第二十五章:K・W<キラー・ウェーヴ>
これが夢であればいい。瞼を開ける瞬間そう思った。仮眠カプセルのタイマーが終了してブザーが鳴ると、オレはその中にある操作ボタンを押して蓋を開けた。
閉塞の闇から開放され、光と音が一斉に視界に広がる。そこにあるのは、普段と変わらぬ白い空間と白衣を身にまとった動く人々の姿だった。
「おはよ」
カプセルから足を出したオレのもとへ、白衣姿の沙羅が歩み寄ってきた。柔らかな微笑が木漏れ日のように温かい。今日は淡い青色の髪をハーフアップにしていた。そのほうが一つに束ねている時より女の子らしく見えた。彼女はこんな風にいつも笑顔で迎えてくれる。そしてぶっきらぼうなこのオレも、彼女の前では時々笑う。だが柔らかなその微笑みに今日はあまり癒されなかった。無反応な冷たい銀色の氷と化したオレの双眸が寒気をもたらす。彼女の笑顔はそれに冷やされていった。
「何かあったの?」
その声が不安でくぐもる。
「別に」
オレは、それ以上の追求を一切拒むように冷たくそう返した。悪気はなかったが、そんな言い方しかできなかった自分に嫌悪した。
なんてオレはガキなんだ
沙羅はそれ以上問い掛けることをためらい、沈黙してしまった。彼女の顔からすっかり笑顔が消えている。彼女が何か気に入らないことを言ったわけではなかった。だが、今抱えている問題を彼女に打ち明けることなどできなかった。そしてそれを胸の奥にしまって作り笑いができるほど――オレは大人じゃない。オレは
「行ってくる」
そう告げて彼女の横を通り過ぎ、総合医療ルームを後にした。
「……っっ」
また頭痛がした。だが、沙羅のいる総合医療ルームに戻る気にはなれなかった。頭痛は我慢できないほどではなかったので、薬は諦めることにした。それから朝食がまだだったので、その足で食堂へ向かった。
午前中は利用者が少なく、売店しかやっていない。食堂にやって来ると、客席のテーブルには二人組の若い男性客がいただけだった。二人ともつなぎ姿で、缶ジュースを片手に控え目な声で会話を交わしている。オレはカウンターで袋入りのパンを購入した後、片隅に置かれた給茶機から、お茶を紙コップに注いだ。それらを持って適当に空いている席に着く。開封してパンを口へと運ぶが、味が分からなかった。機械的にその動作をしながら思考の中を彷徨い始める……
モーゼズたちは本当にNO ID’Sなんだろうか。
なら、どうやってこのコロニーに入ったのか。
相楽臣が言っていたように、裏で誰かが細工したのだろうか。
確かなことは何一つ分かっていない。
ただ、最後に言っていた言葉が気にかかる。
『最高の仕掛けを用意している』
『警備をしっかり頼んだぜ』
それらは何かを暗示しているようにも思える。
当日、何かが起こるのか……
疑問を残したまま食事を済ませると、格納庫へと足を運んだ。通路を行く途中も、頭の中ではずっとそのことが渦巻いていた。
何故あいつはオレにあんなことを言ったりしたんだ。
オレが口外しないという保証はどこにある。
それともあれは、性質の悪い冗談か?
オレがガキだと思って、からかっただけか?
