第五話「衝突」-7-
第六話「新たなヒーローの誕生を」 2026/3/14 8:00投稿予定
デシリアが沙耶のスレイヴと戦った広場の中央で、メルキーヴァは瞑想していた。
瞑想を始めてどのくらい時間が経ったのかは分からない。
目を開けると、すでに夕方が訪れていた。
「……夜まで続けようと思ってたんだけどな」
デシリアたちはまだ鍵へアクセスしていない。メルキーヴァが瞑想を止めたのは、波ひとつ立たない水面のような無心に、一雫の雑念が溢れてしまったからだった。
彼の頭に、デシリアたちの姿が浮かぶ。
戦うふたりと、それを見守るひとり。
そして、空の邦の王子。
「くだらない」
メルキーヴァは立ち上がった。
「孤独こそが、至高の強さだ」
言い聞かせるように呟くメルキーヴァは、ヘヴンの一員となった日のことを、ふと思い出していた。
九年前。応接室で対峙した青年——ヘヴン創設者・ジン。
線が細く、清潔感のある髪。瞳には理知的な光。白衣を纏った姿は、勤勉な医学生のようだ。
とても世界の未来を背負う英雄には見えない。ただの優男だ。
くしゃっとした笑顔が印象的で、メルキーヴァとは違い、周囲に愛されて育ってきたといいうことが伝わってくる。
「君も俺の力を利用しようとしてるクチだろ? 君の理念が崇高なのは分かるけど、俺は興味ないね」
「構いません。将軍の力については伺っています」
涼しい声。
メルキーヴァは得意の洞察力でジンの瞳を覗く。
ジンはよく平静を装っている。しかし、この慣れぬ施設でメルキーヴァという大男とふたりきりで、恐怖を完全には隠しきれていない。
初対面の者には巨体が恐れられ、そうでない者には彼の持つ『力』が恐れられる。
それだけは、いかなる者にも平等な事実。
——とはいえ、うまく隠せてるもんだ。なかなか肝が座ってる。
柔和で人懐っこい微笑を保ちながら、ジンは続ける。
「将軍がどのような力を持っているか、というのは、正直どうでもいいんです。もちろん、それを私の役に立ててくださるのなら、それ以上に嬉しいことはありません」
メルキーヴァの眉が、ぴくりと揺れる。
「……へえ。『私の役』に、なんだ。『世界の役に』じゃなくて?」
彼の指摘に、ジンは苦笑する。
「お偉い方がいればそう言ったでしょうね。でも正直、僕は世界のために動けるほど立派じゃない」
そうやって後ろめたそうに視線を落とす青年。一人称がくだけたこともあり、本当に、ただの青年のようでもあった。——その態度が、メルキーヴァのような威圧感のある男と、ふたりきりの空間で出たものでさえなければ。
この青年は、ただ肝が座っているだけではない。
覚悟が違う。
「確かに僕は、世界のために戦う気なんてありません。しかし、使えるものは何だって使います。……メルキーヴァ将軍。もし、あなたが僕に興味を持ってくださるのであれば——」
メルキーヴァが彼に興味を持ち始めていたことを、あきらかに見抜いていた口調だった。
すべてを見透かしてしまうほどの純粋な瞳をメルキーヴァに向け、続けた。
「——あるいは、軍の目の届かないところに旅立ちたいと思うのなら……僕の力になっていただけると、嬉しいです」
右手を差し出すジン。
メルキーヴァは、この短時間で、ジンという男に魅入られていた。
気づけば、その手を握り返していた。
◆
翌日は土曜日だった。瑞季、優菜、星輝の三人と、瑞季に抱えられたヒナは、学校近くの公園に集まっていた。四人の視線は、瑞季が持つ黄金色の鍵へと注がれている。
空間転移装置。
「これに向かって、伝えられたパスワードを言えばいいんだよね」
「……うん。おそらく、そうだニャ」
ヒナは緊張した面持ちで頷いた。
瑞季が手のひらの上の鍵を、じっと見つめていると、隣にいた星輝が不意に口角を上げた。
「……どうしたの? 星輝」
優菜が不思議そうに尋ねる。
「なんかワクワクするなあ、って思って」
「そうかなあ……。わたしは、今にも吐きそうなくらい緊張してるんだけど」
「だってさ、ウチらが生きているうちに、地球でそんなものが開発されるとも思えねえじゃん」
「確かに」
星輝の屈託のない笑顔を見て、瑞季はガチガチに強張っていた肩が軽くなるのを感じた。
「そういえばさ」
優菜がいつもの柔らかい声で言った。
