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第十八章:情熱の策士

今作のイメージソング(詩)『たとえ君がここから消えても』を投稿しましたので、そちらもよろしく(*^。^*)

任務を遂行し、テロを阻止した響は心に深い傷を負ってしまった。深い闇に沈んでいこうとする彼を救うのは……? そして、その罠を仕掛けた人物とは……


 帰還した火星コロニーという場所は、安全が保たれているにもかかわらず、今のオレに安らぎを与えてはくれなかった。機体から降りてすぐオレたちは救急医療センターに搬送された。高藤樹羅(たかとう じゅら)は個室に寝かされ、オレと相楽臣(さがら しん)はそこで怪我の治療を受けたが、相楽臣は応急処置だけしてもらうと足を引き摺りながら退室して行った。おそらく父親に治療してもらいに行ったのだろう。オレの怪我の状態は皮膚の表面を銃弾がかすめただけらしく、軽症だと分かった。とはいえ皮膚が裂けていたので、その患部を皮膚再生とともに体内に吸収される特殊素材の糸で縫合し、痛み止めと治癒力を高める注射をしてもらった。それからその患部を特殊加工で保護処理をしてもらってから、シャワールームへと向かった。

 滲む汗の不快感、汚れたこの手も記憶も、全て洗い流してしまいたかった。シャワールームの脱衣所で、衣服を脱ぎ捨てると個室に入った。肌を打つ、噴射状のシャワーの湯が心地よかった。床に降り注ぐ水音の反響が爽快感を与えてくれた。解放感も生まれた。だが――それだけだった。記憶に刻まれた悪夢を洗い流すことまではできなかった。服に着替え、その日の任務がこれで終わることを願う。いくつも疑問が残っていたが、今は考える気になれなかった。備え付けのドライヤーで髪を乾かし、部屋を出る。通路の側面には規則的に窓が並んでいる。その一角に立ち止まると窓の桟に肘を付き、空を仰ぎ見た。居住空間を覆うように形成された特殊素材の幕。それを通して見える火星の空は今日も青かった。

 地球から見た空はどんな色をしてるのだろう。同じ青だとしても、もっと透き通った自然な青なのではないか、そんな気がした。ここから見える火星の空はこんなに壮大なのに、窮屈に感じるのは何故だろう。行ったこともないのに、地球の空なら見ればきっと解き放たれたような感覚を得られる気がした。瞼を閉じ、地球を紹介した記録映像を記憶の中から手繰り寄せ、再び思い起こしてみる。すると不思議と安らぎが訪れると同時に、しまい込んでいた思考が再び動き出した……


 人類が滅亡の危機に瀕して得た教訓は何だったのか。汚染されていく地球ほしと滅びゆく他生物たちを見て、死の恐怖に怯える中で誕生したあの絆は何だったのか。

 手を取り合うのは逃げる時だけだった。新たに築き上げた火星コロニーという国家で人は――


 手を離した。


 人類大移動が始まったのは3×××年。移動に使用されたのはワープが可能な巨大宇宙船だった。一部の民族などを除いて、ほとんどの者がそれに乗船することを望み、その大移動を運営していた組織は、旅費さえ払えばそれに乗船する権利を与えた。しかし火星コロニーを仕切る新たな連合組織となったコロニー政府は、それとは別にその建設費などの費用を投資した者を国家繁栄に利益をもたらす者としてコロニー在住権を与え、それ以外の者を仮設地区に放置した。これが格差社会の始まりで、その扱いは歴然としていた。

 仮設地区の住民に与えられたのは簡素な建物、人口的に開発した畑、僅かな食糧供給だけだった。それらは政府によって用意され、『人間が生きていける最低限の環境』を計算して造られたもので、『勝手に死んでくれ』と言っているようなものだった。

 その後政府はコロニー内に独立した社会制度を形成し、その中で生きる人間全てにID番号を付けて管理することを定めるが、仮設地区の住民には施行されず、個人情報データは登録されなかった。それは存在そのものが認められていないということだ。

 オレはそれが正しいとは思わない。だが間違っているとは――“言えない”。無言の承諾をしなければこの火星コロニーでは生きていけないからだ。オレはそれを承諾した人間だ。コロニー住民の安全を守ることを『正義』とし、仮説地区住民を見捨てた人間だ。人が人を粛清する政府のやり方を認めてしまった人間だ――!

