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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第十七話「寒期の終わりを告げるそよ風」

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第十七話「寒期の終わりを告げるそよ風」-4-

 午前十時。

 瑞季、星輝、優菜の三人とヒナは、地図アプリが示した座標へと足を踏み入れた。

 繋中学校の裏手に広がる森の、さらに奥深く。そこには、直径五十メートルほどのぽっかりと開けた円形の草地があった。鬱蒼とした木々に囲まれた、外界から隔絶された空間。

 しかし、その静寂とは裏腹に、草地には不自然に草が禿げ、土が抉れたような跡が点在している。

「ここ、沙耶さやのスレイヴと戦った場所だね」

 瑞季が息を呑む。苦しい死闘の記憶が、足元から這い上がってくるようだった。

「はい。メルキーヴァさんの報告書にあった場所です」

 不意に、鈴を転がすような声が草地の中央から響いた。

 そこに静かに佇んでいたのは、アスラだった。

 純白のブラウスと黒のスカート。服装こそ昨日までと同じだが、纏う空気がまるで違う。俯き加減の顔には濃い影が落ち、その瞳は深淵のように暗く沈んでいた。

「人目を避けて戦うには、ちょうどいい場所だとのことで……。使わせていただくことにしました」

「アスラちゃん……」

 優菜が悲痛な声を漏らす。

「お越しいただき、ありがとうございます」

 アスラがゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に宿る、氷のように冷たく鋭い光。瑞季は思わず一歩後ずさる。

「昨日、どうして私はあのようなことをしたのでしょうか」

 どこか突き放すような口調で、アスラは淡々と語る。

「気の迷いという他ありません。使命の前に立ち塞がる、取るに足らない煩悩……。でも、私はもう迷いません。使命のためだけに生きます」

 それは瑞季たちへ向けた言葉であると同時に、自分自身へのいましめのようでもあった。

 アスラが右手を天にかざす。

 手の中に現れた二十センチほどの黒い棒が、カシャッという無機質な音と共に左右に伸び、二メートルの長槍へと変形した。ナーサが使っていたものと同じ黒槍。だが、柄に嵌め込まれているのは緑ではなく、深く澄んだ青色の宝石だった。

「あれは……! 空のデシリル・ジェムだニャ!」

 ヒナが緊迫した声を上げる。

「気をつけるニャ! 空の邦の精霊は火や水のような攻撃能力こそないけど、自らの姿を消すステルス能力や、気圧を操作して場を混乱させる力があるニャ!」

「お初にお目にかかります、空の邦の王子」

 アスラは美しい所作で一礼すると、流れるような動作でヒナへ切っ先を向けた。

「私は、あなたの邦の力で、あなたたちを倒します」

「アスラちゃん……!」

 優菜が一歩前に出る。

「わたしたちは本当に戦わないといけないの……!? 話し合うことはできないの!?」

「……はい」

 アスラは一瞬だけ、痛みを堪えるように伏し目がちになった。

 だが、すぐに顔を上げ、冷徹に言い放つ。

「……あなたがたが、すべてのデシリル・ジェムとアンプを明け渡し、降伏しない限りは」

 交渉の余地はない。

「来なさい」

 腰を低く落とし、黒槍を構える。そこに、昨日までの控えめな少女の面影はない。あるのは、使命を完遂する冷酷な戦士の顔だけだった。

「……仕方ないね」

 瑞季は唇を噛みしめ、覚悟を決めた。

「みんな、行くよ!」

 三色の光が弾け、森の暗がりを照らし出す。

 リアハイリン、リアスピサ、リアマイム。

 三人のデシリアが、かつての友と対峙した。

 だが、変身を終えても、彼女たちは動けなかった。アスラから放たれる殺気が、目に見えない鎖となって三人を縛り付けているのだ。

「来ないのですか? ……それなら、私から参ります」

 アスラが黒槍を一振りした。

 その瞬間、彼女の輪郭が陽炎のようにブレて——完全に風景へと溶け込んだ。

「!?」

「ステルス能力だニャ!」

 姿だけでなく、気配すらも消え失せた。

 森のざわめき。鳥の鳴き声。心臓の鼓動。そのすべてが敵の接近のように思え、極度の緊張が神経を焼き切っていく。

 静寂の中、リアハイリンの直感が警鐘を鳴らした。

 来る——!

