第二十七話「緑の前触れ」-4-
凪宮の提案で、五人は学校近くのファミリーレストランへと向かった。
夕方のピークにはまだ早い店内は、まばらな客が談笑する穏やかな空気に包まれていた。案内されたテーブル席で、瑞季たち三人の向かいに、アスラと凪宮が腰を下ろす。メニューを広げ、ドリンクバーを注文する少女たちの姿は、凪宮の格好に目をつむれば、どこにでもいる普通の女子中学生にしか見えないだろう。
しかし、テーブルの上には、見えない緊張が張り詰めていた。
ドリンクバーからそれぞれが好きな飲み物を持って席に戻ると、しばらく奇妙な沈黙が流れた。最初に話し始めたのは凪宮だった。
「それにしても、今日は暑いですね」
彼は、自分のグラスに注いだ鮮やかなメロンソーダを眺めながら、どこか感心したように言った。
「日本の夏というものは、絵や写真で見れば不思議と爽やかに見えます。汗さえも輝いて見えますしね。しかし、現実の夏はじめじめとして、息苦しい。……おっと、失礼しました。あまりネガティブな話題はよろしくありませんよね」
彼がそう言ってストローに口をつけると、星輝が怪訝そうに短く尋ねた。
「君は何者なんだ?」
「僕のことが気になる気持ちは分かりますが、まずは本題に入りましょう。みなさんをお呼びしたのは、友達になってほしいから、というわけではないのですから」
彼は、わざとらしく咳払いをひとつすると、表情からわずかな笑みを消した。
「まず、今朝あなたを襲った少女……神辺穹について、僕が知っている情報をお話しします」
瑞季はごくりと喉を鳴らした。昼間の喧騒やファミレスのBGMが遠く感じられる。
「彼女は、あなた……すなわち、リアハイリンに対して、強い憎しみを抱いています」
リアハイリン。
その名を、少年は何のためらいもなく口にした。
テーブル席に、ピンと糸が張る。
「あなたは、どうしてデシリアを知っているの?」
「主にご教授いただいたからです」
「主?」
アスラが目を細める。
彼は、わずかに口元を緩めた。
「ええ。ただ、主の素性については、僕の口からお話しすることはできません。しかし、そう遠くないうちに、お会いになることになるでしょう」
「どういうこと?」
「言葉通りの意味です」
あまり深く話すつもりはないらしい。
瑞季は話を戻す。
「さっき、その神辺って子が、私を憎んでる、って言ったよね。でも、私、あの子に会ったことなんて」
「ええ、ないでしょうね。彼女の憎しみは、一方的な逆恨みです」
凪宮は、目の前にあるメロンソーダのグラスの縁を指でなぞる。
「彼女は、リアハイリンのせいで大切な人がひどく傷つけられた、と思い込んでいるのです」
「そんな……。私が誰かを傷つけたなんて。スレイヴにされた人は、みんなちゃんと浄化したはずだし」
瑞季の反論に、星輝もアスラも同意して頷く。
だが、凪宮は静かに首を振った。
「もちろん、あなたにそんなつもりがなかったことは、僕も、僕の主も理解しています。ですが、神辺穹はそうは思っていない。そして、その思い込みは、非常に根が深い。彼女の言動を見る限り、彼女の世界では、あなたは許しがたい悪であり、破壊者なのです」
「破壊者……」
スレイヴとの戦いで、ものが壊れるのはたくさん見てきた。アニメの世界のように、戦いが終わったら何事もなかったかのようになることはなく、現実では、壊れたものは壊れたままだ。
ひょっとすると——。
「壊してしまったものの中に、その子の大切な思い出があった、とか?」
「いい線をついています」
コーラに口をつけていた星輝は、ストローから口を話し、眉を曲げた。
「でも、だからって瑞季を恨むってのは、なんかずれてないか?」
