ち着くのではありますまいか。」


 それでも手厚すぎる、と張譲は思った。

 衛将軍はナンバーフォーの将軍位で、こちらは臨時職ながら皇帝の身辺を守るのが役目である。

 ただ、皇帝の意思次第で外征に出すことも不可能ではないため、反乱鎮圧に使う目的自体は変わらないのだろう。


「いやぁ、本音を言えばそれがしに将軍位を賜りとうござったが・・・まぁ、うまくいかぬものですな。」


 ガハハッと笑う蹇碩の能天気な顔を見ながら、張譲は必死に善後策を考えていた。

 何進に続いて2名も高位の将軍が誕生すれば、自分の権勢にどんな悪影響が出るかわからない。

 しかも、その2人とは黄巾の乱で力量を発揮した連中なのだ。

 どうにかして影響が少なくなる方法を考えねばならない。


「蹇常侍。車騎将軍より位を下らせる必要はございますまい。」


 張譲がぐるぐるとまとまらぬ思考を繰り返すなか、隣から柔らかい声があがった。


(趙忠は、何か名案を思いついたようじゃな。)


 いつもの声色を取り戻した趙忠の様子に、張譲は静かに安堵した。

 張譲には思いつかない名案を思いついたに違いないと期待したのだ。


「皇甫嵩と朱儁の両者に車騎将軍をお授けになればよろしい。」


「しかし、車騎将軍に限らず高位の将軍は1名が定員と定まっておりますぞ!?」


「いまは各地で同時に乱が起きる非常時でございます。むやみに皇甫嵩と朱儁に差をつけることなく、左右の車騎将軍を置けばよいのです。また、皇甫嵩に冀州刺史を、朱儁には光禄大夫を兼ねさせ、まずは涼州の賊に備えさせるのがよろしいでしょう。」


「なぜ、冀州刺史や光禄大夫を兼ねさせる必要がござろう?」


「冀州の平定という皇甫嵩への命令はまだ生きております。冀州刺史に任じることで、引き続きその任にも当たらせるのがよいかと。一方、朱儁はすでに命じられた南陽の平定を終えております。皇甫嵩の冀州刺史との釣り合いを考え、光禄大夫あたりを与えて置けば良いのでは?」


(なるほど、読めてきたぞ。趙忠は両者に差をつけず、競わせる気だな。そのうえで皇甫嵩には2つの州の反乱鎮圧をさせ、失敗を待つのか。ふふっ、趙忠らしい悪だくみじゃな。)


「承知いたした。さすがは趙大長秋でござる。しかし・・・皇甫嵩らがうらやましい。こんなことなら、陛下に願い出てそれがしが軍を率いて行けば良かった。そうすれば、今頃将軍に・・・。」


「蹇常侍。今後機会があれば宦官にも将軍位を授かるよう、陛下に働きかけて参りましょうぞ。」


「趙大長秋の優しさ、この蹇碩の心にしみましたぞ。なるほど、慈母のようじゃ。」


 趙忠の優しさに感激したらしく、蹇碩は伏し拝まんばかりに感謝を示している。

 それに対して張譲は白々しい顔を向けていた。


(ふん、馬鹿馬鹿しい。腕力だけが取り柄のお前に、将軍など務まるわけがない。盧植や董卓のように失敗するのが落ちじゃったろう。それにしても・・・趙忠の食えなさよ。宦官に将軍位をとは言うが、蹇碩に将軍位をとは言ってはおらん。単純な蹇碩は気づいておらんようじゃがな。)


 とにもかくにも、宦官の三巨頭というべき張譲・趙忠・蹇碩が同意した以上、趙忠の人事案は通ったも同然だった。

 実際、霊帝は一にもなく賛成し、詔書がつくられることになる。


 すなわち、黄巾賊討伐に功が大きかったとして皇甫嵩に左車騎将軍と冀州刺史の官職に加えて8千戸の領地を与えて槐里(かいり)侯(現在の陝西省咸陽市付近にあった県規模の国を治める領主)とし、朱儁には右車騎将軍と光禄大夫の官職に加えて5千戸の領地を与えて銭塘(せんとう)侯(現在の浙江省杭州市付近にあった県規模の国を治める領主)とされた。

 また、討伐に功のあった諸将も済南(さいなん)国(現在の山東省済南市および淄博(しはく)市一帯にあった郡規模の国)の(しょう)(国王を補佐する宰相。実際は郡太守と同格の行政官。)に任じられた曹操のように、褒賞として官職が授けられた。

