呪詛
帝国城に戻るまでにモルガとムザブは馬を二頭乗り潰した。
あまりの強行軍ゆえに、騎兵でも脱落者が続出した。
それでもどうにか帝国城に到着した彼らを出迎えたのは、物言わぬ棺であった。
「……」
モルガは幽霊のように棺に近付くと、ルシアテの顔を覆う布を取った。
死化粧が施された彼女の冷たい顔に触れて、モルガはぽつりと呟く。
「どうして……?」
……分からない。
処刑されるのは私だったはずだ……。
ルシアテ…………君が死ぬ必要が何処にあった?
ムザブは力を無くして蹲ってしまった異母兄を、ありったけの力で引きずるようにして椅子に座らせた。
「なあ、ムザブ……どうしてか知らないか?」
ぼうっと宙を見つめながら、モルガは正気を失った有様で呟く。
「私は確かに目立ちすぎた……ラーレルカイトウ征伐が終わったら……処刑される覚悟も出来ていたのだ……でも、ルシアテは……………………ルシアテが……どうしてなのだ……………………?」
「兄貴!」ムザブは激しくモルガの体を揺さぶった。「ケンの無事を確かめてからだ!」
駄目だった。
モルガは目の焦点が合わぬまま、口だけで言う。
「……そう、だった……」
ケンは貴族の中の大貴族であるネロキーア公家で大事に養育されていると、宦官の一人が教える。
「ああ……うん、それは……良かった………………」
魂を失ったようなモルガに代わり、ムザブは不運なその宦官に詰め寄って、胸倉を掴んで激しく恫喝した。
「何で! 義姉さんが! 殺されなきゃならなかったんだ!」
宦官はしばらく黙っていたが、震えながらこう言った。
「殺されたのではございませぬ、ルシアテ様は、御自ら……」
「それは」ムザブは宦官の喉笛に食らいつかんばかりの形相をする。「どういう意味だ!?」
「ひい――っ!!!」
あまりの迫力に宦官がとうとう失禁しかけた時だった。
「何と! 臭うぞ。 獣臭いではないか!」
モルガの実兄、ムザブの異母兄である皇太子と、彼らの父親である皇帝本人が、大勢の寵姫や阿諛追従の輩を従えてやって来たのは。
「ああ…………陛下……。 皇太子殿下も……?」
虚ろな表情で、モルガが両者を見上げると、皇帝が告げた。
「うぬが掌中の珠のごとく大事にしているから、相当な美女かと思っていたら。 ただの締りの悪い中年女だったではないか」
皇帝達を取り巻く寵姫達が一斉に楽しそうな嘲りの笑い声をあげた。
「……………………はい………………?」
しかし今のモルガの表情は『悲しみに打ちひしがれていて、まだ何も分かっていない』のだと如実に伝えていた。
『己より優秀だ』と言われている第二皇子。
『あちらが皇太子になれば良かったのに』と嘯かれている同母弟。
その顔が最大の絶望と苦しみに歪む瞬間を、ずっと見たかった――!
