第六十五話 意識に住まうもの
吹っ飛ばされた反動をうまく利用し、ゲンは身を翻して着地した。
飛び出した百足は煙を撒くようにして、ゲンの仮面の中へと吸い込まれるように姿を隠し、その隙間から顔を覗かせている。
そして、仮面の隙間からズズズと這い出た百足は、ギチギチと身体をうねらせた。紅の般若の仮面はモヤで黒く澱み、目の隙間からまるで涙を流しているように見えていた。
「……なあ、ヤン……見てみろよ。一杯あいつに喰らわせたみたいだぜ? 俺らの連携、すげえよな……なぁ? え? あぁ? 何だって……策を考えろってか……。そうだなぁ……なら、俺が一発、土手っ腹にぶち抜いてやるよ!!」
ラルクは不在の幻影に向かってぶつぶつと喋りかけていたが、突然攻撃を仕掛けてきた。戦闘への切り替えは凄まじく、ゲンに反撃の猶予すら与えない。——シャスシャスッ!
ラルクは踏み込み、尾骨の針で突き刺すように連続攻撃を繰り出す。
「ギチチチッッッ!」
ゲンを覆う百足が毒牙をかちりと合わせる。ゲンは重厚そうな甲冑に見えるが、飄々と『 来国長』で全てをいなしていく。顔面が覆われて目も見えないというのに、完璧にラルクを捉えていた。尾骨の針が空間を裂く音が響くたびに、地面の土が吹き荒れる。
「なんだぁ? あんた怒ってんのか? 俺達にはやっぱり敵わねえよなぁ!」
ラルクはそう言って、両手の鋏を大きく広げ、首めがけてギロチンするように、巨大な鋏をクロスさせて飛び出した。
ゲンに取り憑く百足が仮面からニョキニョキと全てを露わにしたかと思えば、ゲンの体内へと再び戻る。するとゲンの体は、天から吊るされた糸で操られる人形のように挙動し、再構成が始まった。紅い色は全て黒へと置き換わり、百足の外骨格を模した甲冑へと姿を変える。光沢を帯び、依然として紅い般若の仮面はそのままだったが、角が伸び、より一層その百足の面影を強くしていた。
そして、禍々しいオーラを纏いながら、『 来国長』と『怒怒鑼』を右と左に作り出し、怒怒鑼を縦に、 来国長を横に構え、刃を当てて火花を散らした。
——両方から迫る巨大な鋏を、ゲンは二振りの刀で受け止める。それは巌流島の戦いを連想させる、武蔵の如き猛々しさだった。
「あぁぁ? 硬ってぇなぁ……ッ!?」
「チチチッ」
ゲンの中で、百足がまるで言葉を発するかのように毒牙を合わせる音が鳴る。ラルクの鋏を受け止めた刀で弾き、距離が詰まった隙を見逃さず、鋏を蹴って跳躍。空中で 来国長を解除した。すかさず怒怒鑼だけを生成し、その大剣を一本槍の様に、重力を乗せて鋏へと突き刺した。——ザスッ。鋏は肉質ごと地面に固定され、浸透液と土が爆ぜる。
「っだああああ………クソッ!」
ラルクは突き刺された激痛に声を漏らす。スコーピオンのような姿となってはいるが、それは腕と腰から生えた蠍の部位だけで、顔は人のまま。部位ごとに大きく形態変化しているだけの姿だ。
リーチの短いラルクにとって、片腕を地面に固定された状態は逃げ場がなく、ゲンにとって圧倒的な攻勢となった。
「ギチ」
ゲンは怒怒鑼を離し、 来国長を両手で構えて横薙ぎに振るった。
「だあああ!!」
ラルクは間一髪、固定されていないもう片方の鋏で大剣が刺さった鋏を叩き落とし、後ろへ下がった。
来国長の残線が空中に軌跡を残す。避けていなければ、ラルクの首は糸も簡単に吹き飛んでいただろう。
「はあ、はあ……またヤンを傷付けたな? てめえ!」
ラルクの思考はもう滅茶苦茶だった。鋏をヤンだと思い込み、自分で切り離したはずの腕をゲンのせいにしている。
「ギチ……」
ゲンは振り払った刀を確かめ、首を傾げる。確実に仕留めるはずだったからだ。そして刀を軽く素振りし、地面と鋏を突き刺したままの大剣を抜くと、再び両手で構えた。
ラルクもまた、ゲンが構えに移行する間、ぶつぶつと喋りながら体を急速に形態変化させ、切り落とした鋏を再生させていく。