「……」

 瞳孔が開いた。低酸素症に陥ったように息苦しくなる。意思もなく呼吸を止めていたのか、やがて堪えきれずに急速に息を吸い込み――

「ふぅ……」

 大きくゆっくりと吐き出した。


 何を混乱しているんだ? オレはもう、コロニー政府のやり方に従うと決めたじゃないか。迷うことなんかないんだ。最初からオレは正義の味方なんかじゃなかったんだ……


 オレは


 防衛パイロットは――





 ああ、もう限界だ……



「……響」

 微かに声が聞こえた。混乱する意識の中をそれは通過していく。

「おい、遠山響とおやま ひびきっ!」

 連呼されてやっとオレは振り向いた。

 “相楽臣”。その姿をぼうっと見詰める。

「どうしたんだよ、ぼんやりして」

「別に……」

 こいつみたいに“あんなこと”をしても平然としていられたら、どんなに楽だろう。どうしてそんな顔ができる? いつか言っていたみたいに、本当はアンドロイドだからなんじゃないのか?

「ふふ……」

 きっとそうだ。

「遠山?」

「ふふふふ……ははは!」

「おい」

 相楽臣は驚愕した表情でオレを見た。オレが奇妙に見えたんだろう。


 オレにはお前が奇妙に見える


「ふっふっふっ……」

 悲観しろよ。お前は人を殺したんだぜ。オレたちはさっき、人を殺してきたんだぜ。

「……」

 相楽臣がオレを見詰めてきた。

 心を覗き見するように。


 “機械人間アンドロイド”のお前に何が分かる。

 お前なんかに……


 分かるわけがない!


 オレの顔を見ていた相楽臣の目が、驚いたように見開かれる。


 くそっ、何で泣いてるんだ! 勝手に……涙が


 いつの間にかオレの目から涙が零れていた。

「話そう」

 相楽臣は静かにそう言って、オレの肩に手を乗せた。



 オレたちは会話も交わすことなく、施設内の通路を歩いた。

 白い壁が眩しい――そんなに明るくないのにそう感じた。長い通路が延々と続くような気がした。足が床を踏みしめているのに、宙に浮いてるような気がした。魂が肉体から抜け出したような、まるで抜け殻のオレの目の前に今、見えているものどれもが非現実的なものに映る。

 この世界から抜け出したい――そう思う気持ちが感覚を狂わせるのか。

 オレは窓の外に視線を移した。


 この壁のずっとずっと向こうに仮設地区住民が暮らしている。

 この壁のずっとずっと遠く離れた疎外地で、誰かが泣いている。



 泣いているんだ……



 オレは固く瞼を閉じて思念を振り払う。そうすることでしか、この呵責の重みから解放される手立てが見付からなかった。

「情緒不安定になってるの?」

 ふと聞かれて立ち止まった。その一言で一瞬にして、現実に引き戻されたような気がした。現実主義者の冷めた声――そう感じた。

 オレは相楽臣に軽蔑の眼差しを向けるが、奴はふざけているような表情はしていなかった。だがなんとなく癪だったオレは目を細めてそっぽを向き

「……別に」

 答える気になどなれなかった。相楽臣こいつとオレとは考え方が違う。言うだけ無駄だった。

「オレには、話す気になれない?」

 不意に見せたそのしおらしい表情に思わずオレは戸惑ってしまった。時々、彼はこういう表情を見せる。前に見たのは彼が自分の身体のことを話した時だった。弱さを見せるのは心を開いているからなのかもしれない。本当は弱い人間だからなのかもしれない。だがオレはこいつと心を通わせる気はない。こいつの何をそんなに嫌うのか自分でもよく分からないが、多分オレは自分の心の中を覗かれたくないのだろう。相楽臣こいつは、いつも覗き見しようとする。それに毎回嫌悪するのだ。

「……」

 相楽臣はいつになく寂しげな表情をした。気の毒なほど切ない瞳をしている。首をもたげるその姿を見て、オレは罪悪感すら覚えてしまった。

 なんなんだよ!?

