第四話「嘘」-3-
放課後、優菜と星輝が横に並んで歩き、その後ろを、沙耶と瑞季が少しぎこちない距離感を保ちながらついていく形で、四人はカフェへ向かった。
沙耶は常に俯き加減で、ときどき手持ち無沙汰に道端の植え込みや遠くの空を見回したりしている。その落ち着かない様子は、まるで、ほんの少し前の自分自身を見ているかのように、瑞季は感じた。
「西沢さん、ケーキ好き?」
瑞季は勇気を出した。
「……え? うん……食べる機会は少ないけど、好き、かな」
「そっか。私もあんまり食べないから、今日は楽しみなんだ」
「うん……そうなんだ」
ぷつり。会話が途切れる。
ふたりともコミュ力は高くない。無情な沈黙が流れた。
お互いがお互いに次に何を話そうかと、頭の中で言葉を探している、そんな気まずい沈黙が流れる。
そこへ、救いの女神が現れた。前を歩いていた優菜が振り返ったのだ。
「西沢さん。お金、大丈夫? もしなかったら私が出すから」
優菜が振り返る。
そうだ! 確認してなかった!
「ご、ごめん西沢さん! 私全然気づかなくて!」
「ううん、大丈夫。お財布持ってるから」
優菜の自然な気遣い。沙耶の優しい声音。
瑞季の胸が、きゅんと鳴った。
「あ、あの……それより」
沙耶は、何か意を決したように、右手を自分の胸の前に置き、尋ねた。
「どうして、私なんかを誘ってくれたの……?」
期待と同じくらいの不安に、震えているように聞こえた。
うーん、と優菜は人差し指を自分の顎に当てた。
もちろん誘った理由は莉照のことだが、このタイミングでそれを言うのは良くない。
「お話ししたかったからだね。ほら、このクラスで帰宅部の女子って、この四人だけでしょ? せっかくだから、仲良くしたいなって」
優菜はにっこりと笑う。
沙耶は俯き気味で、複雑そうな表情だった。嬉しさと戸惑い、緊張が見て取れる。
すると、今度は星輝がくるりと振り返った。優菜とは違い、全身を沙耶の方へと向け、器用に後ろ歩きをしながら、話しかけてくる。
「なあなあ、西沢さん! あそこのカフェ、行ったことある?」
彼女は向かいの歩道の、百メートルほど先を指差した。クリーニング屋やラーメン屋が並ぶ中、深緑の壁と赤いオーニングテントが目立つ建物が見えた。一階がお店で二階が住宅になっているらしい。
「行ったことないと思う」
「あの味を初めて味わえるなんて羨ましいなー。めっちゃ旨いから、楽しみにしといて。あ、もしかして甘いもの苦手だったりする?」
「ううん。好き」
「ならよかった! ま、甘さ控えめなのもあるから、どのみち問題ないけどな」
星輝はあっけらかんと笑った。
脇道から男性が現れる。優菜がとっさに星輝の肩を引いた。
「危ない、前見て」
「おっと、わりいわりい! はーい!」
素直に前を向く星輝は、叱られた大型犬のよう。
「夫婦みたい」
沙耶がぽつりと零す。
「夫婦っていうか、親子?」
「言えてる」
クスクスと笑い合う四人。
沙耶のはにかんだ笑顔に、瑞季も頬を緩ませた。
平和で微笑ましい穏やかな放課後のひととき。
それを、繋中学校の校舎の屋上から眺めている男がいた。
「一滴の白こそが、最も黒を際立たせるんだよね」
屋上から見下ろすメルキーヴァが、沙耶へ手をかざす。
ポケットの中のナイフが、意思を持ったように這い出した。
重力に従い、アスファルトへ落下する。
カラン、と乾いた音が、穏やかな空気を切り裂いた。
それが星輝の足元に転がる。
「ん?」
星輝は、不思議そうに立ち止まり、場違いな凶器を見つけた。
「これって……」
「あっ」
顔から急速に血の気が引いていく。
三人の視線が集まる。そこに疑いはない。ただの心配だ。
だが、沙耶にはそれが耐えられない。
星輝の手からナイフを奪い取る。
「なんでもないの!」
沙耶は肩甲骨のあたりまであるツインテールを激しく揺らし、これまで来た道とは逆の方向へと、何かに追われるように走り出した。
「西沢さん!? 待って! どうしたの!?」
瑞季が、慌てて呼び止めるが、彼女は一度も振り返ることなく、がむしゃらに駆けていく。
走りながら目頭が熱くなり、涙がこぼれた。
何もしていない。疚しいことなんてない。
けれど、見られてしまった。
醜い殺意を——。
だが、その逃走もほんの数十メートルで終わりを告げることになった。目の前に、突如として巨大な影が舞い降りてきたからだ。
闇色のフード付きの外套を身に纏った、大男。沙耶が登校途中に出会った不気味な男だ。
「メルキーヴァ!」
背後から瑞季たちの声が聞こえるが、沙耶は恐怖で振り返られなかった。
「ナイフは有効活用できたかい?」
首を横に振る。その手に握りしめていたナイフを、汚物でも扱うかのように、彼に差し出した。
「お、お返しします!」
「使ってはいないんだね。でも、黒感情を熟成してくれたみたいだ」
