わたしの叔母様(後編)
「清貧」という言葉が似つかわしいパンシエ邸。お忍びとはいえ国王をお迎えできるような華々しさからはほど遠い。使用人たちのあわてぶりといったら、そりゃあもう気の毒なほどだった。「勝手に来たのだから、構わずに」という陛下の言葉をそのまま遂行するわけにもいかない。ふだんのんびり働いているパンシエ邸の使用人たちは、全員思ったはずである。「王様がいきなりなにしにきたんだよ!」と。
(ほんとになんの用よ……)
女主人の姪とはいえ、他家のマノンが表立って使用人に指図するわけにもいかない。せめて花でも飾って華やぎの足しにしようと庭の薔薇を切ってきて私室で生けていると、応接間で陛下のお相手をしているはずのデルフィーヌが、息せき切ってやってきた。
「マノン、あなた王城に憧れる?」
「はあ? いきなりなんですか、叔母様。陛下は?」
「宮廷に憧れる?」
「あんまり。というか、全然」
そう、と言い残し、叔母様はそそくさと出ていこうとした。
「この薔薇を応接間にお届します。わたしも陛下にごあいさつを……」
マノンはあわてて言った。先刻は叔母がさっさと陛下を連れ去ってしまったので、あわあわしているうちにきちんとあいさつをする機会をのがしたのだ。
「あなたはおたふく風邪を発症しました」
「はい?」
「陛下にうつったらコトなので、ごあいさつは遠慮しましょ。薔薇はわたくしが」
めずらしくてきぱきとした、マノンに隙を与えないすばやさで、デルフィーヌは薔薇を生けた花瓶を手に部屋を出ていってしまった。
マノンは鏡に駆け寄った。別に、アゴまわりがふくれている様子はない。よく考えたら、おたふく風邪なら三歳のころにすませている。
(???)
デルフィーヌの言動はわけがわからない。陛下に自分を会わせたくない意志だけはしっかり感じる。でも、なぜ?
しばらく悶々と思いをめぐらせていると、庭に人が出る気配があった。窓から様子をうかがう。陛下と叔母はふたりで庭を散歩するらしかった。陛下が同行してきたお付きの者を人払いしている。
マノンはそっと部屋を出て庭に向かった。音を立てないようにして、繁みに姿をかくしながら二人に接近する。マノンは非常に耳が良い。魔祓いの素質を持つ者は、五感のどれかが鋭敏なことがある。バレない距離を保ちつつ盗み聞きするくらい、マノンにはわけないのである。
現国王とルイーズ姫は兄妹だった。その縁で、姫の女官だったデルフィーヌが国王と知り合いだということに不思議はないのだが、若き日のふたりが「そういう関係」だったとは、庭の東屋で交わされる会話を盗み聞くまで、マノンは予想もしなかった。
「若過ぎた私の手から逃げてしまった小鳥を、もういちどつかまえたいと願うのは罪でしょうか」
「その小鳥は、王宮の鳥籠に入れるにはみすぼらしすぎますわ」
「そう思っているのは、当の小鳥だけです」
「小鳥は、美しい鳥籠よりも冬枯れの庭で羽をやすめたいのです。羽をやすめながら、過ぎ去った日々を静かに想うのですわ」
「小鳥は、鳥籠の主を想うこともありますか」
「……太陽が青春のようにきらめく日には」
「いつも想ってください。鳥籠になど入らなくていいから」
(うわーうわーなにこの会話! 「にゅっ!」とかやってた人がなに言っちゃってるの!)
東屋の裏の灌木の繁みで、マノンは身悶えた。デルフィーヌがマノンにあいさつさせなかった理由が、なんとなくわかった。気恥ずかしすぎるのだろう。聞いてるこっちも気恥ずかしい。しかし感心もした。ぼさーっとした未亡人だとばかり思っていた叔母も、ちゃんとした「貴婦人の恋の会話」くらいできるのだ。自分も、恋の季節はこれからなのだから、見習ってがんばらなくては……。
「私に訪問をゆるしてください。今までのようにゆるしてくださらないと、私はまたこうして突然やってきて、使用人をおどろかせてしまうでしょう」
「陛下……」
マノンはそっと東屋を離れた。これ以上盗み聞きするには慎みが勝る。こそこそした足取りで屋敷へもどりながら、自分の頬が赤くなるのを感じていた。
(いいなあ……。わたしも恋したいなあ……)
国王も数年前に正妃を亡くしている。女性関係のうわさも眉をひそめたくなるほど派手なものはなかったようだし、ここしばらくうわさ自体がなかった。叔母だってもう一花咲かせるくらいの色香は残っている。このまましぼんだらもったいない。それになにより、陛下といる叔母は乙女のように愛らしく、甘やかな雰囲気だったではないか。
(陛下はまた叔母様を訪ねてくださるかしら?)
