第二十三章:創立記念祭リハーサル
三月二十日は火星コロニーの創立記念日だ。今年はその節目にあたる五十年目で、記念日を迎える来週は大規模な祭典が催されることになっていた。その際、防衛パイロットは監視を命じられ、テロの発生時にはそれを鎮圧する任務を与えられていた。午前の今は養成施設内の一室でそのミーティングを行っていた。約二百人が収容可能な室内に用意された百席ほどのパイプ椅子にランクD〜Fのパイロットが座り、マネージャー陣も同席していた。その代表者の男性が部屋の前方で、巨大な電子画面を使って説明している。
「ランクがD以下の者は地上での警備に就いてもらう。各自の担当場所は今渡した用紙に明記してある」
その説明を聞いてオレは内心でがっくりと肩を落とした。残念ながらランクが低いパイロットは上空からの監視役を任されないらしい。違反もせず順調に点数を稼いでいたとしてもランクはEだが、免許停止期間があったオレはその分余計に遅れを取っている。オレより約半年先輩の高藤樹羅は既にEだ。とはいえここにいる。結局いる場所は変わらないが、オレはやきもきした。
すぐにでも銀河系レースに出てランクを上げたい――それは闘争心と焦りから来る不安定な気持ちなのかもしれない。同じチームに属する相楽臣はランクがBのため当然のように上空の監視役を任されたのだろう。それを考えると苛立ちが募った。上空での監視も地上での監視もどちらも重要な任務だと分かるが、自分が任されたのがパイロットという職種でありながら、空にいる時間よりも地上にいる時間のほうが大幅に長いことが悔やまれる。
これが低ランクと高ランクの差なのか……と改めて思い知った。と同時に、やはり早いうちに零号士になるべきだなと実感した。この祭典が終わり、休暇から戻ってきた時にでもまたマネージャーに申し出よう。オレは頭の中で簡単な計画を立てた。
「ミーティングはこれにて終了する。これからリハーサルを実施するため、各自移動開始」
パイロットたちが続々と席を立ち、部屋から出ていく。オレはチームメイトの高藤樹羅と連れだって格納庫へと向かった。
「……」
通路に出てからは互いに話しかけることもなく、沈黙を保ちながら歩く。彼女と仕事をするようになってから二ヶ月以上経つが、相変わらず会話をすることはほとんどなかった。時々交わすのは、必要最低限のほんの些細な短い一言、それだけ。
彼女の双子の姉でNPの高藤紗羅は話しかけづらいはずのオレにも気軽に話しかけてくれるが、彼女はそうではなかった。二人は容姿が似ているだけで、中身は全く異なっている。醸し出すオーラがだいぶ違っていた。受ける印象は“光と影”というほど異なる。
似ているのに、高藤樹羅――彼女には親しみを感じることも、意識したこともない。
そして今日は気紛れの一言も交わされることなく格納庫に着いた。各自の機体に搭乗して重力調整装置を起動させ、機体が浮上すると誘導路を通って離着陸地点まで移動し、離陸許可を待つ。
《Glacier, wind 180 at 5,Cleard for take−off》
「Cleard for take−off,Glacier」
“Glacier”はオレのタックネームだ。復唱して交信が済むとさらに機体を上昇させて高度三万フィートまで達した所でエンジンを吹かし、水平飛行に切り替えて前進した。重力調整機能は機体が安定したところで解除する。今回は通常より遥かに多数の機体が時間差で込み入った飛行をするため、自動飛行にはできなかった。オレと高藤樹羅は編隊を組むように並んで飛行しながら指定場所に向かった。
