永遠の秘密
「あ、じゃあ、ここで待ってるね」
私と空は、ほとんど話がないまま校舎の正門前まで来ていた。
正門前の開けた視界からは、月が見える。
いつか見た月に似てる。
誰かがニヤリと笑っているような月。
遠くはまだ空が朱いのに、頭上の空からは夜が空を覆っていく。
この学園は、女子寮が学園内に、男子寮が一旦門を出て歩道橋を渡った先にある。女子は、下校時刻を過ぎてからは敷地外には出ない、ということになっているのでここで待つことにする。
もうしばらくしたら、チャイムが鳴って下校時刻になる。
「ん。じゃあ、すぐ取ってくるからちょっと待ってて」
そう言って、繋がれた手が離れる。
…………正直、ほっとした。
今まで、繋がれても何も思ってなかったはずなのに……今は落ち着かなかった。
『俺の好きは、キスしたい好き』
空の一言が、勝手に脳内に浮かび上がった。
息が止まりそうになる。嫌だとか、嫌じゃないとかそうじゃなくて、ぽっかり穴が開いたような感じだ。持っていた大事なガラスのコップを滑り落として、粉々にしてしまったような、そういう感覚がする。
だって、一度聞いてしまったら聞かなかったことにはできない。
床に落としたガラスは、拾い集めてもくっつけようとしても、元には戻らない。
ヒビ割れたまま、元のように過ごせない。
何で? どうして?
どうして、そんなことを言ったの?
「みづ」
空の声が間近で聞こえて、肩をびくりと震わせた。
だって、空はもうこの場を離れていたと思ったから。
顔をあげれば自然と目が合う。
空の目の合わせかたは、ためらいがない。いつも、ゆるぎなくひたと見てくる。
だから、今の私には少し……辛い。返せるだけの気持ちが私にはない。
空の澄んだきれいな目が、余計に私を曇らせる。
なのに、上手く逸らせない。
「……泣いてる?」
ふっ、とその手が顔まで伸びてきて、私の目尻をなぞった。
「な、泣いてない……!」
思わず顔を横に背け――
パシャッ
奇妙な音がした。
「え?」
音がしたほうを向けば、その手に収まりきらないくらいの大きいカメラを持った男子生徒がいた。
「空~♪ 正門前で堂々と口説くのはどうかと思うぜ~?」
「……先輩」
先輩、と空に呼ばれた男子生徒は、カメラを首から下げながらあの三日月のようにニヤリと笑った。
見覚えのない人だ。でも、すごく目立つ。だって皆と違うシャツを着ている。青の水玉模様のシャツ。
……水玉模様のシャツって校則違反じゃないのかな……。
私や優ちゃんのピアスについて、学校から何か言われたことはない。でも、指定のものを身につけないことには何でだか、チェックが厳しい気がする。例えば、空がネクタイをしてこないことは、しょっちゅう注意されている気がする。
「堂々と人に向かってシャッター切るのは、駄目って散々言われてませんでしたか? 広報部だからって調子にのるなって」
空は、私から手をゆるりと離すと、ため息まじりにその先輩に向き合った。
そう、確かによく見れば高等部の緑のネクタイをしてる。中等部なら褪せた赤のネクタイをしているはずだ。
女子も男子もそこは共通して変わらない。ネクタイやリボンを見れば中等部か高等部かわかるようになっていた。
ぱっと見て、背丈も顔つきも同学年くらいにみえたけれど……空より年上ってことは、高二か高三の先輩のはずだ。
