第十四話「奴隷」-7-
「行くよ!」
リアマイムの号令が、開戦の合図となった。
三方向からの同時攻撃。リアハイリンが正面から突っ込み、リアスピサが側面から炎弾を放ち、リアマイムが後方から水流で退路を断つ。
完璧な連携のはずだった。
だが、カスパールは動じない。
リアハイリンの突きを首の皮一枚で躱し、迫る炎弾を銃身で軽く叩き落とす。まるで舞踏のような、流れる所作。
「安心するといい。この銃から実弾は出ない。出力されるのは、水のデシリアと同じ水の力だ」
余裕の笑みが、フッと揺らぐ。
「……まあ、扱い方次第では、実弾以上の脅威となりうるがな」
言い終わるより早く、カスパールの輪郭が森の陰影に溶けた。
「消えた!?」
リアスピサが叫ぶ。
気配がない。足音もしない。ただ風が木々を揺らす音だけが、不気味に響く。
「散らばって探そう!」
森は木々や茂みなどの障害物が多い。こんな環境での戦闘は初めてだったが、一箇所に固まるべきではないことは感覚で理解できた。
リアマイムの指示で、三人は弾けるように距離を取った。
背中を預け合い、全方位を警戒する。
木々のざわめき。鳥の羽音。風のささやき。森のあらゆる音が敵の足音に聞こえ、神経が削がれていく。
「どこだ! どこに隠れてやがる!」
焦れたリアスピサが吼えた、その瞬間。
世界が凍りついた。
予兆などない。
リアスピサのこめかみに、ひやりとした金属の冷たさが押し当てられていた。
黒銃の銃口。
同時に、濃密な殺気が彼女の全身を縛り上げる。それは死神の鎌を喉元に突きつけられたかのような、絶対的な死の感触。指一本動かすことさえ許されない。
「……ばん」
耳元で、死の宣告が囁かれた。
「諸君は死んだ。戦闘不能だ。もう、動くでないぞ。死体が勝手に動いたりしたら、さすがの私も驚いて、うっかりもう一度殺してしまうかもしれない」
冷たい声が、リアスピサの耳朶を打つ。銃口が離れる気配がしたが、リアスピサは金縛りにあったように動けない。膝から崩れ落ちたときには、カスパールの姿は再び闇に消えていた。
「スピサ!」
リアハイリンが駆け出そうとした直後、背筋に悪寒が走る。
反射的に体を捻り、渾身の回し蹴りを放つ。
鈍い手応え。
蹴りはカスパールの右手に握られた黒銃に阻まれ、銃口を宙へ跳ね上げた。
いける——!
がら空きになったカスパールの腹部目掛けて、渾身の拳を打ち込もうとした。
しかし——。
「……ばん」
二度目の宣告。
リアハイリンの眉間に、冷硬な感触が食い込んでいた。
カスパールの左手。そこには、もう一丁の黒銃が握られていたのだ。
「……銃がひとつしかないと思ったか? ブラフザールは両手に武器を持っていただろうに。観察力と注意力が足りないな」
悔しさに顔を歪めるリアハイリンを残し、カスパールは銃口を下ろした。
「さあ、諸君も死んだ。これで、残りはあとひとり」
ひとり残されたリアマイムは、乾いた喉を鳴らす。
仲間たちが、あまりにもあっけなく戦闘不能にされてしまった。
スレイヴのような暴力的な強さではない。洗練された技術による、圧倒的な制圧。
カスパールが、ゆっくりとリアマイムへ向き直る。両手には二丁の黒銃。
「どうした? まだ私は、一度も引き金を引いてはいないぞ。それとも、戦わずして降伏するか?」
挑発的な問いに、リアマイムは唇を噛みしめる。
「降伏なんて、絶対にしない」
両手を広げ、水のベールを展開する。水と水。同属性同士の一騎打ち。
先手必勝。リアマイムはベールから無数の水弾を乱れ撃つ。
だが、当たらない。
カスパールは黒銃から放つ水流で弾丸を相殺し、あるいは最小限の体捌きで紙一重に躱していく。リアマイムが水の槍を放てば、彼は障害物の影に滑り込み、再び気配を消す。
静寂。