メルキーヴァは懐から水晶を取り出す。
「実に良い感情だよ。複雑で面白い」
美しい水晶だった。その甘美な輝きに、視線が吸い込まれていく。
「西沢さんっ! 逃げてぇぇぇっ!!」
その声は確かに耳に届いていたが、視線が水晶から離れてくれなかった。
男が、外套の下でニヤリとほくそ笑む。
「『水晶よ。黒を喰え』」
「——だめぇぇぇッ!!」
バッグを放り投げ、瑞季は駆けた。
あと少し。あと少しで手が届く。
だが、その指先が触れる寸前、沙耶の体は黒い渦に飲み込まれた。
爆ぜる暴風。
瑞季の身体は木の葉のように吹き飛ばされ、後方にいた星輝と優菜を巻き込んでアスファルトに叩きつけられた。
「そんな……西沢さん」
暴風の中に、大切な同級生の甲高い悲鳴が交じっていた。
心の奥底に仕舞い込んでいた温かいものを、無理やり掻き取られてしまうかのような悲痛な感覚。
「やめて……! もう、やめてよぉぉっ!!」
「……おや? それは、いったい、どういう意味かな? ……『こんな目立つところで派手に戦わせるのはやめてほしい』ということかな?」
いつの間にかメルキーヴァは瑞季たちのすぐ背後に立っていた。その声は、他人事のように軽い。
「違う……! そんなこと、言ってるんじゃ……!」
「……ああ、いいよいいよ。ちゃんと分かってるからさ」
話がまるで噛み合っていない。
メルキーヴァは、彼女たちの心を理解した上で、弄んでいるのだ。
パチン、と指を鳴らす音。
世界が蜃気楼のように歪み、瑞季の視界は闇に飲まれた。
平衡感覚が狂う。暗闇の中に仲間と敵の姿だけが浮かび上がる奇妙な感覚。
強く瞬きをすると、世界は一変していた。
そこは森の中だった。
周囲を鬱蒼とした木々に囲まれた、広大な草地。草地は、直径五十メートルほどの円形をしており、古代ローマの寂れた闘技場のようにも見えた。
「ここは……?」
瑞季の問いに、メルキーヴァは楽しげに答える。
「お嬢ちゃんたちの住む町の北にある山さ。昨日見つけたんだ。人目を気にせず闘える、いい場所でしょ?」
「ふざけないで」
瑞季は憎しみを込めて睨む。
「良い目だね。でも、よそ見している場合?」
瑞季たちの頭上。
沙耶を飲み込んだ黒い渦が、巨大なドリルのように高速で回転しながら、迫ってきていた。
それは、そのまま地面に突き刺さり、瑞季たち三人をいとも簡単に弾き飛ばす。
生身の三人は、頭を強打することこそ避けられたものの、力なく地面に倒れたまま、すぐには立ち上がることができなかった。
「西沢、さん……」
霞む視界。
ゆっくりと晴れていく黒い渦の中心に生まれた、異形の怪物の姿。
それは、前回の高校生のスレイヴより一回り小さい。背丈は瑞季ふたりぶんほど。
紺色のブレザー、緩んだ赤いリボン、膝上のチェックスカート。
瑞季たちと同じ、この中学校の制服だ。
暗い紫の肌。のっぺりとした顔には目も鼻もなく、裂けたような口だけが存在する。
その口から、地を震わす絶叫がほとばしった。
次の瞬間、スレイヴは、ミディアムロングの艶やかな黒髪を舞い上げながら、駆けた。
一番近くにいた優菜へと狙いを定めたようだ。
人間離れした脚力で、優菜との距離を瞬きする間に埋めていた。
「止まれ」
メルキーヴァの声と共に、拳が優菜の眼前でぴたりと止まった。
「……やれやれ。変身する前のお嬢ちゃんたちを一方的にいたぶっても、ちっとも面白くないじゃん」
メルキーヴァの声が、どこからともなく響く。
「さあさあ、遠慮はいらないよ。思う存分、戦う姿を見せておくれよ」
ようやく距離が縮まった友達と、戦わなくてはならない。
「なんで……!」
芝生を鷲掴みにする瑞季。
対照的に、星輝と優菜は既に立ち上がっていた。
「瑞季」
優菜の声には、強い意志が宿っている。
「でも!」
「このままじゃ、本当の言葉も気持ちも届かんぜ……。まあ」
星輝は一度言葉を切り、少しだけ自嘲するように笑った。
「変身できないウチが偉そうに言うのも、アレだけど……」
「一秒でも早く、西沢さんを解放してあげましょう」
優菜が手を差し伸べる。
彼女の言葉はもっともだ。
それは瑞季だって痛いほど理解している。
それでも、すぐには動き出すことができなかった。
「瑞季」
優菜がもう一度瑞季の名前を呼んだ。
立て。立つんだ私——。
瑞季は、必死に自分に言い聞かせた。震える脚に無理やり力を込め、ゆっくりと立ち上がっていく。
「私の憧れるヒーローは……! どんな状況でも必ず立ち上がる!」
たとえ、どんなに打ちのめされ、心が挫けそうになったとしても。
何度でも立ち上がり、最後には勝利を掴み取る。
瑞季はブレザーの内ポケットに忍ばせていた、白い宝石と板を強く握りしめた。
「待っててね、西沢さん……! 必ず助けるから!」