「いや、だって割とスクープじゃん? 優様お気に入りの女の子といる奴って」
「深月と俺は兄弟ですし」
「それはそれ、これはこれ。ただ、優様お手つきの子と一緒にいる男子ってのがおいしいだぁけ♪ ねぇ、深月ちゃん」
こっちに意識を向けられて、思わずたじろく。
態度が軽い。そういう人は、反射的に身構えてしまう。
「いや、あの」
思わず言葉を濁すと、彼は気を悪くした風もなくにっこり笑った。
「あぁ、そういや初めましてだっけ? 俺は、辻渡戸丸。広報部と園芸部を兼部してて、優様も追っかけてたりしてるから、あんたのことはよく知ってるよ」
優ちゃんを追っかけてる? それならどこかで見かけてもおかしくないのだけど……やっぱりこの人に見覚えはない気がした。
「そ、そうなんですか。高梨深月です。……兄がお世話になってます」
その場で思いついた社交辞令を並べる。
手を出されたけれど、私はその手を取らなかった。すぐ反応できなかったというか……。先輩は、それをやっぱり気にした風も無く引っ込めた。
握手したほうが良かった? でも、考える間もなく話は進んでいく。
「いんや? どっちかつーと、お世話になってるのは俺の方かもしんない。な、空!」
「……何で肩掴まれるんですか」
「何となく? まぁ、んじゃお二人さんネタをどうもありがとー! まったな~♪」
ハイテンションのまま、まくしたてるとぶんぶん手を振って、身軽に校門を出ていく。
残された私たちは、しばらく先輩の後ろ姿を見送っていた。
「……行っちゃったね……。みづ、大丈夫?」
「あ、うん。平気。……すごく明るい人だね」
「そう、嵐みたいな人だよ。…………でも、みづの涙、収まった?」
ふいに顔を覗きこまれて、ハッとする。
「だ、大丈夫! ごめん! 全然平気だから!」
平気じゃない。
平気じゃないけど、空にそう言ったところで何も意味が無いと、わかってる。
空は……空にしてはためらいがちに私を覗きこんできた。
「……みづは、やっぱり月城さんのことが気になるの?」
「……それは、うん……」
優ちゃんの痛いくらい真っ直ぐ見てきた目を思い出して、奥歯を噛んだ。また泣き出してしまう。気を紛らわそうと深呼吸して――チャイムの音がした。
部活の終わりを知らせるチャイムだ。
馴染みきった音。なのに、その音が気にならないときもあれば、やけに耳に響く時もある。
もうすぐ、部活終わりの人がこの校門に向かってくるんだろうな。
考えながら、ぼんやりチャイムを耳にしていると
「みづ、こっち来て」
軽く手招きされた。
空は、校門の手前の遊歩道に向かって歩いて行く。高い木と木陰のある小さな散歩道がある場所だ。正直校門よりは……目立ちにくい場所。
「――ピアスは、月城さんからもらったもの?」
雨上がりの湿った風が頬をなでていく。
チャイムの音が鳴り終わった校舎は、やけにしんとしているような気がした。
「え、あ、うん……そう」
「……月城さんが、好き?」
「――」
その問いかけに一瞬黙りこくる。
好きは、好き。
だって、友達だから
そういう建前になってるはずだ。そのはずなのに、何で空は、わざわざそんなこと聞いたの?
「うん、それは、友達だし。好きだよ?」
視線をそらす。わざとらしくない? 普通に言えてる? やけに口の中が乾くような気がした。
「……本当?」
「――うん」
声が、掠れた気がした。
空は、何か知っている?