 振り返るより早く、リアハイリンは身を捻った。

 直後、無の大気から音もなく突き出された黒槍が、リアスピサの背中を貫こうとしていた。

 リアハイリンの拳が、紙一重で槍の側面を殴りつける。

 硬質な音と共に軌道が逸れ、切っ先はリアスピサの脇腹を掠めて空を切った。

「っ!」

 リアハイリンはそのままの勢いで身体を反転させ、裏拳を叩き込もうとする。

 だが、拳が届く寸前、アスラの姿は再び陽炎となって掻き消えた。

 空を切る裏拳。

 反撃されることすら計算済みだったかのように、彼女はすでに安全圏へと離脱していたのだ。

「ねえ、アスラちゃん」

 リアハイリンは、見えない友達へ向かって語りかけた。

「あなたも、精霊を力づくで制圧するヘヴンのやり方には、賛成なの?」

 返事はない。

 永遠にも思える数秒の沈黙の後——。

「あたりまえです」

 その声は、リアハイリンのすぐ耳元で囁かれた。

「!?」

 背筋が凍りつく。

 気づいたときには、首筋のすぐ横に黒槍の刃が迫っていた。

 反射的に仰け反る。

 刃は彼女の喉笛を避け、束ねた髪を数十本、ふつりと切り裂いて宙へ舞わせた。

「ハイリン! 止まるな! 挟み撃ちにするぞ!」

 リアスピサが叫び、見えない敵の予測地点へ向けて炎弾を連射する。

 それを盾にするように、リアハイリンが突進した。前後からの挟撃。逃げ場はない。

 しかし、ふたりの真ん中に姿を現したアスラは、慌てる素振りもなく黒槍を天へ掲げた。

 そのとき、突如、視界が歪むほどの異常な突風が吹き荒れた。

 アスラを中心とした気圧の急激な操作。リアハイリンとリアスピサの背後の気圧が真空のように低下する。

「!?」

 見えない巨大な壁に押されるように、ふたりの身体が進行方向とは逆へ弾き飛ばされる。炎弾は軌道を失い、リアハイリンは泥の中へ転がった。

 アスラが後方へ跳躍し、今度は槍を敵へ向ける。

 気圧が逆転する。

 今度は強烈な吸引力が発生し、ふたりは磁石のように引き寄せられ、激突しそうになった。

「させない!」

 後衛のリアマイムが、瞬時にふたりの間に水のクッションを展開する。

 激突の衝撃を殺すと同時に、彼女は地面に手を触れた。

 アスラの足元の水たまりから、無数の水の鞭が蛇のように這い出る。

 足を絡め取れば、勝機はある。

 だが、アスラは鞭が届くより早く、跳んだ。

 ——いや、飛んだのだ。

 重力を無視したように、彼女の身体はふわりと地上数メートルまで浮き上がった。

 空を切る水の鞭。

 アスラは宙に留まったまま、泥に塗れる三人を見下ろしていた。

「精霊の残忍なやり方が、許されるはずなどありません」

 上空から、静かで冷徹な声が降ってくる。

「でも……!」

 リアマイムが泥だらけの顔を上げて叫ぶ。

「精霊が酷いことをしたのは、もう五百年も前のことでしょ!? あなたたちは、もう独立して、自分たちの文明を築いているんじゃないの!?」

 その言葉に、アスラの瞳がスッと細められた。

 絶対零度の視線に射抜かれ、リアマイムの背筋が粟立つ。

「……そういえば、カスパールさんはそこまでしか語っていませんでしたね」

 アスラはゆっくりと高度を下げ、音もなく地面に降り立った。

「精霊は、いまだに私たちを縛っているのです。……あの星には、精霊が後先考えずに人口を増やし、発展させすぎた人類が使うには、原油などの環境資源が少なすぎました。それを補うための自然エネルギーや、私たちの『善の心』さえも、精霊は奪い続けています」

「どういうこと?」

「人口ばかりが増え、資源も希望も乏しい世界。……そこで何が起こったか、分かりますか?」

 アスラの問いに、冷たい風が吹き抜ける。

 リアマイムは、震える唇を開いた。

「残る環境資源を巡った、人間同士の戦争……」

 リアハイリンとリアスピサが息を呑む。

 アスラは、静かに首肯した。

「正解です。人と人が、椅子取りゲームのように殺し合う世界を作ったのは、紛れもなく精霊の所業です。それを、あなたは『過去のこと』と言って切り捨てることができるのですか?」

 アスラの言葉が、見えない刃となって三人の胸を抉った。

 彼女たちにとって戦争とは、教科書の中の歴史か、海の向こうのニュースでしかない。だが、目の前の少女にとっては違う。

 圧倒的な事実に言葉を失う三人。

 だが、その後方から、ヒナが声を張り上げた。

「アスラ。おぬしはさっき、資源を補うための自然エネルギーや善の心さえ、精霊が奪っている、って言っていたニャ。それは、どういうことだニャ?」

 アスラは嘲るように、フッと鼻で笑う。

「あなたがそれを問うとは、ひどく滑稽ですね。もっとも、あなたは知る由もなかったのでしょうが。自分が、私たちからどれほど貴重なものを奪い続けていたかを」

「……?」

 ヒナは混乱し、ただアスラを見つめることしかできない。

 すると、アスラはふと視線を上げ、木々の隙間から覗く天を仰いだ。

「青空を見たことはありますか?」

 突拍子もない問いに、リアハイリンたちは顔を見合わせる。

 アスラは、眩しそうに目を細めながら続けた。

「……あるでしょうね。今だって、こんなにも美しい青空が広がっています」

 その声には、どうしようもない羨望と、絶望が入り混じっていた。

「私が初めて空を見たのは、こちらの世界に来たときです」

「え」

 アスラは、再び三人に視線を戻す。

 その瞳の奥で、静かな怒りの炎が揺れていた。

「精霊は、私たちから青空をも奪ったのです」


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