数分後、指定離着陸地点に着陸体勢に入った。車輪を使用しないこの宇宙空間対応飛行機――Move Energy Control Airplane(MECA)という乗り物の構造は、腹部に重力を操る装置が備わっており、その装置が重力を調節することによって垂直な離着陸を可能にしている。あとは従来の飛行機と同じようにエンジンで水平飛行する。垂直水平移動が可能で離着陸時に場所を取らないことが利点の機種だが、旅客機などの一般利用化はされていない。その独特の感覚を体感しながら指定離着陸地点に着陸する。高藤樹羅の機体がその隣に着陸した。そこには防衛組織の機体がずらりと並び、後からも続々と着陸機が降りて来た。オレと高藤樹羅はそこから連れ立って指定場所に向かった。
そこは当日、航空ショーを行う飛行場だ。当日はコロニー政府の官僚も顔を出す予定らしく、狙撃テロなどを危惧して厳重な警備態勢を敷くことになっていた。開会式ではその通りを武装した防衛パイロットが行進し、観客を囲むように両脇に別れて並ぶ。上空には高ランクの中でもさらに選ばれたパイロットが巡回して飛び回り(途中交代あり)、それ以外の高ランクのパイロットはいつでも飛べるように機体の側で待機していた。そうして数時間にもおよぶ監視を続けるのだ。その訓練に午前を大幅に費やし、休憩を挟んで午後からはテロ発生時に観客を非難させる訓練を行うことになった。
休憩に入ると解散が言い渡され、パイロットを含めその関係者は皆、徒歩での移動を始めた。飛行場周辺には飲食店などの施設が並んでいるため、わざわざ遠出しなくてもよかった。チームメイトとはなるべく同伴するように言われているので、オレは高藤樹羅と同行して昼食に繰り出した。
「Hibiki!」
そこに周辺の話し声や騒音に混ざって、後方から男性のよく通る声が響いた。なんとなくオレは振り向きたくない気持ちに駆られる。するとオレに代わって隣りを歩いていた高藤樹羅が振り向いた。
「呼んでるみたいだけど、遠山君のこと」
「……」
高藤樹羅は控え目にそう告げたが、オレは立ち止まり、振り返らずに意識だけを背後に向けた。
「Hibki!」(響!)
「ほら」
「……」
“あいつ”だ。見えない汗がツーッと額から垂れ落ちる。
「行こう!」
「えっ……?」
オレは高藤樹羅の手を掴み、逃げるように駆け出した。
「Wait! waitwaitwaitwait……wait!」(おい、待て待て待て待て!……っ待てって!?)
前を歩いていた人が障害になり、避けているうちにあっと言う間に追いつかれ、オレは肩を掴まれてしまった。そしてすごい力で後ろに向かされる。
「痛……っっ!」
そこに仏頂面でオレを見下ろすモーゼズの巨体があった。険悪なムードに、オレは返す言葉が見付からなかった。
「……」
「Hello,Darling」(やあ、“ダーリン”)
モーゼズは親しげにそう呼んだが、細めた眼が冷薄な色を帯びていた。その矢先――
「わ……っ!?」
後ろから脚を払われた。バランスを崩したオレの体が後ろに傾く。そして空と対面した瞬間……
「?」
体がふっと軽くなり――オレの顔と今度はモーゼズの顔が対面した。
「っな、何すんだよ、離せ!?」
社交ダンスのように体を反らした状態で受け止められ、恥ずかしかったオレはジタバタともがいた。
「Really?」(本当に?)
「Yes! let me go……!」(そうだよ。離せ!)
オレが叫ぶとモーゼズは、素直に支えていた手をぱっと離した。その途端、オレの体は地面に落下した。
「ぅわっ!?」
咄嗟に受身を取った甲斐もなく、地面に突いた手やぶつけた尻が痛み、オレは半泣きになって唇を噛み締めた。そして憎らしげにモーゼズを睨む。
モーゼズは掌を上に向け、困惑したように頭を振った。
「ワタシ悪クナイデス……響、離セト言イ、ワタシ離シマシタ」
モーゼズはハの字に下げた眉の眉根を寄せ、相手に罪悪感を与える哀れみの表情をした。その表情を見た高藤樹羅までもが、感染したように哀れむ表情になっている。口には出さないが、許してあげて? と言うように……
しかしそれがモーゼズお得意の演技だと分かっているオレは、冷たい眼で見返した。
「What do you want?」(何の用だ?)
