#20 黒と黄色と無色(ホログラム)
涙を流しに流し、赤く腫れた目元。
それ以外はなんてことはない顔でこちらを見やる。
人を盛大に巻き込んだ迫真の熱演の後に「水はあるか?」と平然と尋ねるその神経に対し、私たちの怒号に近い絶叫が、海岸に虚しく響き渡った。
「ちょ、ちょっとキミ……!? さっきのトチ狂った昼ドラ大芝居、一体何なのよ!?」
「困ってそうだったから、手を貸しただけだ。
あんたらは顔がカッコいいし綺麗だからな。泥沼の不倫劇の絵面として、最高にやりやすかった。
おかげでおじさんもイチコロ、出るとこに出れば賞も貰えると思う」
「……え、これ今、私たち顔を褒められてるの? それとも遠回しにめちゃくちゃ煽られてるの!?」
「……おい、よくも私を若い女性を弄ぶ不倫男に仕立て上げてくれましたね。
それに、最初から完璧に喋れたわけですか、なぜこちらの言葉が通じないフリなんかした!!」
今回の寸劇の一番の被害者ともいえるセンジは、唐突の風評被害とおじさんからの身に覚えのないやらかしに対するお叱りを受け、今にも爆発しそうに体を震わせていた。
規律正しいプロハンターとしての矜持を示さんとばかりに、下ろしたブレードの切っ先を彼女に再び向ける。
――それでも、怒りのせいでブレにブレまくってはいるが……。
「喋れないなんて一言も言っていない。そっちが勝手に勘違いをしたんだ」
「はぁ!? 何よそれ、つまりただのシカトってこと!?」
彼女は私の非難の声を完全に無視して砂浜を歩き出した。
さっき落としたウォーターガンを拾い上げ、軽く砂を払う。
「あんたらが何者か分からない以上、喋らせた方が嘘を見抜きやすい。ついでに情報も手に入る。
……そもそも、あんなムチャクチャな改造車で追いかけてきたクセに、警戒するなという方が無理がある」
至極まっとうな正論に、私は一瞬言葉を詰まらせる。
だが、センジは動じない。彼は彼女の正体を探るべく、ブレードを向けたまま大人の不敵な笑みを浮かべてみせた。
「黙っていなければウソも見抜けないのか。
……フッ、だが残念ながら、その警戒もむなしい足掻きに過ぎないな。何も知らないお前とは違い、こちらは既にデータベースでお前のことは調べがついている」
彼が仕掛けたハッタリ。
これで煽られてくれれば、何か彼女についての情報が落ちるかもしれない。そう期待した私たちだったが――――
「データなんてなかった」
「――っ!?」
おまわぬ返しに、私は意表を突かれてしまった。
彼女は眉を一つ動かさず、小馬鹿にするように小さく鼻で笑いながら続ける。
「そんなもの、見つからなかったクセによく言う。
……それに今、ハッタリのためにわざわざ『データベースで調べた』なんて言ったな?
個人的にそのデータベースとやらにハッキングしたっていう設定は思いつかなかったか?」
「……っ!」
センジが言葉を詰まらせる。
データがなんて見つからなかったことを彼女は完璧に把握している。
故に調べがついていることが嘘であり、データベースで調べたことは本当だとあたりをつけられてしまった。
問い詰めて正体を探るはずだったのが、立場がいきなり逆転した。
冷たい黒の瞳は徐々に獲物追い詰める獣の如く、私たちを狩りに来ていた。
「それ見たことか。言い訳すらせず、フリーで動く人間であるという可能性を、完全に否定も肯定もしなかった。
この時点でそちらがデータベースに正式にアクセスして人を調べられる組織に所属していることが察せられる。
情報ごちそうさま」
「あちゃぁ―……! かっこよくカマ掛けてあの子の正体探ろうとして、見事にやり返されちゃってるじゃない……」
「……くッ、こちらの意図を呼んだ上で、個人か組織かあたりをつけに来たのか。あの歳でこれほど口が周り、狡猾に立ち回るなんて……」
「息の合った夫婦漫才……。寧ろ早々に喋っていた方が話が早かったか――?」
「「誰が夫婦漫才 (だ・よ)!!!」」
私たちの息の合ったツッコミに波風の音が添えられる。
本当にこの子は、こちらの感情を弄ぶのが上手すぎて、別の意味で疲れてくる。
「――そもそも、初対面のはずなのに何故私のことを嗅ぎ回っている?」
「なんでって、昨日の話よ!