その揺らぎのない視線にざわつく。
まっすぐ見返せない。ただやりすごせればいい、そう願った。
だから、話題を変えようと思いついた言葉を口にした。
「空だって…………さっき言ったのは本当なの?」
「さっき?」
「……好きって、いったこと」
目眩を起こしそうになった。余計なことを聞いた気がする。そんなことを聞いてどうするんだろう。
だって、空は私と兄弟だ。
義理であっても兄弟だ。それは……私にとっては大事なことだったのに。
嘘であってほしい。でもそんな嘘をつく人じゃない。その思いで視線を落としてると、ふっとすぐ側に空の気配を感じた。慌てて、見上げれば、――額にキスを落とされた。
「え……」
ふわり。花が舞い降るようにそっと触れられたから、何をされたのか一瞬わからなかった。
「俺は、深月に嘘をついたことはないよ」
知っている。そんなの知っている。わかっているから――聞きたくなかったのに。……泣きたくなる。
泣いたって仕方ない。どうしようもない。
「っ」
視界が涙で歪みそうになって、俯いた。――ぽたりと雫が落ちる。
いつもそうだ。
泣くのを堪えようとする瞬間に、もう涙がこぼれ落ちる。
「……嫌に、なった?」
空の声が、やけに静かで柔らかい。それが、やっぱり嘘じゃないんだと思えてぽたぽたと涙が落ちた。
「そんなこと……ない。けど」
嫌になんてならない。なれない。でも、信じてたものが違ったということが、ただひたすらに悲しい。
落ち着け、冷静になれ、思うほど、涙がうまく止まらない。その一筋を、空が指ですくいとった。
「――しょっぱい」
言われて、ぎょっとする。
顔をあげれば、指を口元まで持ってっている空の姿があった。
……しょっぱい?
「な、なななな舐めたの!?」
「ん。……深月の涙って、しょっぱいのかなって」
「そ、そんなのみんなと変わらないからっっ!!」
「そう? ……でも深月の味、した」
ぼそりと呟かれる言葉にこっちがいたたまれなくなって、叫ぶ。
「~~~~~わ、わたしは、つ、付き合ってる人ちゃんといるから! だから、空の気持ちには、答えられないっっ」
「うん、知ってる」
「じゃ、じゃあ」
何で、わざわざ好きといったのか、何で、今こっちが困るようなことをしてくるのか、私には空の考えが読めない。わからない。
空は、いつもの落ちついた表情でこちらを見据えた。
「聞いてもいい?」
「……うん」
「深月は、母親のような恋愛はしたくない。恋に溺れたくないと前に言っていたけど……どうして、よりによって『つゆり優摩』なの?」
「…………え?」
「何で、みづの母親を不孝に陥れたかもしれない奴の『息子』を選ぶの?」
「………………えーと、意味が、わからないんだけど……」
空のいってる意味がまるでわからなかった。空はなにを言ってるの? 何でそんなことを言っているの?
――ううん。
じゃあ、どうして私は今、動揺しているの? わからないなら、動揺なんてする必要が無いのに。
でも……。
『つゆり優摩』
聞いた覚えがある。どこで? いつ? 何の時に? 昔? それとも最近?
足下が崩れ落ちていくようにぐらぐらと、目眩を起こしそうな感覚を起こしかける。
『息子』
やっぱり優ちゃんが女の子じゃないと知っている?
ううん、それより何より…………
記憶の奥にひっこめてある名前。
確か……
そう、優ちゃんの時計に刻んであった名前。
優ちゃんの、旧姓。
『みづの母親を不孝に陥れたかもしれない奴の息子を選ぶの?』
ママは死んだ。愛していると言っていた男の人と炎に包まれて。
アノ人ガイナケレバ、私ハ独リニナラナカッタ。
アノ人ガイナケレバ、ママハ死ナナカッタカモシレナイ。
息子?
誰の? 誰が? 誰が、誰の息子なの?
ママヲ殺シタ人ノ、息子――?
『つゆりゆうま、聞いたことある?』
『覚えてないなら、思い出す必要もないってことだよ』
――そう言ったのは――
――タダ一人。
暗闇に浮かぶ月は唯笑う。
私は、唯呆然と立ち尽くす。
その日、私は部屋に帰らなかった。
――帰れなかった。
読んでいただきありがとうございます。
忙しくなりなかなか書けずにいる日々ですが、結末まできちんと書きたいと思っています。
次回は、個人的に書いてみたかった『人魚姫版』の真っ黒な毒をオマエにだけ、あげるを掲載予定です。
年明け……1月までに書き上げるのを目標に、したい、です。
遅い執筆ですが、生温かく見守っていただけると幸いです。
ありがとうございました。




