第五十六話 再建の光と黄金色
高台から緩やかな勾配を描いて続く坂道。その先、劇的な落差を経て眼下に広がる平場を、俺は村の民が集う「広場」として位置づけることに決めた。
村長の家は、あの爺さんの目論見通り、着々とその全容を現しつつある。驚くべきことに、家の全長は以前の建物の優に一回りを超える規模だ。崖沿いの足場は強靭な蔦や植物で幾重にも補強され、その周囲を村の民たちが蟻のように忙しなく動き回り、土地を均している。
「出来てきたな……」
何もない更地に、巨大な建造物が骨組みを晒してそびえ立つ。その光景は、理屈抜きに男の冒険心をくすぐり、胸を熱くさせるものがあった。
「ゲンの旦那ぁ!」
背後から飛んできた間の抜けた声に振り返る。
「ん? おお、サブか」
「見てくださいよ、これ! 足、形態変化でバッチリ治したんすよ。ほら、ほらほら!」
サブは何を血迷ったか、その場で「ボックスステップ」を披露し始めた。だが、足元の軽やかなステップとは裏腹に、なぜか腕の動きが異常にやかましい。指先を小刻みに震わせ、空を掻くようなその動作は、もはやダンスというよりは奇妙な儀式のようだ。
俺がその「やかましさ」から視線を逸らそうとすると、奴は執拗に視界の端へとスライドし、ステップを踏みながら追ってくる。トレードマークのモヒカンが、着地のたびにペチペチと左右に揺れる。……視界が、揺れる。目眩がしてきた。正直、うぜえ。
「お、おう……分かった、分かったから。治って良かったな。あと、その変な動きはやめてくれ。足に対して腕の動きがキモすぎるんだよ。……まあ、だが、形態変化で、その傷を治したってのは、お前も身体の操り方が上達した証拠だな」
褒め言葉を混ぜてやると、サブの動きがぴたりと止まった。途端に、捨てられた犬のような悲しい顔になる。
「だ、旦那ぁ、そりゃないっすよ。俺、旦那に見せたくて必死にこの踊り練習したんすよ?」
「お前のステップなんか一秒も見たかねえよ。そんなに元気があるなら、ほら、あっちで働いてこい」
俺は問答無用で、近くに転がっていた重たい木材をサブの胸元に押しつけた。
「ええっ! ちょっ、旦那ぁ……!」
「治った祝いだ、精進しろよ!」
情けない声を背中で聞き流しながら、俺は早足でその場を後にした。あそこに留まっていたら、あの地獄のような独創的ダンスを延々と見せられる羽目になる。
目的もなく歩みを進めていたが、ふと足が止まる。
そこは高台から数百メートルほど離れた場所。村の全容を見渡せる、麓から見れる絶好の展望スポットだった。
崖の上では爺さんの家が組み上がり、その麓では民たちが新しい生活の礎を築こうと汗を流している。
「……なるほど、村の正門を作るならこの辺りが良さそうだな」
そんな独り言をこぼした時、すぐ近くに一人の幼女が佇んでいることに気づいた。
足元に咲く名もなき花を、ただじっと見つめている。背丈はソウと同じくらいだろうか。こんな人目のつかない場所に一人でいさせるのは危ない。
「お嬢ちゃん、こんな所にいたら危ないよ。お父さんやお母さんは?」
声をかけると、彼女はビクッと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り向いた。
その瞳は、幼子には似つかわしくないほど深く、虚ろだった。
だが、それとは対照的に、風に靡く茶色の髪は驚くほど美しかった。昼下がりの強い日差しを浴びたその髪は、まるで溶け出した黄金のように輝いて見える。
「もう……いないの……」
その顔立ちと独特の髪色を見て、記憶の断片が繋がった。
リザードマンの襲撃直後、生存者確認のために瓦礫の山を掻き分けていた時、隙間に挟まっていたあの子だ。
「……嬢ちゃん、ごめんな。軽々しく聞くつもりはなかったんだ」
「いいの……もう……」
「なあ、どうしてこんな所に一人で?」
「もどりたくない……かなしくなるから……」
胸が締め付けられるような感覚に陥った。無理もない。あんな凄惨な光景を目の当たりにしたのだ。両親を失い、昨日までの日常が血と土にまみれた場所に戻れば、嫌でも「最悪の瞬間」を追体験してしまう。心に刻まれた傷は、肉体のそれよりも深く、治癒を拒んでいるようだった。
