第1話 依頼
探偵と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか。
鋭い洞察力で難事件を解決する名探偵。危険を顧みず真実を追う調査のプロ。警察も匙を投げた謎に挑む、正義感あふれる人物。
少なくとも、うちの所長はそのどれにも当てはまらない。
「クロード。お茶」
「自分で淹れてください」
「所長に対する態度か、それが!」
「新人にお茶を淹れさせるのは所長の仕事なんですか?」
「新人教育の一環だよ!」
堂々と言い切る男の頭頂部は、この事務所同様、ずいぶんと風通しがよかった。
ここは都内某所にある雑居ビルの一室。ドアには『チャッピー探偵事務所』と書かれたプレートが掲げられている。
事務所の中には机が三つと、年季の入ったソファ。それから、どこに売っているのかもまったく見当がつかないような、ベレー帽を被ったマヌルネコの置物が鎮座していた。
事件解決の記念写真などはない。壁に貼られているのは近所のラーメン屋の割引券と、期限の切れた健康診断の案内くらいだ。
そんな事務所に、俺――クロードは就職してしまった。
探偵としての経験は浅く、社会人としてもまだまだ勉強中。そして現在、就職先を間違えたのではないかという疑念を抱いている。
先ほど所長が言っていた新人教育なども特に受けた覚えはない。俺に仕事のあれこれを教えてくれたのは――
「クロードくん、お茶……」
隣の席から控えめな声がした。
ジェミニさんだ。
小柄で、どこか眠たげな目をした女性。長い黒髪をお団子にして、マヌルネコのヘアクリップでしっかりと留めている。物静かで、初対面のときはこの事務所のマスコットか何かだと思ったほどだ。
俺より1年ほど先に入所したことから、ところどころで先輩風を吹かせていたが、思わず笑みが溢れてしまうくらい微笑ましいものだった。
「ジェミニさん、ありがとうございます! 先輩にやらせてしまってすみません」
「大丈夫だよ……。なんたって私は先輩だからね……」
「ほら見ろ! ジェミニちゃんは気遣いができる大人だぞ! お前も見習え!」
「先輩を引き合いに出して自分を正当化しないでください!」
俺が抗議すると、所長は聞こえなかったふりをしてソファに寝転がった。
この男がチャッピー。
探偵事務所の経営者であり、俺の上司であり、できることなら人生で関わりたくない人間ランキングの上位に食い込む男だ。
仕事がまったくないわけではない。浮気調査や所在調査、ちょっとした身辺調査。依頼の内容はさまざまだが、所長は面倒な仕事を嫌い、危険な仕事をもっと嫌う。
では、なぜ探偵事務所を経営しているのか。
俺はまだ、その答えを知らない。
コンコン。
事務所のドアがノックされた。
「はーい。開いてるよー」
所長が寝転がったまま返事をする。
入ってきたのは、若い男だった。
「失礼します。こちら、チャッピー探偵事務所で間違いありませんか?」
「そうだよ。ご依頼かな?」
「ええ。ちょっと相談したいことがありまして」
男は丁寧に頭を下げた。
整った顔立ちに、軽やかな物腰。年齢は俺とそう離れていないように見える。依頼者はどこか切羽詰まったような顔をしている者が多いが、この青年はずいぶんと落ち着いたものだった。
立ち上がった所長に促されるまま、青年は机の前の椅子に座る。ジェミニさんがそれを見るや否やサッとお茶を置いて行った。青年は軽く会釈した後に、その口を開く。
「僕の名前は、『フン・ボルト』です。実は、知り合いのことで相談があるんです」
「知り合い?」
「その人、家族とうまくいっていないらしくて。いろいろ事情があるみたいなんですが、本人はあまり人に話したがらないんです」
「ふむふむ」
「それで、最近になって家族に関する大きな問題が起きたらしくて……。どうすればいいのか、困っているみたいなんですよ」
所長の横に座っていた俺は首を傾げた。
「すみません。もう少し具体的に教えてもらえますか」
「そうですよね。ええと……」
ボルトは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「その人、父親とはあまり親しくなかったそうなんです。でも、父親が亡くなってしまって」
「亡くなった?」
「はい。しかも、警察は自殺だと判断したらしいんです。ただ、本人はどうにも納得できていない。何かおかしいんじゃないか、と」
そこでボルトは口を閉じた。