叔母がマノンに「宮廷に憧れる?」ときいてきたのは、国王の愛妾になったら社会的立場も上がることだし、身内のマノンも上流貴族の集う夜会やサロンにひっぱり出されると考えているからかもしれない。
それはちょっと面倒だけど、叔母様のためなら……。
考え事をしながら見つめる地面に、紳士靴のつま先が見えた。
ぎょっとして顔をあげると、マノンの目の前にさっきまで東屋にいたはずの国王がいた。
「いつの間にって顔をしているね。私はとても耳がよくてね。背後から息づかいが聞こえるのはすぐに分かったよ。マノン・ジュ・ローザンス君」
「も、も、もうしわけございませ……」
澄んだエメラルド色の瞳に見つめられ、マノンは立ちすくんだ。
かなり距離を置いていたのに盗み聞きがバレていた上、気配なく近寄られてまるで気づかなかった。完敗である。
やはり国王は格がちがう。
「マノン! あなたどうしてここに」
デルフィーヌも息せき切って駆けつけてきた。
「叔母様ごめんなさい。わたし――」
「あなたはおたふく風邪です!」
「は? まだその設定……」
「お付きの方! 姪の隔離を! この子は伝染病です!」
「へ? へ? へ?」
デルフィーヌが声を張り上げ、国王の従者が颯爽とかけつける。
背後から従者に両腕をがっし!とつかまれ、目を点にしたマノンは屋敷に引きずられていった。
マノンの聞こえのいい耳が「私はおたふく風邪なら済ませているが……」と呟く国王の声をとらえた。けれどデルフィーヌは無視を決め込んだのか、とくに何も言わなかった。
(一体全体なんなのよ?)
マノンは二階の自室に軟禁されてしまった。廊下にはアンヌがいて、マノンが部屋を出ないよう見張っている。
(未亡人の叔母様が男性とつきあったって、わたし別に反対もしないし、ひやかしもしないわよ? そりゃ相手が王様なのはちょっとびっくりしたけど……)
むしろ応援したいのに。
叔母はマノンがあちこちで言いふらすとでも思ったのだろうか? そんなに信用がないのかと思い、マノンは悲しくなった。悲しくなったのち、なんだか腹が立ってきた。
(わたしを閉じ込められるなんて思わないでほしいわ)
こっちは王家主催の魔物狩り大会で優勝した身である。魔祓いの力が強いだけでは優勝なんかできないのだ。身のこなしには自信がある。
窓を開けてベランダに出る。手すりに手を置いてひらりとその上に乗ると、次の瞬間マノンはベランダから消えていた。
叔母様に抗議してやるー!と勢いこんで庭園を走っていたら、遠くで馬車が走り去る音が聞こえた。陛下はパンシエ邸の馬車どまりは使わず、用心深く離れた場所に馬車を停めていたようだ。
走ったため肩で息をしながら、マノンは車輪の音が離れゆくのを聞いた。屋敷の門に目を向けると、デルフィーヌがたたずんでいた。
……一瞬、叔母ではなく別人が立っているのかと思った。
デルフィーヌは馬車が走り去った道を見てはいなかった。マノンが今まで見たことのない厳しい顔と憎しみに満ちた目をして、丘の上にそびえる王城をにらんでいた。
陛下との若い日の恋を王家が引き裂いたからだろうか?
