第20話 張宝、死す
「ふむ・・・これが張角の棺か。」
広宗城攻略後の後始末に一区切りをつけた皇甫嵩は、城内のとある墓所の前にいた。
そこは広宗の有力者たちが眠る墓地の一画にあったが、他と比べて取り立てて豪華な墓ではない。
言われなければ誰の墓かわからないその墓こそ、黄巾軍の首領・張角の墓であった。
官軍が広宗城を攻略して間もなく、張角がすでに病死していることが明らかとなった。
張角の本軍を相手することになった皇甫嵩の究極の目標は、張角を生け捕りにするか討ち取ることだ。
そのどちらも達成できなくなった以上、その死を確実に確認しておく必要があった。
「開けてみよ。」
皇甫嵩が指示すると、いかにも重そうな棺のフタが数人がかりでこじ開けられ、横たわる1人の男の顔が見えた。
遺骸の保存状態は良好であり、死者というより眠っているように見える。
頬がこけてはいたが、威厳と知性を備えた顔立ちである。
遺体は丹念に死化粧が施されたらしく、病苦の痕跡はみじんも感じ取れない。
生前に刻まれていたであろう深いシワは目立たないようにされ、ほつれていただろう豊かなあごひげもきれいに整えられていた。
「張角の顔を見知った者をここへ。面通しをせよ。」
皇甫嵩の命を受け、1人の男が連れてこられた。
張角の墓所がどこにあるか官軍に打ち明けた男である。
黄巾軍のなかではそれなりの地位にあり、当然ながら張角の顔も見知っている。
「間違いない。大賢良・・・いや、張角です。」
皇甫嵩はしばらく張角の遺骸をじっと見つめた。
立場が敵味方に分かれていない状態で出会ったならば、ひとかどの人物と評価したかもしれない。
だが、官軍の将である皇甫嵩にとって、目の前にいるのは世を乱すきっかけをつくった元凶に違いなかった。
「・・・張角の死を広く知らしめねばならん。棺より出し、広宗の市にて晒す。警戒を厳重にし、遺骸を奪われぬようにせよ。」
豫洲や兗州に続いて広宗城が落ちたことで黄巾軍の劣勢は明らかとなったが、ここで張角の死まで明らかになればその衰退は決定的なものとなる。
皇甫嵩は張角の遺骸を市場で公開し、先日の戦闘で死んだ張梁だけでなく張角までもが死んだことを拡散しようとしたのだった。
市場における張角の遺骸の公開はほんの数日であったが、その効果は大きかった。
それまで落城による混乱が城内各所で見られていたが、秩序回復の目途が立つようになった。
また、広宗周辺ではまだ黄巾軍との戦いが散発的に続いていたが、これも急速に終息していった。
十分な効果があがったのを確認すると、皇甫嵩は張角の遺骸から首だけを斬り落とし、塩漬けにして洛陽へと送った。
朝廷への戦果報告としてこれ以上の証はない。
残った張角の胴体はそのまま市に放置され朽ちるに任されることになったが、警備が緩んだとたんに遺骸はいずこかへと持ち去られた。
おそらくは太平道の信者によるもので、どこかに埋葬するつもりなのだろう。
いずれにせよ、張角の死が知れ渡ったことで、皇甫嵩軍は広宗を含む冀州南部の制圧に成功した。
それは冀州北部の下曲陽にいる張宝攻撃に専念できる状況が整ったことを意味していた。
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「・・・間違いはないか。」
「はい、残念ながら。市に晒された遺骸は、大賢良師に相違ありませんでした。また、人公将軍の最期についても、幾人もが目撃しております。」
「そうか・・・兄上と梁が・・・。」
