第四話「嘘」-2-
便座に腰をかけ、沙耶は嗚咽を堪えていた。
「なんで……」
あんなことを言われないといけないのか。
——私は不細工だ。大嫌い。特に、鼻の下の黒子が憎い。
——だからって、誰にも迷惑かけてないのに、なんでコンプレックスを嗤われなきゃいけないの?
彼女はポケットからナイフを取り出し、鞘を外す。銀色に輝く刀身に、ぼやけた自分が写っている。
これであいつを——。
赤い衝動が、脳内でカッとなる。
このまま後先考えず、頭を真っ白にしてやりたかった。
「……」
ナイフを自分へ向ける。切っ先が、憎い黒子へと迫る。
こんなものさえなければ——。
だが、震える手は狙いを定められない。切っ先は喉へ、胸へ、腹へと下がり、最後は膝の上に力なく落ちた。
「……ダメだ」
自分を傷つける勇気すら、なかった。
——死にたい。
はっきりと、その四文字が脳裏に焼き付く。
自分なんか誰も助けてくれない。
わかりきってるから、助けも呼びたくない。
瞼の裏に、ひとりのクラスメイトの姿が浮かぶ。その人の存在は、この学校での些細な楽しみ。でも、いつの間にか、その人はずっと遠くへ行ってしまった。
「もう、何も残ってない」
一筋の涙が流れる。嗚咽が止まり、何も考えられなくなった。
チャイムの音が聞こえた。ここへ逃げてきてから、どのくらい経ったのだろう。
サボりたい。
これだけ傷ついたんだ。今日くらい許されるはずだ。
そんな思いが頭を巡るが、身体は勝手に涙を拭き、ナイフをしまっていた。
立ち上がる。
ルールに背く気力さえ、もう残っていなかった。
五限目も六限目も、頭にはほとんど何も入ってこなかった。ノートもまともに取れてない。
休んでいたならともかく、授業に参加していたのに誰かにノートを貸してもらえるわけがない。もし休んでいたとしても、自分から頼めるほど仲の良い人はいない。
お昼から、ずっと、彼女の胸はドクドクと脈打っていた。しかし、幾分冷静にもなっていた。
衝動的とはいえ、自分は明確な殺意を持ったのだと、鮮明に理解できる。
これほど激しい殺意は初めてだった。
なぜだろう。
我慢の限界を超えただけかもしれない。
あるいは——。
ポケットの中の硬い感触。
武器を持っているという事実が、心を狂わせているのか。
これを渡した男は、何者なのか。
「ねえ、西沢さん」
話しかけられて、意識が現実に引き戻される。教室の騒音が突然大きくなったように感じた。
話しかけたのは、染谷瑞季だ。
彼女の額と耳は、やや赤くなっている。
「放課後、時間あるかな」
「え? うん、あるけど」
「よかった。この後、優菜と星輝とケーキ食べに行こうって約束してるんだけど、その、もしよかったら、一緒に行かない?」
「え?」
「その、本当に、暇で暇で仕方ないなら、もしよかったら、みたいな……? あー、なに言ってるか自分でよく分からなくなってきた! ごめんなさいっ」
顔を真っ赤にしてパニックになる瑞季。
何の風の吹き回しだろう。
そうやって疑ってしまう自分が嫌になる。
「だ、ダメかな?」
でも、嬉しかった。
「……うん、いいよ」
脈打つ鼓動の色が、変わった気がした。