故に、嬉々として彼らはモルガへととどめの一撃を加えた。
二人だけでモルガに近付くと、嗤いながら告げたのだ。
「うぬの子を人質に取っただけで、あの女は簡単に股を開いたぞ」
「泣き叫ぶあの女と戯れるのはなかなかに楽しかったぞよ」
「感謝して欲しいくらいだ、弟よ。 高貴な我らが相手をしてやったのだからな」
次の瞬間だった。
ムザブが獣のように動いた。
凄まじい咆哮を上げながら手前にいた皇帝の、豚のように肥えた手首に噛みつき、ぞぶりと一気に肉を食いちぎった。
されど続けて皇太子を襲おうとした時、彼は親衛隊の武官達総員によって押さえつけられている。
なおもムザブは狂犬のように暴れ、血だらけの口から歯を剥いて何度も何度も吠えた。
完全に予測外の事態。
群れていた後宮の女人達が悲鳴を上げてあちこちへと逃げまどい、目の前の凶行に皇太子は失禁、皇帝は痛い痛いと大声で泣きわめく。
――信じられないほど赤い血が床に壁に鮮やかに飛び散って、その血しぶきが呆然としていたモルガの顔にもかかった。
生温かい。
ルシアテは、あんなにも冷たかったのに……。
モルガが、それで我に返った。
否。
我に返ってしまった。
幾ら酷い人間でも、それでも己の肉親だからと心の何処かで信じていたはずの二人から、何を言われたのか。
誰よりも愛して信じて甘えて頼っていたルシアテが、己と【パペティアー】が不在の時に二人から何をされたのか。
『最後まで生きることを諦めない』と彼が誓ったはずの彼女が、追い詰められて最悪の行動を選んでしまったことも。
――ついにその頭と理性で一切合切、理解してしまったのだ。
「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
喉が破れるような大声で絶叫しながら彼は闇雲に走り出した。
大混乱の中をそのまま無我夢中で【胡蝶宮】から逃げて、逃げて、逃げ続けて。
そのまま、帝国城からも行方不明となったのだった。
皇帝に危害を加えたことで、皇族であってもムザブは死刑を待つ身となった。
ガルヴァリナ帝国では、皇帝のみが臣民に死刑を下す権限を持つ。
しかしその皇帝は襲われた所為で寝込み、皇太子は『卑しい獣は即刻死刑だ!』と喚くものの、皇族を死刑にする手続きについては全くと言えるほど知らない。
実質的に政務を担っていたモルガは、未だに行方も消息も不明のまま。
この大騒ぎの所為で文官も武官も全員がこうなった経緯を知ってしまい、ムザブの死刑執行の手続きを少しでも延ばそうとして公然と職務怠慢を行う。
故に、ムザブは牢の中で無為にひと月を過ごすことになったのである。
ウルガンドもアウルガも何度も面会に来たし、その都度、牢番達には密かに賄賂を渡してくれた。
事情を知ってムザブらに同情している武官、文官、女官や宦官達も度々、何かと差し入れてくれた。
とうとう死刑の日付が確定した後には、ネロキーア公家の当主に連れられて、ケンも会いに来た。
「おじうえ! おじうえー!」
ケンは小さな手で鉄格子を握って、ぽろぽろと泣いた。
だからムザブはいつものようにやってやった。
「泣き虫は食っちまうぞ! があー!」
ヒックヒックとしゃくり上げながら、ようやくケンは笑った。
その小さな手をぎゅっと握ってから、ムザブはネロキーア公家の当主をじっと見つめる。
貴族の中の貴族と呼ばれ、圧倒的な力を持つものの、恐らく帝都では最も『まとも』である一族。
「――頼んだぞ」
確かに。
言葉には出さず、沈痛な顔をして深く頷くと、ネロキーア公家の当主はケンを連れて行った。
ケンは何度も何度もムザブを振り返りながら、連れられて行った。
激動の運命は、ムザブをこれでもかと翻弄するつもりだったらしい。
ムザブは処刑されては死ななかった。
彼が処刑される直前に、ガルヴァリナ帝国を揺るがす一大事件が起きるからである。
皇帝【色欲帝】及び皇太子、皇太子の子供らまでが同時に悉く呪い殺されるという未曽有の事態が起きたのだ。
だが、皇帝や皇太子、皇族の殺害という大逆罪を犯した実行犯にして主犯の男が、捕まって処罰されることは無かった。
その男こそが、次なるガルヴァリナ帝国の皇帝に即位したからである。
――帝国の長い歴史の中でも指折りに悪名高い【乱詛帝】。
その名をモルガドリック・コロソス・ガルヴァリーノスという。
後に【瘴体】を自在に操る【スキル:インプリケーション】を駆使して、数多の人間を呪殺し苦しめることになる【精霊パペティアー】を従えた、この男は。
もはや往時に抱えていた穏やかさや慈悲の全てを捨ててしまっていたのだ。
「地獄、地獄ぞ! 此の世は呪怨の尽きぬ地獄ぞ! 朕は遍くを呪い怨もう!」