けれど橙色の夕日に照らされたデルフィーヌの横顔は悲恋の女の顔ではなく、まるで故郷を焼いた敵国に復讐を誓う兵士のように、猛々しく闘争的な表情だった。
その後マノンが国王と言葉を交わしたのは、マノンが魔祓士としてもっと名を上げてからで、三年のちの夜会でのことだった。
「今日はおたふく風邪ではないですよ」というマノンの冗談に軽く笑ったあと、陛下はマノンが社交界のあちこちで言われていることをその口で言った。マノンのエメラルド色の瞳を同じ色の瞳でじっとみつめながら。
「あなたは我が妹ルイーズによく似ている」
マノンはもう気づいていた。あの日の叔母が、不自然なほどマノンから国王を遠ざけた理由。「王城に憧れる?」とわざわざ尋ねた理由。
そしてローザンス家の母親が、「王都で社交を学ぶため」と理由をつけて、マノンを叔母のそばに置いた理由。
魔物最頻出地帯の森で、マノンが一夜にして記録的な数の魔物を始末したとき、同行した熟練の魔祓士が言った。
「こりゃ王族並みだ」
あのとき、マノンの中ですべてが繋がったのだ。
自分が生まれた年、ローザンス家にデルフィーヌが滞在していた。
ルイーズ姫が輿入れしたためデルフィーヌが女官を辞し、王城を出たのはその前年。
王城にいたころ、デルフィーヌと当時の王太子は、恋仲だった。
そして、リディアーヌが教えてくれた、王家の女の宿命。自害したルイーズ姫。
――王族の女は苗床よ。優秀な種を植え付けられる苗床。優秀な、様々な種を
国王が見つめる中、マノンはそっと目を伏せた。そしてすぐに視線を上げると、エメラルドの瞳でまっすぐに国王を見た。
「ルイーズ殿下のことは叔母からよく聞いていました。いたずら好きでお茶目な方でいらしたのですね。お会いできていたら、きっと仲良くなれたと思います。わたしと、叔母様のように」
ルイーズ姫。
わたしの叔母様。
「そうだな。マノン君とルイーズは、きっと仲良くなれただろう。目に浮かぶようだ」
国王はそう言うと、すべてを認めたおだやかな声で、「ルイーズの分も、君の今後の活躍としあわせを願う」とつけ加えた。
王都から馬車で半日ほどの湖畔に、パンシエ家の別荘がある。パンシエ男爵亡きあと荒れるにまかせていたこの小さな別荘をマノンが費用を出して改修した。王都滞在中いつも世話になっている叔母への恩返しだ。
「叔母様、その後陛下とはどうなんです?」
湖のまわりをふたりで散歩しながら、ここぞとばかりマノンはたずねた。
「あ、カエル」
「……きいてます?」
デルフィーヌはなつかしい風景に心がおどるのか、カエルを追いかけてはしゃいでいる。
「お会いしてないわ」
夏の日差しにきらめく湖に目を細め、デルフィーヌはいつもの淡いほほえみを浮かべた。
「なんだ、つまらない」
「この歳になって白馬の王子様とどうこうなろうなんて思わないわよ。今は王子様じゃなくて王様だけれど」
「陛下は押してるじゃないですか。叔母様、よく焚き火で手紙を燃やしてらしたけど、あれ陛下からの手紙でしょう? いいんですか?」
「やーね。いいもなにも」
叔母はあいまいに言葉を濁し、気持ちよさそうに「うーん」と伸びをした。
木々の緑を透かす明るい日の光。亡き夫と過ごした別荘で、叔母はしあわせそうだった。短い結婚生活だったけれど、歳の離れた夫との日々はきっと良きものだったのだろう。
(別荘、なおして良かった)
ごきげんなデルフィーヌの様子に、マノンは涙が出そうになった。
妖精のようなはかない風情でいながら、反逆の魂を秘めたわたしの「叔母様」。
結婚前、叔母はどんな気持ちで女の子を産んだのだろう。
愛する王子様の子を。
愛するルイーズ姫の姪を。
王族の娘を。
どんな気持ちで、産んだ子を姉夫婦に託したのだろう。
いつの日か一度でいいから、叔母様を「お母様」と呼びたい。
若い日の恋と引きかえに、自分にひとりの人としての幸福を準備してくれたこの女性を。
我が子のしあわせを願う母として、王城に、国家に、背を向けたこの女性を。
許されるものなら、お母様と呼びたい。
今、自分の手の中にあるしあわせ。このしあわせに関わる何人もの人たちの想いに、感謝と謝罪を心のうちでつぶやきながら、マノンはしずかにそう願った。
〈 わたしの叔母様 完 〉
お読みいただきありがとうございました。
10年以上前に公開した作品のバックストーリーなんて誰が読むんだ?と思いつつも、ずっと書きたかった話だったのでとても満足しています。いつでも続きが書ける、これが趣味の醍醐味です!
ミュリナのその後も一応構想はあるのですが…………構想は。書く日が来るのかどうか作者にもわからないので、今回もここで一応の完結とします。またこっそり連載設定に変わっていたら笑ってやってくださいませ。
サカエでした。