「ええ、まったくもってその通りです。ですが、人の感情というものは、常に理屈通りに動くわけではありません。特に、彼女のような若さで、強い喪失感を味わった人間は、その憎しみをどこかにぶつけずにはいられないものです」
「その、神辺って子が失ったものっていうのは、何なの? それに、詳しい理由を教えてよ。それが分かれば、話し合うことだって……」
優菜がテーブルに身を乗り出して詰め寄る。
「申し訳ありません。それについては、口止めされておりまして。僕の口からは、お話しする許可が与えられていないのです」
「じゃあ、あんたとその主は何者なんだよ」
「主は、僕の神です」
星輝へ誇らしげに告げた。
「僕は、暴走した神辺穹を止めようとする主の付き人です。護衛、と表現してもいいかもしれません」
今朝、瑞季に投げられたナイフの柄を、彼は素手で掴んだ。その身のこなしからして、彼がただの子供ではないことは明確だ。
「強かったもんね」
瑞季がそう微笑むと、凪宮は少し驚いたような目を見せ、わずかに顔を赤らめた。
「あ、ありがとうございます。人並み以上には強いでしょう。……神辺穹について、ひとつ確かなことがあります」
彼は一呼吸置いて続けた。
「彼女があなたの前に姿を現したのは昨日のことですが、それよりもずっと前から、彼女はあなたの身辺を探っていたと思われます。しかし、十を過ぎたばかりの女の子が、たったひとりで僕たちの目から逃れて暮らし続けられるとは、到底思えません。おそらく、協力者がいます」
協力者。
その言葉に、瑞季は昨日見たスレイヴと、それを操っていたであろう謎の人物の存在を思い出した。あのときは、フードの少女が召喚主ではないかとも思ったが、召喚主と少女は別人なのかもしれない。
「何か、心当たりはありませんか? 例えば、最近あなたの周りに現れた、不審な人物とか」
その問いに、瑞季は首を横に振った。神辺穹という名にも、彼女を支援するような組織にも、まったく心当たりはない。ただ、
——これから、おぬしに近づこうとする者がいたら、用心してほしいニャ。
ヒナのあの忠告が、頭の中で何度も繰り返されていた。
そのときだった。
ズウゥゥン……。
遠くから、地鳴りのような低い振動が、ファミレスの窓ガラスをわずかに震わせた。同時に、人々の悲鳴が聞こえてくる。
「今の……!」
「スレイヴだ!」
星輝が叫び、瑞季たちは弾かれたように席を立つ。窓の外に目をやると、ファミレスからほど近い植物園から、黒い煙が上がっているのが見えた。
瑞季たちは、アイコンタクトだけで互いの意志を確認する。ただひとつ、凪宮のことだけが気に掛かる。
彼女たちが彼を一瞥すると、彼はメロンソーダを口に含んだ後、紳士的な微笑みを見せた。
「……お代は僕が払いますので、行ってください。ヒーローさん」
「で、でも、さすがに年下の子に出してもらうわけには」
「お金を出すのは僕の主なので、お気になさらず」
経費ですよ、経費。と凪宮はいたずらな笑みを見せる。彼の幼くも整った表情は、年齢不相応の妖しささえ漂わせていた。
瑞季の決断は早く、困惑する三人を尻目に、力強く頷いていた。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。——みんな、行こう!」
瑞季がそう言うと、残りの三人も迷いなく頷いた。
四人はレジへと駆け出す。その背中に、凪宮の声がかけられた。
「くれぐれも、お気をつけて」
四人の少女たちが店を飛び出していくのを見送りながら、凪宮はテーブル席にひとり座り、ぽつりと呟いた。
その声は、賑やかな店内の誰の耳にも届かない。
「……なかなか背徳感がありますね。こうして、あなたと話すのは」
凪宮は、瑞季が座っていた席を静かに見つめる。
グラスに残ったメロンソーダの氷が、カラン、と寂しい音を立てた。