「沙耶ちゃんと四人で行く予定だったカフェ、まだ行けてないね。これ終わったら行こうか」
まるで午後の移動教室中のような調子で話す彼女に、瑞季と星輝は同時に吹き出した。
「……ははっ! そうだな! そう言われたらお腹すいてきた。ああ! チョコバナナパフェがウチを待っている!」
「そうだね。ねえ、ヒナ。帰り道にチョコチップメロンパン買ってあげるよ」
「ニャニャ!? 絶対ニャ! 言質は取ったニャ!」
「もちろんだよ」
「絶対に行こうね」
一通り笑い合った頃には、先ほどまでの緊張がすっかり消え失せていた。
優菜が「さて」と手を叩いた。
「みんな。準備はいいかな?」
瑞季も星輝も、そしてヒナも、力強く頷き返す。
「ああ」
「うん」
「おっけーニャ」
三人と一匹は円陣を組み、手を伸ばして重ねた。
「行くぞ。三、二、一でパスワードだ」
「了解」
「三、二、一、」
瑞季たちは、一斉に、大きく息を吸い込み、言った。
「「デシリア」」
瞬間、金色の鍵が眩いばかりの光を放った。真っ白な光の眩しさに、思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。
再び目を開けると、瑞季たちは七色の美しい虹の光に包まれていた。
「なにこれ……」
天地の感覚がない。身体が浮遊しているような奇妙な浮遊感。
〈——仮想空間コンクラムへようこそ〉
どこからともなく無機質な女性の声が響いてきた。
「仮想空間……?」
胸に抱えたヒナを見下ろす。ヒナもまた、キョロキョロと周囲を見回しており、この状況を把握しきれていないようだった。
〈生体情報をスキャンしています。——四名の人物情報と、その他複数の物質情報等を認識しました。管理者からの入場承認を待機しています〉
「管理者って、メルキーヴァ?」
機械音声は応えない。
瑞季は改めて周囲を見渡す。とてつもなく広い空間にも、とても狭い部屋にも感じられた。寒さも暑さも感じられない。自分自身が本当に存在しているのかすらも、不明瞭に思えた。
〈——管理者によって入場が許可されました。仮想空間コンクラムの基本ルールを確認しますか?〉
「基本ルール?」
瑞季はどう答えるべきか戸惑った。
そんな彼女に代わり、優菜がすぐに答える。
「はい。お願いします」
〈まず、当仮想空間から退場は、管理者が定めた条件を満たすか、管理者の許可により可能となります。また、緊急退場の意を念じると、ヘヴン社へ強制転送されます〉
ヘヴン社。
全員がその言葉に顔をしかめたが、黙って話を聞き続けた。
〈仮想空間内で生命反応が減るか、危険レベルまで弱まった場合も、ヘヴン社への強制転送が行われます。ヘヴン社が仮想空間を覗き見ることはありませんが、人工知能が犯罪や公序良俗に反する行為を監視しています。断じて、危険行為を行わないようお願い申し上げます〉
要するに、仮想空間内でのプライバシーは守られるが、犯罪利用はできないということだと、瑞季はひとまず飲みこんだ。
〈また、内部での緊急事態が発生した場合を除き、安易に緊急退場の意を念じるのはお控えください。例えば、近隣にあるヘヴン社の支店への移動手段としての使用などです。これらの規約に違反する行為が確認された場合、業務威力妨害などの罪により、厳しく処罰されることがあります。以上です。もう一度、ルールを確認しますか?〉
「いいえ。結構です」
優菜がきっぱりと答えた。
〈——では、仮想空間コンクラム・ルームナンバー・十五『決闘場・神殿』へご案内いたします〉
機械音声が終わると同時に、彼女たちの目の前に、巨大な扉が音もなく現れた。教室のドアの四つ分はあろうかという重厚な金属製の扉だ。
腹の底に響くような重たい音を鳴らしながら、ゆっくりと内側へと開かれていく。途端に、ひりつくような緊張感が、グッと増した。
扉の中は白い光でいっぱいで、何も見えない。
扉へ吸いこまれていく。
自分の身体が細かい立方体の粒子となり、分解されながら吸収されるような感覚があった。
口も目も分解され、彼女たちは消える。
気がつけば、薄暗い空間にいた。
古代ギリシャの神殿を思わせる太い円柱が、無数に立ち尽くしている。一辺が十メートルほど正方形の石畳が大量に敷き詰められており、それぞれの頂点に柱が立っているようだ。柱には、地面から二メートルほどの位置で松明が燃えていた。柱の太さは、瑞季と優菜が逆方向から抱きしめて、ようやく手が届くくらいだろうか。