くそ……っ、会ったら必ずとっちめてやる。
だがそんな思考の片隅で、その“何か”が起こることに対して
どこかで期待する自分がいた。
格納庫へとやって来た。鉄扉を開け、コンクリートが剥き出しの空間の中に入る。ここは従来の飛行機が往来する飛行場とは違う。騒音が少なく、かなり静かだ。それはここで主に使用する機体が騒音を出しにくい構造をしているからだった。それは利点でもある。だが普通型飛行機を愛用する人からすれば、防衛組織専用機である宇宙空間対応飛行機(MECA)は
『玩具みたいだ』
という意見がよく飛び交っていた。彼らにとっては騒音もさることながら、車輪を使用しての滑走、着陸などもその楽しみの一つであり、それらを要しない機体(MECA)は(※車輪は非常着陸用に、一応内部に収納されてはいる)物足りないということらしい。とは言え、オレは普通型飛行機には実習の時しか乗ったことがなく、それよりもこの機体(MECA)に愛着を持っていた。そしてここへ来てようやく血流が良くなったような気がした。血管やあるゆる細胞組織を詰まらせていた労廃物が取り除かれ、細胞が活性化していくような感覚だ。
何故だろう。オレはよほど飛行することが好きなのか、機体に搭乗すると先程まで釈然としなかった混沌が、嘘のように姿を眩ましていた。
そして飛躍するのは機体だけではなく、気持ちもだった。必要以上に高度を上げ、それこそ大気圏を抜けてしまいそうなほどの上空から景色を俯瞰してみたくなる。
だが、そんなことをすれば監視モニターに表示され、罰則を科せられてしまうだけだ。前回のことで懲りていたし、そんなつまらないことでこれ以上零号士になる日を遅らせたくはなかった。誘惑に駆られながらもどうにか平常心を保ち、担当地区の巡回を終えて基地に戻った。
「大丈夫ですか?」
格納庫に駐機させた機体の中で、オレはすっかり青ざめていた。それを見た担当整備士が心配して声をかけてきたのだ。
「……っっ」
オレは口許を手で押さえ、ふらつきながら機体から降りた。重力調整機能を使用して着陸をした途端に吐き気を催したのだった。こんなことは初めてで、そのショックと吐き気で泣きたくなった。ふらふらしながらどこかに掴まろうと、壁か柱を探して歩き回る。やがて吐き気に負けて、コンクリートが向きだしの床にへたり込んだ。胃の内容物が喉に押し上げられ、思わず目から涙が出る。こんな所で吐瀉物をぶちまけるわけにはいかなかったので、それをぐっと堪えた。苦しくて肩をすくめながら、乱れた呼吸を徐々に整えていく。
「おい、大丈夫か遠山。“おめでた”じゃないだろうな?」
どこからかそんな声がして、むかついたオレはその方向にさっと顔を向けた。
「怒るなよ、冗談だって……」
おどけてそう言ったのは先輩パイロットの男性だったが、オレは何も答えずにただ冷たい一瞥をくれてやった。
「大丈夫?」
立上がろうとした時、今度は別の人物から声をかけられた。顔を上げると高藤樹羅だった。いつものように、一人でとっくにここから出て行ったと思っていたが……
「具合悪いみたいだから、一緒に行こう」
彼女はオレの傍に来て前屈みになり、心配そうな顔でそう言った。
なんだこれは?
彼女のことを冷徹人間だと思っていたが
話しかけてくるのはただの気紛れだと思っていたが
なんだかこれは変だ。違和感がありすぎる。
何故……
違和感を感じながら二人で格納庫を出ると、高藤樹羅に半ば先導される形で通路を進んでいく。オレは時々押し寄せる激しい吐き気に襲われては立ち止まり、壁に凭れていた。
「がんばって、もうすぐだから」
高藤樹羅に励まされ、なんとか総合医療ルームの前までやって来た。
最悪だ。こんな情けない姿をこれ以上誰かに見られたくない。ましてや“彼女”に……
どうか居ないでくれ――心の中でそう強く念じた。
高藤樹羅がいたわるようにオレの背中に手を当てる。オレは俯き加減で部屋に足を踏み入れた。
「……響くん」
なんで居るんだよ!