 そうしたいのはオレのほうだった。慰められたいのはこっちのほうだった。

「……」

「……」

 うっとうしい沈黙が続いた。やがて相楽臣が上着のポケットから携帯端末(タンマツ)を取り出し、無言でそれを操作する。

「――あ、叔父さん? オレだけど」

 軽い口調に戻っている。

「ちょっとごめん」

 そう言って今いる所から少し離れてから、彼は再び通話を再開した。

「――うん。じゃあ、そういうことで」

 通話を終えて戻ってくると彼はタンマツをポケットにしまいながら、オレに視線を移した。

「行こう」

 そう言って歩き出し、その後オレも続いた。

 どこへ行くのだろう? 疑問は浮かんだが、なんとなく分かる気がした。





 連れてこられたのはシステム管理室の前だった。個人認証センサーを通過し、ドアロックが解除される。中では制服姿の社員が数名、モニターの監視やナビゲーションをしていた。そこに霧島マネージャーの姿もあった。モニター画面に向かうその後ろ姿は凛としていて様になっている。忙しいときも髪型に乱れはなく、相変わらず隙のない女性だと思った。いつもの軽い調子の相楽臣だったら彼女に一声かけるはずだったが、今日は黙っていた。彼はさらに奥へと進み、エレベーターの前に来ると13Fのボタンを押した。10Fよりも上の階は上層部の執務室オフィスが並んでいる空間だ。

 上がってきたエレベーターのドアが開くと無人だった。相楽臣は先に乗って扉のボタンを押した。オレはそそくさと礼を言い、開いた状態のそれに乗った。短い電子音が鳴り、ドアが閉まる。オレはガラス張りのエレベーターから見える景色を横目で見ながらに、上昇するエレベーターの重力に身を預けた。ろくに景色を眺める暇も与えず、間もなくエレベーターは13Fに到着した。

「着いたよ」

 相楽臣に手で促されて先に降りると、薄い灰色の廊下と壁が広がっていた。白い壁とは違い、安らぎとは無縁の緊張感が漂う。そこにいくつも扉があり、それぞれに役職名の書かれたネームプレートが付いていた。

『常務取締役<整備>』『取締役<航空>』……取締役のネームプレートが並び……『管制官管理部長』 ――相楽臣はそのドアの前で立ち止まった。

「臣です。開けてください」

 彼がインターホンを鳴らし、スピーカーに向かってそう言うと短い電子音の後にドアロックが解除された。



「久しぶりだね、遠山響君」

 部屋に入ると執務机に座っていた呉羽くれは管理部長が笑顔で向かえてくれた。立ち上がるとこの前とは違い制服姿だった。黒のスーツに紺色のネクタイを合わせ、翼をかたどった金の胸章と袖口のゴールドラインが特徴の制服だ。

 緊張しながら挨拶をするオレの傍で、相楽臣は親戚の家に遊びに来た子供のように寛いでいた。

「叔父さんがその制服着てるとこ久しぶりに見た」

「ははは、似合ってるだろ?」

 すっかり破顔する呉羽管理部長。まるっきり親戚同士の会話だった。

「叔父さんが着てると“コスプレ”みたい」

「――」

 オレの表情は固まった。

「ははは」

 相楽臣は笑い

「ははは」

 呉羽管理部長も笑う。

 不気味な光景だった。呉羽管理部長の目は笑っておらず、笑顔なのが逆に怖かった……

「ああ、そうそう、大事な話があるんだった」

 忘れてたのか? 相楽臣がついでのように切り出した。

「オレは席を外すね。――じゃあ、叔父さんに話聞いてもらって」とオレに伝えて部屋を辞する。

「……」

 残されたオレは何を話せば良いのか分からなかったが

「緊張しなくていい。そこに座ってくれ」

 呉羽管理部長がテーブルに案内してくれた。 

「コーヒーでいいかな?」

「どうぞ、お構いなく」

 遠慮するオレを制し、呉羽管理部長は室内にあったコーヒーメーカーにコーヒー粉末と湯を注いだ。それを眺める彼は、何故か楽しそうに見えた。しばし眺めてからテーブル側に来た彼は、満足げな笑みを浮かべていた。