 さらに、義勇軍を率いた無官の者たちにも、安熹(あんき)県(現在の河北省定州市)の()(県の軍事を司る官職)に登用された劉備のように恩恵があった。


 さて、感激に打ち震える蹇碩であったが、後ろ盾である董太后(霊帝の母)からの要望については忘れていなかった。

 董太后の遠縁で、董太后派である董卓の処遇であった。


「いかがでござろう。董太后様は董卓を罰することを望んでおられませぬ。ぜひとも寛容な裁きをお願いしたいと仰せでござる。」


 現在の後宮では霊帝の皇后である何皇后派と董太后派による冷戦が続いている。

 優勢なのは、何皇后派である。

 霊帝が長じるにつれ、董太后の影響力は衰える一方であった。

 霊帝は寵愛する何皇后とその親族に心を移し、それまで外戚であった董一族の繁栄には陰りが生じていた。

 董太后と甥の董重(とうちょう)はこの状況に歯がみしつつ、じっと見守るしかなかったのだった。


 しかし、近頃はその勢力図に変化が生じている。


 事の発端は今から3年前、霊帝の側室である王美人という人の死であった。

 この女性は霊帝の寵愛を受け、協という名の皇子を生んだばかりだったが、嫉妬に狂った何皇后の命によって毒殺された。

 董太后は残された孫の協を憐れみ、手元に引き取って養育し始めたが、単なる憐憫の情によるものではなかった。

 何皇后ほどではないが、董太后は気が強く権勢欲が旺盛な女性であった。

 当然何皇后とはそりが合わず、その兄弟である何進や何苗といった面々が出世していくのを苦々しく思っていた董太后は、孫の劉協を手駒とすべく引き取ったのだ。


 王美人の一件は董太后派にとってチャンスであった。

 すでに霊帝の何皇后への寵愛は薄れつつあったが、王美人を殺した何皇后の残酷さは霊帝の不興を買ったし、残された協皇子への憐れみは何皇后が生んだ弁皇子への霊帝の愛情を減じさせた。


 そんななか、董太后派の董卓は何皇后派への有力な対抗馬として大いに期待されていた。

 黄巾討伐軍の司令官に起用されたのも、董太后による強力なプッシュによるものであった。

 使える手駒を失いたくない董太后としては、董卓の処罰も望んでいなかったのだ。

 もちろん、常日頃から董太后一派へ積極的に取り入っていた董卓が、董太后に必死の取り成しをお願いし続けた結果も大いに関係していた。


「董太后様がお望みであれば、あえて罪に問うまでもありますまい。」


 即答したのは趙忠だ。

 彼は両派から中立の立場をとり、絶妙な距離感を保っている。

 宮中の情勢を読むことに長けている趙忠だが、もっとも望ましいのは両者の均衡が続くことである。

 いまだに劣勢の董太后派が少しでも勢力を失えば、途端にどのような混乱が起こるか分かったものではない。

 董卓が失脚することは、パワーバランスの崩壊につながる恐れがあると判断したのだ。

 ひとたび宮中が混乱に陥れば、どんな巻き添えをくって自分が失脚するかしれない。


「・・・盧植すら罪を許された。董卓のみを処罰するいわれはない。」


 一方、何皇后派とされる張譲は少し考えたのちに賛意を示した。

 表面的には何皇后派ではあるが、張譲は何進の勢力拡大に警戒感を持ちはじめていた。

 董卓が力を失えば、何進が相対的に力を持つことになりかねない。

 微妙な計算を行いつつ、張譲は結局のところ董卓を生かすことにしたのであった。


 こうして、功績を認められて昇進する者が多く出る中、董卓の罪はうやむやにされた。

 このことは、董卓の利用価値が高いことを示していた。

 董卓が再び世に出るときは、すぐ近くに迫っていた。

『後漢書』の皇甫嵩伝と朱儁伝には、黄巾の乱の平定に功のあった両者がそれぞれ左右の車騎将軍に任じられたことと、皇甫嵩が冀州牧に任じられたとの記述があります。

この記述について、筆者として以下の疑問があるのですが、今話では筆者なりの考察によって記載をしております。


・車騎将軍は通常は定員が1名であり、なぜ左右に分かれて2名が置かれることになったのか。

・この時点では州牧の名称は使われていないはずであり、実際に皇甫嵩が任じられたのは冀州刺史ではないか。


まず、車騎将軍についてですが、これは軍ナンバーワンの大将軍、軍ナンバーツーの驃騎将軍に次ぐナンバースリーの将軍位であり、許されれば開府(スタッフを自分で選んで専用の役所を持つこと)が可能となります。

朝廷としては皇甫嵩と朱儁に高位の将軍位を与え、引き続き各地の反乱討伐に従事させるつもりであったと思われます。

実際、母の喪に服すため帰郷した朱儁はともかく、皇甫嵩は翌年に涼州の反乱討伐を命じられており、単なる名誉職として将軍位を与えられたわけではないことがうかがえます。


ただ、後漢王朝は巨大な軍事力を持つ高位の将軍を置きたがらない傾向にあるため、なるべく力が集中しないように皇甫嵩と朱儁を同格の存在として左右の車騎将軍にしたものと考えます。

このとき、ナンバーワンの大将軍には外戚の何進が就任していましたので、それへの牽制の意味もあったのでしょう。


次に冀州牧ですが、州牧は前漢王朝時代からある名称で、単なる監察官であった刺史の役割を強化して州内各郡の太守へ指導する権限を付与する際に改称されたものとなります。

刺史よりも強力な存在として新設されたわけですが、後漢時代には権限はそのままで再び刺史の名称に戻され、184年時点では州牧は存在しませんでした。

おそらく、皇甫嵩が任命されたのも冀州牧ではなく冀州刺史であったはずで、今話では冀州刺史と表記しました。


なお、これよりわずか4年後の188年にはより強力な存在として州牧が復活することになります。

各地で起こる反乱に対して州内の軍権を握っていない州刺史では歯が立たなかったためで、九卿(大臣クラスの官職)の官にあった者が任命されて赴任しました。

以後、乱世という時代背景もあって群雄たちが州牧となったり、重要な州に重臣が州牧として置かれたりするケースが増え、『後漢書』を著した范曄が生きた南朝の宋の時代には当たり前のようになりました。

恐らく范曄は車騎将軍として軍権を持つ皇甫嵩が刺史を兼ねた結果、軍権を持つ刺史となったことから後の州牧を連想し、皇甫嵩が冀州牧に任じられたとしたのではないでしょうか。

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