入った直後聞き覚えのある声がした。沙羅だ。
「どうしたの?」
歩み寄って来た彼女を前にして、オレは顔を背けて視線を床に落とし、目を合わせることを避けた。
乗り物酔いしたパイロットなんて形無しだ。そっとしておいてほしかった。
「吐き気がするみたい」
代わりに高藤樹羅が答える。
「降りてから具合が悪くなったみたいなの」
「!?」
言われてしまった。今のできっとばれただろう。余計、沙羅の顔が見ずらくなった。
「今も吐きそう?」
沙羅の優しい問い掛けにオレは無言で頷いた。下を向き続けていたせいか、症状が悪化している。
「う……っ」
喉に胃の内容物が逆流してきて、オレは呻きながら、頼るように側にあった物に掴まった。
「ご……めん」
それが高藤樹羅だった。無意識に掴まってしまった彼女の両肩から手を離して、口許を手で塞ぐ。彼女は青い顔をしたオレの背中に手を回し、部屋の一角にあるトイレに付き添ってくれた。オレは個室に入り、体調不良の元凶を全て開放した。
こうして、もっと無様な姿を沙羅に見られずに済んだのがせめてもの救いとなった。
「大丈夫、すっきりした?」
個室の前で見守っていた高藤樹羅にオレは黙って頷いた。診察室に戻ると沙羅に診察用の椅子へと促され、オレはそこに腰かけた。すっかり患者になっている。
体温を計ると37・5度だった。平熱が35・9度のオレにとってはやや高めだ。
「シャワーを浴びた後、髪が濡れたままうろうろしてたから風邪をひいたのかも」
単純にそう解釈したオレだったが
「うーん……」
沙羅は深刻そうな面持ちになった。白衣を着た人がそうやって苦悶していると、なんだか不吉な宣告をされてしまう患者にでもなったような気がした。沙羅から告げられたのは――
「まだ分からないけど……突発性波動症候群かもしれない」
「“突発性波動症候群”?」
病名を言われるとは思わなかったオレは困惑してしまった。横にいた高藤樹羅は冷静に質問を投げ掛ける。
「波動って、何の?」
オレも目で問い掛けた。沙羅の顔を直視する。
「詳しいことはまだ分かってないんだけど、電気機器に囲まれて働く人の中で原因不明の体調不良が発生しているらしいの。それの原因が、電気機器から発する電磁波や低周波ではないかって言われてて、今それが研究されている最中なの」
そういう症状なら聞いたことがあった。確か電磁波過敏症だったと思う。だが、だからと言って電気機器は人々の生活にかかせないものであり、姿を消すことは皆無に等しい。そして今後もそれを発症する人は出てくるだろう。
他人事のように危機感が薄れていくオレに、沙羅は言葉を継いだ。
「その症状が、今の響くんの症状にとてもよく似ているの」
「似ている?」
オレは表情を曇らせ、沙羅を見据えた。
「そう。今までなんともなかった人が、ある日突然吐き気や頭痛を感じて、平衡感覚を失ったりするらしいの」
完全にそうと決まったわけではなかったが、不吉な話ではあった。言葉を失ったオレに代わって、また高藤樹羅が尋ねた。
「どこでそんな話を聞いたの? こっちには全然そんな情報入ってきてないんだけど」
彼女は妹である沙羅に懐疑的な眼差しを向けた。確かに妙な話だった。だが例えそんな症例が見付かったとしても――だから機体(MECA)に乗るな――とは組織から言われることはないだろう。多くの死者が出るまでやめないかもしれない。宇宙空間対応飛行機(MECA)は防衛組織が独占する、画期的な利機なのだから。
「このことはまだ研究段階だから、防衛組織内でも一部の限られた人間しか知らない情報なの。あたしも最近噂で知ったし……」
沙羅はまるで自分が悪いことをしたみたいに肩をすくめ、表情を暗くした。
そしてオレも高藤樹羅もそれ以上の追究はしなかった。
さすがに酔い止めの薬をもらうのはやめておいたが、頭痛薬を出してもらって高藤樹羅とともに退室した。
「……」
「……」
通路に出て二人きりになると、やはり違和感を禁じ得なかった。
結局最後まで彼女を付き合わせてしまったが、何故ずっと居たんだろう? と疑問を感じてしまう。
何でだ……
「遠山くんて」
その声に思わずひやっとした。心の中で呟いた直後そう呼ばれたので、今の声が聞こえたんじゃないかと思ったのだ。オレは伺うように答えた。
「何?」
「もしかして……沙羅と付き合ってる?」
「……」
そんな話を振られるとは思わず、オレは目を見開いた。
「……」
急に言葉が何も出てこなくなった。適当な答えが浮かばない。その間に生じた一秒一秒が、異常に長く感じられた。間を開ければ開けるほど、余計怪しくなってしまう。
そんな風にオレが一人混乱に陥っていると、高藤樹羅は口を閉じたまま小さく微笑した。
「そっか、やっぱりね……だから“響くん”て呼んでたんだ」
「え……?」
「そうなんだ」
高藤樹羅はそう言い残し、何やら愉快そうにくるっと踊るようにターンしてすたすたと行ってしまった。
通路にぽつんと一人残されたオレは困惑した。
『そうなんだ』って……
勝手に解釈するなよ。
でも何故だ。別に、高藤樹羅にそう思われたっていいはずなのに……自分でも分からなかった。何だよ。これじゃあ、今度は高藤樹羅と顔を合わせずらくなってしまったじゃないか――――!
彼女の背中に向かって悪態をつくオレだった。
なんだかうまくまとめられないので、予定していたよりもうちょっと続きそうです(-_-;)汗汗