——ピチャッ。
左後方、頭上で水滴が弾ける微かな音。
リアマイムは弾かれたように振り返り、頭上からの奇襲を回避する。彼女が最初に水のベールを作って広範囲に水をばら撒いたのは、見えない敵の位置を音で探るための罠だったのだ。
一見すれば互角。水の扱いの巧みさはリアマイムに分がある。
だが、戦いの経験値が違いすぎた。
カスパールは常に一手先を読み、リアマイムの攻撃を誘導している。
リアマイムが渾身の水流を放った、その刹那。
カスパールはその奔流を真正面から潜り抜け、懐へと侵入した。
反応する暇もない。
気づけば、視界が反転し、後頭部に冷たい銃口が突きつけられていた。
「……ばん。——これで、演習は終了だ」
静かな声が、終わりを告げる。
「こちらに有利な地形だったとはいえ、少々、あっけなかったな」
カスパールが距離を取ると、リアマイムはその場にへたり込んだ。
変身が解け、元の優菜の姿に戻る。瑞季と星輝も同様だ。
完全なる敗北。
「……ここでデシリル・ジェムを奪ってもよいのだが、今日はジンに黙って勝手に君たちに接触している。見逃してあげよう。まだまだ諸君らに教えてあげたい邪悪な真実があるのだが、我々と闘い続けるなら、いずれ知ることになるだろう」
カスパールは自分の耳の翻訳機兼インカムからこの状況を聞いている少女へ、思いを馳せた。
……ここでこの戦いを終わらせてしまったら……君が寂しがるだろうからな。
誰にも聞こえぬ独白を胸に秘め、彼女はヒナへと向き直る。ヒナは戦う術を持っていないながらも、戦う覚悟を持って彼女を睨んでいた。
「改めて問う。王子。諸君が王子としてすべきことは、ただの一般人である彼女たちを戦わせることか? それこそ、かつての諸君の祖先のような、人間を身勝手に使役する卑劣な行為ではないか?」
「それは……」
「諸君らも改めて考えるといい。その手に握る『戦う理由』は、無関係の邦同士の戦争に首を突っ込み、命の危険を晒すほど価値のあるものであるかを」
カスパールが右手を上げる。転送の合図だ。
音もなく、その姿が森から掻き消えた。
残されたのは、森の静寂と、叩きのめされた敗北感。
そして、カスパールが残した言葉の棘。
悔しさ、無力感、語られた歴史の真実……様々な感情がない交ぜになり、三人はしばらく動けずにいた。
ふと、優菜の脳裏に、先ほどの言葉が蘇る。
——てっきり、すでに真実の史実を聞いていると思っていたよ。ブラフザールやナーサたちもきっとそうだ。
ブラフザールやナーサ『たち』。
優菜が知っているヘヴンのメンバーは、メルキーヴァ、カスパール、ブラフザール、ナーサ、そして、その存在は語られているものの、まだ姿を見たことのない、彼らの首領であるジン。
あの『たち』という複数形。その響きには、優菜の知らない誰かが含まれているような違和感があった。自分の組織のトップであるジンを、部下と同列に『たち』と呼ぶだろうか?
それに、あの口ぶりは、まるで優菜たちが既に知っている人物を指しているかのようだった。
以前の会話がフラッシュバックする。
——次から次へと何人も。何人いるのあんたたち。
——必要以上にこちらの情報を与える気はない。
あのとき、カスパールは明確な人数を答えず、はぐらかした。
新たな敵はもういないと、勝手に思い込んでいた。だが、もしカスパールの言葉に裏があるとしたら?
例えば——。
既に、どこかで。自分たちが気づかないうちに、まだ見ぬ敵と接触しているとしたら?
「単なる言葉の綾……だったら、いいけど……」
胸に広がる言い知れぬ不安。
森を吹き抜ける風が、ひどく冷たく感じられた。
(第十四話「奴隷」了)
第十五話「感情は空へ昇っていく」2026/05/16 8:00投稿予定