それにしても、この珍しい茶髪。俺の知る限りでは、狩猟班のイバくらいしか思い当たらないが……まさか。
「戻りたくない、か。そうだな……。なぁ嬢ちゃん、言いたくなかったらいいんだ。……お父さんの名前、イバって言わなかったか?」
幼女の目が、微かに見開かれた。
大きな瞳の縁に、みるみるうちに熱い涙が溜まっていく。
「パパ……」
「……ああ、ごめんな! 泣かせるつもりじゃなかった。やっぱり、そうだったのか。イバとラナ、二人とも……」
「しってるの……?」
「知ってるも何も、二人は俺と同じ狩猟班の仲間だったんだ。それに、あの襲撃が始まる前、俺は君のお父さんとお母さんに命を救われたんだよ」
「すくう? パパとママが……おじさんを?」
「ああ。俺が死にかけていた時、真っ先に手を差し伸べてくれたのがあの二人だった。介抱して、看病までしてくれたんだ。嬢ちゃん、俺は実は君の家にいたんだよ。君には会えなかったけどな」
「そう、なの……。あのときは、キンちゃんのところにいたから……」
「キンちゃん? そうか、近所に住んでるって言ってたな。……その人は、どうしてる?」
その名を口にした途端、幼女の表情が劇的に崩れた。
「キンちゃん……んぐ……うっ、うう……」
抑えていた感情の堤防が決壊し、彼女は顔を覆って泣き出した。
彼女にとって、キンちゃんという人物は両親に次ぐ大切な支えだったのだろう。その人までもが、あの惨劇の中で失われた。
一度に全ての愛する者を奪われる絶望。大人の俺でさえ耐え難いその重荷を、この小さな背中で、たった一人で背負ってきたのか。
「……ごめんな、嬢ちゃん。おじさんはキンちゃんのことは分からない。でも、イバとラナのことなら、二人がどれほど君を想っていたか、その証拠を教えてあげられる」
「……んん……っ……」
彼女は袖で乱暴に涙を拭い、顔を上げた。目は真っ赤に腫れ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
「嬢ちゃん、君の両親は本当に、本当に君のことを愛していたよ。俺が看病されていた時、ちょうど君の誕生日が近いって話になってな。二人は本当に嬉しそうに笑ってたんだ。『あの子の好きなものでいっぱいにしたいんだ』って、果物やパイをテーブルに並べて……」
言葉を紡ぐほどに、彼女の下唇が震え、短い呼吸が何度も漏れる。
そして次の瞬間、喉の奥から絞り出すような、高い泣き声が周囲に響き渡った。
俺はそっと、彼女の手を取った。
小さな手は涙で濡れ、べとついていた。最初に見たあの虚ろな瞳は、今は溢れ出す感情の濁流にかき消されている。
残酷なことをしている自覚はある。傷口を抉るような真似かもしれない。
だが、ここで彼女を放っておけば、彼女はこの先ずっと、暗闇から立ち上がれなくなる。
「二人は君を愛していた。狩猟班としての腕前も超一流でな、皆の憧れだったんだ。誕生日の前だって、君を喜ばせたくて、最高の果物や肉を求めて森を駆け回っていたんだぞ」
俺は一度深呼吸をし、言葉に魂を込めた。
「こんな世界になっちまって、失ったものは二度と戻らない。俺だってそうだ。最愛の妻を亡くした。……だけどな、まだ目を向けるべき場所が、ここには残っているんだ。君のパパとママは、君の中に生きている。そして、この村を愛していた。キンちゃんだってそうだ。みんな、あの場所が、そこで暮らす人たちが大好きだったんだ」
幼女の激しい泣き声が、ふと止まった。
潤んだ瞳の奥に、小さな光が灯ったように見えた。
「……むら……?」
「そうだ。壊れた村は元通りにはならない。だけど、ほら、見てごらん――」
俺は彼女の後ろに回り込み、その小さな肩にそっと手を置いた。
俺の体で遮っていた視界が開け、その先に広がる光景を彼女に見せる。
そこには、命の躍動があった。
高台にそびえる「城」を、城下町の民たちが一つずつ石を積み上げて完成させていくかのような、力強い光景。
家を、道を、生活を。
一度すべてを失った民たちが、必死になって、泥にまみれて「新しい故郷」を再建している。
耳を澄ませば、木を打つ音、石を運ぶ掛け声、そして時折混じる笑い声。
それらが森のざわめきと溶け合い、ひとつの重厚な旋律となって響いてくる。