所長はしばらく黙っていた。
俺は、ようやく話が見えてきた気がした。
家族との確執。父親の死。そして、警察の判断に対する疑念。
たしかに探偵に相談したくなる事情ではある。しかし、これほど重大な話を、どうして本人ではなく知り合いが持ち込んでいるのだろう。
「……で」
所長が口を開いた。
「それ、知り合いじゃなくて、あなた自身の話ですよね?」
ボルトの表情が止まった。
「……どうして、そう思うんです?」
「さっきから、ずいぶん詳しいじゃないですか。お父さんとの関係も、警察の判断に納得できないことも」
所長はソファから身を乗り出した。
「でも、その人はあまり人に話したがらないって、最初に言いましたよね。そんな人の事情を、どうしてそこまで知っているんです?」
ボルトは黙っていたが、やがて、ふっと笑みをこぼす。
「……参りました。おっしゃるとおりです」
俺は思わず所長を見た。
この男、さっきまでソファで寝転がっていたくせに。
「すみません。最初から自分の話だと言うのは、少し抵抗があって」
「まあ、そういう人もいますよ。浮気調査なんかやってると、『友達の話なんですけど』って相談はしょっちゅうでね」
所長は何事もなかったかのように肩をすくめた。
「それで? 本当は何があったんです?」
ボルトは今度こそ、まっすぐに俺たちを見た。
「父が亡くなったんです。家族で旅行に出かけた先で」
軽い調子は、もう残っていなかった。
「先ほども言ったように警察は自殺だと判断しました。でも、僕はどうしても納得できなくて。父が本当に自殺だったのか、それとも……誰かに殺されたのか。調べていただきたいんです」
そこで、少しだけ声を落とした。
「近いうちに、父の遺産について家族で話し合う場があります。僕の知り合いということで、そこに同席してもらえませんか」
事務所が静まり返った。
俺は所長の顔をうかがった。
頼むから、その調子でまともな判断をしてくれ。
だが、さっきまでの鋭さはどこへやら。所長の額には、じわりと汗が浮かんでいた。
「……ええと。まず初めに言っておきますが、我々は警察ではないし、調べると言っても限界があります。メインの依頼は話し合いの場の同席ということでいいんですか? それにその場で我々に何をしろと?」
「はい。それで問題ありません。実はこの話し合い、長男のバルトが保有しているリゾート地で行われるんです。基本は僕ら家族だけなんですが、それぞれ2人までなら知り合いを連れてきていいことになっています」
「なるほどね。それで我々についてきてほしいと」
「ええ。僕の家族を直に見てもらって意見を聞かせてもらえればと。あと父の事件についても僕の知ってる範囲で情報を提供します。それと、話し合いは3泊4日にわたって行われる予定です。長期間になり申し訳ありませんが、その分報酬はしっかり払いますので……」
さっきまで、怪訝そうな顔をしていた所長だが、最後の言葉を聞いて眉がピクリと動く。
「引き受けましょう! クロード行ってこい! ジェミニちゃん! 悪いけどサポートしてやって!」
「えぇ!? 俺ですか!? 所長は?」
「俺は、浮気調査とか身辺調査とか色々と忙しいんだよ! そんなに長期間事務所を留守にできるか!」
「くっ……!」
何か言い返そうかと迷っているうちに、袖をクイクイっと引かれる。
「クロードくん、所長命令だし……いこ?」
「……はー。わかりました。行きますよ」
ボルトは、俺たちのやり取りを眺めていた。そして、少し困ったように笑った。
「……あの、依頼を受けていただけるということでよかったですか? それと……」
ボルトは俺とジェミニさんに交互に視線を移す。依頼人から見ると若造2人でさぞ不安に感じることだろう。
「もちろんです!」
所長は即答した。
「それにこいつらは、こう見えてめちゃくちゃ優秀なんですよ。俺も事務所からサポートするのでご安心ください」
「はぁ……。わかりました。みなさん、よろしくお願いします」
俺は差し出された手を握り返した。
このときの俺は、まだ知らなかった。
彼の父親が、フンファミリーと呼ばれる一家の長だったことも。
その一家が、名前のインパクトだけでは片づけられない事情を抱えていることも。
そして、この依頼が父親の死の真相を追うだけでは終わらないことも。
ただ一つ、確かなことがある。
俺はこのとき、所長の頭を一発ひっぱたいてから出発すればよかったと、心の底から後悔することになるのだった。