人とも呼べぬ二体の化け物の間で、沈黙が流れた。
その様子を、遠くから村人たちが窺っていた。サブは途中まで二人を止めようと健闘していたが、あまりの力量差と途轍もない気に負けてしまった。何より、異形の化け物と化した二人の姿に恐怖し、逃げ出していた。それは本能からくる根源的恐怖であり、致し方ないことだった。
「ゲンの旦那、おれっちには無理っす……。こんな戦いを止めるなんて。ラルクも馬鹿だけど、あんたも大概で大馬鹿野郎っす。何を抱え込んでいるのか、さっぱりなんすから……」
サブはそうぼやき、村の民と共に、二人の行く末を見守ることしかできなかった。
ラルクと交戦中、ゲンの中で闇が渦巻いていた。
それは人々の残滓とも呼ばれる意識。過去も未来も、すべてが普遍的な意識としてそこに存在していた。
漂う意識の中、何かが灯る。ポーッと光る魂のようなものが浮かんでいる。
朧げに灯った光を『見た』という認識をしたことで、俺という意識がかたどられ、その世界に認知される。
思考が出来るようになった。俺は武田信玄だと、その人本人だと思っていた。だが、あれは百足の姿へと変わった。すべては俺の思い過ごしだったのか。
未来の歴史が流れたと思えば、武田信玄という男に惹かれたそれも幻想だったのだ、そう思った時——。
魂は淡く光り、シルエットを形作り、声が聞こえてきた。
『お主なら超えられる。儂は弱きを挫くそなたが成長するのを知っている……良き友人が絶望しておる、救って参れ……百足なるものに呑まれても……すべてを燃やし尽くせ……。そしてあの者の猜疑心と憎悪を払拭してやるのだ……時はすべてを見通している。儂も儂として此処にいる間は見届けられたが……どうやらあの百足のせいで……また無に帰すようだ……お主なら超えられる…………』
甲冑を付けた偉大なる武将はそう言って、俺の胸へと手を翳した。姿が透明になっていく。翳した手が徐々に光となり、心に直接響くような優しい音と共に俺の中へ入ってきた。
俺の中にある黒いモヤが切り離されていくような感覚。すると、景色が変わり、翡翠色の空間が広がる部屋へと訪れていた。
何だこの空間、辺り一面、翡翠で輝いている。生命なのか、情報の奔流なのかよく分からない。するとーー
『ゲン、聞こえていますか? 私です………私は、どうやらあなたに強く共鳴した人間に守られて、国の追手——ソルサイトから断絶されていました』
語りかけてきたのは、少女の声、エウロパだった。
「そうか……やっぱり……」
俺は翡翠色に輝く空間に話しかける。それに呼応するように空間自体が揺らいだ。
『そう。あの百足は意識世界すらも乗っ取り、融和させてしまう非常に危険な存在です。追い出したとおもったのに、まさか、あなたの中で寄生しているとは気付きませんでした。それもレー神王の狙いなのでしょう。あなたに寄生させ、私共々、気づかないところで蝕み、乗っ取る算段だったのでしょうね……レー神王が考える卑劣さは私の想像を上回りますが、何とかあなたの内なる意識が強力に作用したことで、私と接続された世界を一時的に切ることができたのでしょう。良かったです……』
寄生か……ラルクを救う以前の問題だったな。もしかして、それを見越して俺に「越えられる」と言っていたのか? だとしたら凄い器量だ。本当に百足との意識を隔絶できる確信があって、武田信玄はラルクを「助けろ」と言ったことになる。そこまでの自信があったとは。流石としか言いようがない。
そうなってくると、俺はラルクを早く救わなければならない。百足に支配された体の制御権をこちらに取り戻す。俺という意識で、あいつを逆に乗っ取ってやる。
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