不機嫌な顔でそう問いかける。するとよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、モーゼズは瞳を輝かせた。そして彼は逞しい胸を反らし、得意げに腰に手を当てて言った。
「ワタシ、コレカラ航空ショーノリハーサル出マス。見ニ来テクダサイ」
オレは目を見開いた。それはオレの興味を惹くのに充分なことだった。モーゼズ(こいつ)の実力を目で確かめられる。それにパイロットとして、自分もいつか出てみたかった。と、そこに間抜けな唸り声が響いた。
「……」
オレの腹の虫だった。それを聞いた高藤樹羅は苦笑し、モーゼズも笑う。
「Hibiki,Go to eat !」(飯食いに行ってこいよ、響)
すっかり罰が悪くなったオレは「ああ、そうだな」とぼやくように返す。するとモーゼズが踵を返し、振り向きざまに
「I wait.sweet heart!」(待ってるぜ、かわいこちゃん)
とオレに向かって投げキッスをした。
「……」
「……」
オレと高藤樹羅の表情が凍結する。ふとオレの脳裏にある人物の顔が浮かんだ。
オレは“ああいうタイプ”を引き寄せやすいんだろうか……
真剣に悩んでしまった。
飛行場周辺にある飲食店はハンバーガーなどのファーストフードや麺類の店などが軒を連ね、オレと高藤樹羅はその中で無難なハンバーガーショップに入った。ほとんどが厳つい岩のような体躯の男性客で、装備品を見れば防衛施設の人間だと分かるが、初めて見る人間ばかりのため、どことなくアウェイな空気が漂っていた。笑っている奴も、その眼はギラついている。不審な動きを見せれば、たちまち銃を向けられそうだ。
「何か怖いね」
隣り合わせでカウンター席に並んだ高藤樹羅が小さな声で囁いた。オレは乾いた苦笑で返す。同じ気持ちだった。防犯カメラが取り付けられてはいたが、この状況に安堵はできなかった。
「さっきの人とどういう知り合いなの?」
久々に彼女から気紛れの言葉が飛び出した。
「寮のルームメイト」
短く答えて終わる。オレはコーラを手に取り、ストローで飲んだ。
「そうなんだ」
高藤樹羅も同じようにジュースを飲む。
「あの人もしかして……」
寡黙な彼女の口から二言目が出たその時
「Hibiki!」
違和感のあるアクセントでそう呼ぶ声がした。モーゼズ? いや、そんなはずは……とオレは怪訝そうに眉を潜めた。
「Hey! Hibiki」
続いて今度は真後ろから聞こえて振り向くと、アジア系の男性が後ろに立っていた。
「Hi〜!」
無造作にカットした黒い短髪で、つなぎの前を脱皮した昆虫のように腰までまくっている。日焼けした赤黒い顔はてかりを帯び、そこにある豪快な笑みは友好的というよりも馴々しさを感じた。誰だ? と記憶を辿り、ふと見たことがある人物であることに気付く。彼の左指に鈍く光る指輪がそれを示していた。ZERO――の文字が反射の加減で見え隠れする。
「Girlfriend?」(ガールフレンドか?)
高藤樹羅を見てニヤニヤしながら男性が言った。
「No,she is Team mate」(いいえ、彼女はチームメイトです)
オレはきっぱりとそれを否定した。すると男性はニヤニヤしたやらしい笑みを浮かべ、疑惑を残したような眼でオレたちをちらちらと見ながら、自分の席に戻っていった。同じテーブルを囲んでいた仲間と会話を始め
「違うって」「オレにはどっちも女みたいに見える」という内容の英語の断片が耳を掠め、オレは不快な気分になった。正面に向き直り店内に大きく張られたガラスの向こうに視線を移すと、蒼穹の中に動くいくつかの物体が見えた。
翼のない機体。
鳥さながらの形状に鮮やかな朱や金の塗装。
白い塗装の宇宙空間対応飛行機。
その奥にも機体が見えた。空が割れるような銃声が轟き、それらは競い合うように空を一直線に駆る。統一感のないその集まりは、どうやらプログラムの一つに組み込まれているレースの参加者らしい。モーゼズはいないだろう。
それからオレより後に食事を終えた高藤樹羅と店を後にした。
外に出るとジェットエンジンの音が鼓膜を突き抜け、脳味噌まで揺さぶった。飛行場の前に見物客が集まり始め、いよいよ航空ショーのリハーサルが始まることを予感させた。
天気は雲一つない快晴で良好。風も弱く、抜群の飛行条件と言えた。註機する機体の塗装は全て白で統一されている。ショーの時は個人専用機ではなく、防衛施設の貸し出し機のためだ。これではどれがモーゼズの乗っている機体なのか分からない。疑問を抱えつつ、きょろきょろしながら眺めていると
「?」
停まっていた機体(MECA)が一斉に地面から垂直に上昇した。
「おぉ……!」
歓声があがる。機体が上空に並列し、そこから水平飛行で左右に散って行く。観衆の目がそれを追いかけ、天に向けられた。
 