「みんな、しんどくて、悲しくて、それでもこの村に恋焦がれている。それはな、ここを愛しているからなんだ。愛する場所を、自分たちの手で取り戻したいんだよ」
幼女の瞳に映る景色。涙で滲んだその世界で、村の民たちがキラキラと輝きながら、忙しなく動き回っている。
「……きれい」
ポツリと、彼女が呟いた。その声には、先ほどまでの絶望の色はなかった。
「そうだろう? 俺もそう思う。この美しい景色は、俺たちが作っていかなきゃならないんだ。もちろん、そこには嬢ちゃん、君もいなきゃいけない」
「でも……わたし……」
「嬢ちゃん、俺たちは村の友人であり、仲間であり、家族なんだ。困った時は助け合う。それがこの村でずっと守られてきた、一番大事な心なんだよ。だから……おじさんは、君に笑ってほしいんだ」
幼女は、最後の一筋の涙を流すと、弾かれたように俺の腰にしがみついてきた。
「……ありがとう。……おじさん」
小さな体温が伝わってくる。その温かさに安堵した時、遠くから駆けてくる足音が聞こえた。
「レイッ! 良かった、ここにいたのか! はぁ、はぁ……っ!」
やって来たのは、村のインテリパワーコンビの一人、キバだった。
額に滝のような汗を浮かべ、肩で息をしながら、俺たちの姿を見て露骨に安堵の表情を浮かべる。
「お、キバ。どうした、そんなに慌てて」
「どうしたじゃないですよ! この子が急にいなくなるから、死ぬ気で探してたんです! まだ身寄りがないから、俺が面倒見てるんすよ」
「そうか、それは苦労をかけるな。ほら、嬢ちゃん。君をこんなに心配してる人が、ここにもいるぞ。さあ、みんなのいる村へ帰ろうか」
「うん!」
幼女――レイの瞳に、もう虚無はなかった。
すべての悲しみを拭い去ることなんてできない。けれど、その隙間に「希望」という名の光を差し込むことはできたはずだ。
レイは俺から離れると、今度はキバの足に抱きついた。
「えっ、あ、ええっ!?」
キバは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
「ゲ、ゲンさん……あなた、この子に一体何をしたんですか……?」
キバの言葉は、俺への不信感ではなく、自分には成し得なかった「心の雪解け」に対する純粋な驚嘆だった。
「まあ、子守は得意分野なんでな」
「いや、そういうレベルの問題じゃ……」
「いいじゃないか、結果オーライだ。さあ、帰るぞ」
「……ええ。まあ、そうですね。帰りましょうか」
レイは、キバの大きな手をぎゅっと握りしめた。
キバは鼻の下を伸ばし、愛おしさに悶絶するのを必死で堪えながら、ゆっくりと歩き出した。
俺も、二人の後を追うように村へと戻る。
それぞれの小屋や家へと分かれていく道すがら。
道の端で、ソウがどこで拾ってきたのか、古びたターバンのような布を頭に巻き、得意げに手を振っていた。
「とうさん! くるまして!!(肩車して!)」
ソウは全力疾走でこちらへ駆け寄ってくると、当然のように俺の膝を登り始めた。
「おお、相変わらずの勢いだな。よし、ほらよっ!」
俺はソウをひょいと持ち上げ、肩車をする。
視界が高くなり、ソウの歓声が空に抜けていく。
その時だったーー
前を歩いていたレイが、ふと立ち止まって後ろを振り返った。
彼女の瞳には、二人の親子の姿が焼き付いていた。
黒髪に銀髪が混じった、頼もしい背中を持つ男。その肩の上で、自分と同じくらいの歳の子が、無邪気に笑いながら空を指差している。
たったそれだけの、ありふれた家族の光景。
けれど、レイはその子に自分を重ね合わせ、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
先ほど自分を暗闇から救い出してくれた「おじさん」が、夕陽を背負い、途方もない光に包まれているように見えた。
子供を肩に乗せたその姿は、神々しいほどに眩しく、温かい。
(……きれい。パパみたい……)
優しくて、強くて、暖かい。
レイはその情景を、新しく始まる村の景色とともに、生涯忘れることのない「希望の記憶」として、心の奥深くに刻み込んだ。
夕暮れに染まる再建の村に、ソウの笑い声がいつまでも響いていた。
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