下曲陽の城内で、張宝は肩を落としていた。
幽州方面への軍事行動を命じられ、この下曲陽に来てから早2ヶ月あまり。
張宝の配下は十数万を数えたが、そのうち戦力として計算できるのは数分の一に過ぎない。
幽州や青州の地方官軍と相対するには戦力が不足しているうえに、黄巾軍とは別に蜂起した張燕ら黒山賊と呼ばれる勢力が百万と号する大勢力に成長し、彼らとの共闘関係の模索などに時間を費やすうちに董卓や郭典率いる官軍に包囲される状態に陥っていた。
そんななかで聞かされた兄弟の死である。
仲の良かった家族であれば誰しも身内の死は悲しい。
だが、黄巾軍の地公将軍という立場であれば、ただ悲しみに暮れているわけにはいかない。
最高幹部として教団の立て直しを図らなければならないのだ。
張宝はともすれば沈み込みそうな気持ちを奮い立たせ、顔を上げた。
「敵の状況はどうなっている?」
「はい。城外では相変わらず郭典らの敵軍が包囲を強めております。広宗を落とした皇甫嵩軍が北上してくるとの噂もしきりに耳にします。」
「皇甫嵩は来るだろうな。次は間違いなく地公将軍である私の首を狙ってくるはずだ。・・・よし、皇甫嵩軍と決戦しよう!」
張宝は総力を挙げての決戦の意思を固めた。
どうせこのまま籠城を続けても、どこからも駆けつけてきてくれる味方はいないのだ。
弱体な戦力で戦うのは不安でしかないが、死中に活を求めるにはこれしかない。
それに皇甫嵩は弟を死なせ、兄の遺骸を痛めつけた張本人である。
一か八かの弔い合戦を戦うのも悪くない選択だ。
張宝は皇甫嵩軍が到着すると、早速城を出て城南の野に布陣した。
総勢十数万という巨大な軍勢であるが、後方に布陣しているのは簡単な武具を着けていればまだいい方で、大部分は鍋などの音が鳴るものを持ったただの女子供の群れに過ぎなかった。
もちろん戦闘力などあるはずもなく、張宝の狙いは彼女らにしきりに音や声を出させ、敵に実体以上に黄巾軍の戦力を誤認させることにあった。
しかし、勢いに乗る皇甫嵩軍には張宝が張った虚勢は通じなかった。
張宝軍の前面に布陣すると、迷いの色を見せることなく戦いを挑んできた。
「くっ、まやかしは通じんか・・・。仕方ない、前進を開始せよ。」
張宝の号令により、黄巾軍も前進を始める。
その先頭に立つのは張宝だ。
敗戦続きで落ち込んだ士気を盛り上げようと、後方の安全な場所に身を置くことなく先陣に加わって歩みを進める。
張宝配下の黄巾軍は決して装備も練度も高いとは言えないが、それでも数万の大軍である。
その衝突力はかなりのものであるが、それもあくまで力を発揮できればの話である。
「ぐわっ。」
「ギャアァ・・・!」
皇甫嵩軍から一斉に放たれた無数の矢が、張宝軍の兵を棒立ちにする。
身体に巨大な強弩の矢を生やした彼らは、断末魔の叫びを残して次々に倒れ伏していく。
「ひるむな!足を止めずに、このまま突っ込むんだ!!弓兵は援護しろ。」
張宝はあらん限りの声をあげ、味方を鼓舞し続けた。
官軍の火力の方がはるかに上であることは戦う前からわかっている。
ここで後退しては、敗北を確定するだけである。
進み続けるしか道はなかった。
「ぐっ・・・!」
「将軍!!」
飛来する矢は張宝の身体をも貫いた。
周囲の兵たちから悲鳴があがる。
「大丈夫だ!腕に矢を受けただけだ。まだ戦える!!歩ける者はついて来い!」
張宝は歯を食いしばりながら前進をやめない。
その右腕には深々と矢が刺さっており、握りしめた剣を取り落としそうなほどの激痛が全身を襲う。