「すぐに良い香りがしてくる。そしたら出来上がりだ」

 それは無邪気な少年みたいな笑みだった。

 そんなにコーヒーを入れるのが楽しいのか……。ちょっと不思議だった。

「まずは何から話そうか……」

 厳しい人だと聞いていたが、オレはこの人といると妙に安心する。抱擁感があり、なんとなく父親のような存在だった。そして勘違いだと思うが、特別扱いされている――そんな気がする。

「臣から少し話を聞いた。テロ集団と対戦してから、君の様子がおかしいと」

 相楽臣は軽い人間に見えるが、意外に気を使ってくれているのだろうか。

「あの子は君のことを心配していた」

「?」

 オレはきょとんとした。僅かに苦笑する。

 心配していた? あいつがオレのことを? 何の理由で?

 理由がなければ信じられなかった。

「ふっ……」

 呉羽管理部長が吹き出す。口許に拳を当てて笑いを噛み殺そうとしているようだった。

「ふふ、君はあの子のことが好きではないようだな」

「……」

 その通り。

 声に出さずに回答しながら、そんなことを聞く呉羽管理部長に、初めて少し苛ついた。

「あの子の軽い調子の性格は、君のように真面目で静かな子には合わないのかもしれないな。だが、あの子も本当はとても繊細で傷付きやすい子なんだ。時々私の所へ相談にもやってくる。君のことは今回が初めてだが――あの電話の様子からして、かなり気にかけているようだ」

「……」

 思い当たることがあった。さっき見た相楽臣のあの寂しげな表情……

 ああ、嫌なことを思い出してしまった。

「まぁ、そんなに嫌わないでやってくれ。悪い子ではないんだ」

「は、はぁ……」

 やがて沸騰した湯がしゅーしゅーと音を立て、空気中に流れてきたコーヒーの良い香りが鼻をくすぐった。

「そろそろできたようだ」

 呉羽管理部長は目を輝かせ、腰を浮かせた。

「あ、オレがやります」

 すかさずそう言ったオレだったが

「いい、私がやる。君は座ってなさい」

 と断られてしまい、仕方なく着席する。

「……」

「……」

 呉羽管理部長は手際よくカップとソーサーにコーヒーを注いで、それをオレの席に置いてくれた。オレはすっかり客の待遇をされ、複雑な気分になる。だが、彼はどうしても自分でコーヒーを入れたいらしい。見ているとそう思う。そうとう好きなのか、またコーヒーメーカーの様子を少し眺めてから戻ってきた。

「手間をかけて済まない。こうして入れると格別なんだ」

「いえ、自分は黙って座っているだけですので」

 オレが答えると彼は吹き出すように笑った。

「ははは、そんなに堅い口調で話さなくてもいい。今は寛いでくれて構わないよ」

「はい」とオレが短い返事をするとまた笑われたので、オレはぶっきらぼうな顔をした。すると

「ふっ」

 また呉羽管理部長は笑った。しかし今度は違った。我が子を見詰める親――そんな顔をしている。彼はカップを口に運ぶと、コーヒーを一口飲んだ。ブラックが似合いそうな彼は、意外にもクリーミングパウダーと砂糖を入れていた。オレはスティックシュガーの封を破って半分ぐらい入れてスプーンでかき混ぜる。

 一息着くと呉羽管理部長のほうから話し始めた。

「私には昔、息子がいた。生きていれば君より一つ下の14歳だった」

 静かな口調で語る彼は、遠い目をしていた。オレはそれをただ静かに聞いていた。

「君と同じパイロットになるはずだった」

 彼はそう言い、何故か微笑した。

「私は夢見ていた。息子を英雄に育てようと……パイロットを育成することが私の生き甲斐だった。それは今も変わらない。自分が立てた計画プランでパイロットを動かすことに快感も覚える。自分の息子もそんな部下達と同じように動かしてみたかった。そして、“遠山雄二”のように――“英雄”に育てたかった……」

「……」

 また父の名前が出た。それに続くのは

 オレなのか?


 彼の真意が少しずつ幕を開けていった……


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