第3話 父と飛び地
「昨夜、近衛は殿下の命令でお前を退場させようとした。今朝は抗議文だけでなく、今季の王室御用達穀物契約を解除する通知まで届いた。カーラ、扉を閉めなさい」
父オスヴァルトは応接間に入るなり、執事と従者を外へ出しました。怒鳴り声を上げる余裕もないほど顔色が悪い。机には王家の封蝋が割られた抗議状と、今季分の調達契約を解除する通知、父の署名が途中まで入った別の書類が並んでいました。
「昨夜の言葉が、もうここまで届きましたのね」
「今季分の荷は別の家へ回された。関所の通行許可も審査に付される。荷運び人の賃金は、予定していた荷がなくなれば払えなくなる。王家の書状にそう記されている」
父はわたくしを責めているのではありませんでした。書状を押さえる指が、かすかに震えていたのです。
「ならば、わたくしが謝罪すれば」
「謝罪の形だけで済む保証はない。だから、王都から遠ざける。あの土地なら殿下にも『娘を罰した』と説明できる」
そこまで言ってから、父は机のもう一枚をわたくしの前へ押し出しました。公爵家の印章がまだ押されていない、領地管理の委任状です。
「ローゼンタールの支配をお前に譲るのではない。土地も家も公爵家のものだ。そこで暮らす人々は、なおさら誰かの所有物ではない」
父は一語ずつ確かめるように続けました。
「私がお前に渡せるのは、家の代理人として帳簿を閲覧し、修繕を手配し、小作料の徴収を一時止め、代官の職務を調査する権限だ。変更は領民の契約と慣習を調べてから行え。住民を移すことも、彼らの労働を勝手に命じることも認めない。王都にいる私が引き受ける責任も、この委任状に残す」
「領民を……生産手段として譲り受けるのではございませんのね」
「その言い方をするなら、私が委任状を破る」
父の声は静かでした。咎める色よりも、わたくしの言葉が誰かを傷つける危険を、慎重に測る響きがありました。
わたくしは一度、口を閉じました。理論の上で人を分類する癖は、前世から持ち越したままです。
「おっしゃる通りですわ。わたくしが得るのは人ではなく、制度を調べ、変えるための限られた権限です。皆様の合意も、結果への責任も必要ですのね」
父はようやく息を吐きました。それでも委任状に印を押す手は止まります。
「この署名で、王家は私の判断を反逆の準備と呼ぶかもしれん。契約を失えば、働く者への支払いは私が別の財産から補う。お前を守るために、家の者まで危険に置くことになる」
父は窓の外を見ました。門前では、今日の荷を待っていた荷運び人たちが、仕事がなくなったと聞いて賃金の支払日を尋ねています。
「私が領地を代官に任せきりにしたのは事実だ。冷害の報告を受けても、遠い土地の数字を確かめに行かなかった。お前を送れば、今度はその怠慢をお前一人に背負わせることになる」
「お父様の責任まで、わたくしの改革で消すことはできませんわ。領民に説明する時は、誰が何を決めたのかも記録いたしましょう」
「そうしてくれ。私も王都で、契約が解除された理由を隠さず話す」
「お父様……」
「それでも、行かせる。お前が何をするかはお前が決めろ。ただし、誰かの暮らしを壊したと分かった時、理論のせいにして逃げるな」
父は印章を押しました。朱肉の跡は少し歪んでいました。
応接間の隅で、フリードリヒ様が静かにその書類を確認なさいます。
「昨夜、金貨千枚の出資契約を結びました。一年限りの暫定運用で、使途は組合の設立と初期の事業費です。月ごとに帳簿を共有し、監査人は双方で相談して選ぶ。土地も、そこに暮らす人々も担保にはしない――そういう条件です。領地の管理権と出資契約は別のものとして扱いましょう」
「まあ。出資者らしいお言葉ですこと」
「投資先が途中で潰れないためです。資金の不足も、僕が笑って埋めればよいという話ではありませんから」
ヘレーネがわたくしの肩越しに委任状を読み、細かく頷きました。
「これなら領民に『お嬢様が何でも決められる』と誤解させずに済みますわ。あと、王都の本を全冊お持ちになるのもおやめくださいませ」
「まだ荷造りの話はしておりませんわよ」
「今のうちに釘を刺しているのです」
父は笑いませんでしたが、目元だけが少し和らぎました。
「お前が遠くへ行くことを、私は罰だと言い張る。王家にそう見せるためだ。だが、父親としては――帰る場所をなくすつもりはない」
その言葉に、わたくしは扇を閉じました。
「承知いたしました。ローゼンタールでは、まず人ではなく帳簿と契約を見ますわ」
父の印章を乾かす間、門の外で馬車の音がしました。窓からのぞくと、王都の学院で顔を合わせた三人の令嬢が、供も少ない馬車から降りてくるところでした。
誰も泣いてはいません。けれど、三人とも、何かを失った顔をしておりました。