それでも張宝は気丈に振舞い続けた。
「将軍をお守りしろ!」
黄巾軍の将が絶叫し、張宝をぐるっと囲むように兵が輪を作る。
隣の者が矢を受けて倒れても、張宝と同じく歩みを止めようとしない。
「来るぞ。」
官軍から放たれる矢の数が一気に減り、前方に戟をかまえた部隊が戦列を整えるのが見えた。
(なるほど、やはり皇甫嵩は名将のようだ。これは・・・まるで巨岩に卵をぶつけるようなものだな。どうやらここが、私の死に場所らしい。)
部隊の整然とした動きから練度の高さが一目瞭然だ。
どれだけ自分が心を砕いても得られなかった、強力な軍が目の前にあった。
それを見た瞬間、張宝は自軍の敗北と自身の死を覚悟したのだ。
張宝の関心は、もはや自分がどのような最期を遂げるかに凝縮されようとしていた。
「よし、進め。一兵でも多く敵を斬り、兄や弟の無念を晴らすのだ!!」
おう、と呼応する味方とともに、張宝は進んだ。
もはや傷を負っていない者の方が少ない。
そんな兵たちで前の敵に勝てるのか。
そのような冷静な分析など存在しない。
手負いの張宝らは、負傷を感じさせない身のこなしで官軍へと突進していく。
向けられた戟の矛先をかわしつつ、まるで躍り上がるような動きで敵兵の懐へ飛び込み、斬り倒す。
その狂ったような運動は、彼らの身体を戟が刺し貫くまでやまなかった。
張宝もまた、同様に鬼神のような働きを見せた。
元々際立った武芸の素養があったわけではないのに、突き出される戟をかわし、あるいは矛先を斬り落とし、敵の手元に飛び込んでとどめを刺す。
幾人もの敵兵を倒し、ふと気づくと周囲には彼の味方はほとんどいなくなっていた。
すさまじい張宝の武勇に、距離を取って警戒する数人の敵兵がいるばかりである。
(いよいよか。)
張宝は感情の乏しくなった目を敵兵へと向けた。
すでに肩で息をしており、これだけの敵兵を相手にはできない。
「一斉に突っ込め。いいか、串刺しにしてやれ。」
隊長らしき男の命令を受け、敵兵が一斉に動き出した。
一糸乱れぬその動きは、張宝にはまるで壁が迫ってくるように見えた。
次の瞬間、矛先を斬り落とそうと剣を振り上げた態勢のまま、張宝の身体は硬直した。
張宝の瞳の光が薄れ、やがて消えた。
184年10月、皇甫嵩は郭典ら配下の武将たちとともに張宝軍を撃破して下曲陽を攻略、冀州の平定を成し遂げた。
十数万の黄巾軍は、あるいは張宝と運命をともにし、あるいは生け捕りにされ、あるいは四方へ逃げ散った。
朝廷は張三兄弟の死と主だった黄巾軍の活動地域の奪還を喜び、黄巾の乱が集結したとみなした。
だが、それはあくまで希望的観測にすぎなかった。
青州や幽州など各地に黄巾軍の残党は散在しており、河北の張燕や西域の韓遂など黄巾以外の反乱分子も活動を続けていた。
地方の行政府はその支配力を失い、王朝の屋台骨は揺らいだままであった。
黄巾の乱は後漢王朝にとって終わりの始まりにすぎず、まもなく1人の梟雄が古き秩序を崩壊へと導くことになるのだった。
今話をもって、序章 天をくつがえす者【張角伝】が終了となります。
張角が主人公と言いつつ、途中で彼は病死してしまい、2人の弟(張宝・張梁)の死までにふれての幕切れとなりました。
結果的に「張角・張宝・張梁列伝」のような形となりましたが、黄巾の乱をひと通り追うことができたとは思います。
なお、筆者は後漢王朝に半身不随の大ケガを負わせたのは黄巾の乱ではなく、別の人物であると考えております。
次章は、その人物について取り上げるつもりです。