高さは、分からない。暗くて天井が見えないから。どの方角を見ても、ただ、延々と続く柱の列か、あるいは、すべてを飲み込むかのような完全な暗黒しか見えない。
瑞季は地面を靴の裏で擦る。音はよく響いた。冷たい残響だった。
そして、彼女たちの前方三十メートル地点に、メルキーヴァとスレイヴが立っていた。
「ようこそ、お嬢ちゃんたち」
距離はあったが、メルキーヴァの声ははっきりと聞こえた。
スレイヴは瑞季たちを視界に入れると、唸りはじめた。しかし、メルキーヴァがスレイヴの動きを制した。
「待て、スレイヴ。丸二日暴れられなくてうずうずしているのは分かるが、その前にすべき説明がある」
唸り声がフェードアウトしていく。まるで、飼い主に恐怖で躾られた犬のようだった。
「仮想空間は、初めてかい?」
瑞季たちは黙って頷く。
「だろうな。……説明しよう。仮想空間コンクラムってのは、ヘヴン社の製品だ」
「ヘヴンって、会社なの?」
「そうだね。ヘヴン社は、転移装置と仮想空間コンクラムの発明により、俺たちの世界に技術革新を起こした。莫大な資本を得てスレイヴを開発し、光の連邦を制圧して、無の邦へやってきた、って流れ。俺は社員ではないけど、まあそんなのはどうでもいいよ」
メルキーヴァは一息つき、台本を読むみたいに続ける。
「仮想空間コンクラムには、会議とか逢瀬とか、幅広い用途に応じた部屋が用意されている。決闘場は、そのひとつ。決闘の場合、管理者がルールを設ける決まりとなっていてね。今回のルールは至ってシンプル。相手を全滅させること。制限時間は、なしだ」
メルキーヴァは、得意げに外套の影から歯を輝かせ、組んでいた脚を組み替えた。
「まず、君たちはスレイヴと戦う。頑張って助けてあげてね。もし君たちが勝つことができたら、次は俺と戦ってもらう。二連戦になっちゃうけど、心配しないで。弱った君たちに勝っても嬉しくないから、救済措置は用意してる。まあ、どちらにせよ、君たちが五体満足で外の景色を拝むことは、金輪際ないけどね」
「退場の意を表明すれば出れる、って言ってたと思うけど?」
「よく説明聞いてるじゃん。偉いね」
メルキーヴァは、わざとらしくパチパチと手を叩いた。
「でも、強制送還の場合、送られるのはヘヴン社だとも言ってたでしょ? 無の邦から、そこまで飛ぶことは流石にできないよね。ネットワークエラーなんかでヘヴン社に接続できない場合、お互いが入場した場所に退場するようになっている。製品版は、ね」
「つまり、改造してるってこと?」
優菜が冷静に尋ねる。
「その通り」
メルキーヴァは愉快そうに頷いた。
「今回は特別にパッチを当ててもらったのさ。君たちの退場先をね。——そう、君たちが今立っている、その場所に」
両腕を広げ、メルキーヴァは嗤う。
「そんな……無茶苦茶な」
「最高の舞台だろう? まあ、死にはしないから安心して。君たちの出方次第では、死んだ方がマシだって思える結末になるかもしれないけど」
瑞季の脳裏に、家族や沙耶の顔が浮かぶ。
ひょっとすると、もう会えないのかもしれない——。
しかし、瑞季の顔には、不安だけでなく、不敵な笑みも含まれていた。
「どうしたの? もっと怖がると思っていたんだけど」
「スレイヴを浄化してあなたを倒せば問題ないんでしょ? それなら、何も変わらないよ」
瑞季は、きっぱりと言い放った。
「そうだな。ウチらは、負けるためにここに来たんじゃない」
星輝も笑みを浮かべ、続く。
「勝つために来たのだから」
優菜もまた、言い切った。
三人は目を合わせ、頷き合う。
「行くよ、優菜。星輝とヒナは隠れてて」
ふたりは同時にデシリル・アンプとデシリル・ジェムを手に取り、デシリル・アンプの窪みに嵌めた。
白色と水色。二色の清らかな風が、彼女たちの身体を力強く包み込む。圧縮された聖なるエネルギーが、華麗に爆散すると、美しく雄々しいふたりの戦士が顕現した。
「『デシリアの 穢れを裁く魂は 如何なる者にも染められない。透き通る心、リアハイリン!』」
「『デシリアの 水面たゆたう魂は 如何なる者にも穢されない。澄み渡る心、リアマイム!』」
(第五話「衝突」了)