街の路地裏で、キミがその漂白洗剤の銃で私を助けてくれたから、気になって調べたに決まってるでじゃないっ!?」
命の恩人だからこそ追いかけてきたのだと、真っすぐに理由をぶつける。
さらに言葉を重ねた。
「それにキミ、それだけ頭が回るなら、昨日の夜、私があのスポイラーと戦っていたことと、さっきまで物騒な連中に追い掛け回されてたことを踏まえたら、私たちが敵じゃない事くらいわかるはずでしょ?」
なのに何故そこまで頑なに警戒するのか。
私の訴えに対し、彼女は溜息をついた。ほんの一瞬だけ、寂しそうな影を瞳の奥に浮かべ、ぽつりと呟いた。
「昨夜の件は覚えている――が、顔は暗くてよく見えなかった。
それに……、あの連中にとっての敵が、私の味方とは限らない」
「え……」
誰も信じられないと告げるような、彼女のあまりにも孤独な言葉に、私は思わず言葉を詰まらせた。私たちからしてみれば、彼女の事情なんてこれっぽっちも分からない。
しかし、ただただ、彼女が異質で硬派で……、どこか寂し気な空気に、私は何も言えなかった。
すると、彼女は静かにウォーターガンを下ろし、またも溜息をついた。
そして、ずぶ濡れの私たちをじっと見つめた後――
「はぁ……車内のドタバタを見せられて、あの連中と同列視はできそうにない。
……仕方なかったとはいえ、警戒し過ぎた。
――――大変、申し訳なかった」
そう言って彼女は、驚くほどの大人の誠実さで私たちに向かって綺麗に頭を下げて見せた。
先程までの生意気な態度と皮肉ったらしい口調がまるで嘘のような美しいギャップに、私とセンジは思わずポカンと呆気にとられてしまう。
「……っ、いや、分かってくれればいい。……それで、結局お前は何者なんだ?」
センジが我に返り、問いかける。
しかし、彼女は顔を上げると言葉に詰まり、何かを隠すようにして酷く言いにくそうな表情を浮かべた。彼女はふっと視線を逸らすと、ぽつりと呟いた。
「……ただの通りすがりだ」
そう言い残すと、ずぶ濡れでボロボロのカスタムカーへと、何事も無かったかのように足早に歩み寄り始めた。
「ちょっと待って! 車に寄る前に、その物騒な水鉄砲を渡しなさい!
中身は工業用の漂白剤だって分かってるんだから!」
「ええ、そんな危険物を、正体の分からない不審者に持たせておくわけにはいかない!」
二人で慌てて銃の引き渡し要求する。
すると、彼女は足を止めてクルっと振り返ると、いきなり魔改造ウォーターガンの銃口を真上にに向け、トリガーを引いた――――!
バッシュゥゥゥゥウ゛ッ!!!!
「――っ、危ないっ!?」
私たちは大慌てで頭を抱えて身を縮める。
しかし、空から降ってきた水には、薬品のにおいは一切感じられなかった。
「――弾切れ。さっき汲んだ『ただの海水』だ」
さっきの礼儀正しさ、もの悲し気な雰囲気はどこへ消えたのか。
彼女は不敵に、そしてからかうように私たちを見て笑う。
「工業用の漂白剤なんて言うほど簡単には手に入らない。さっきもチラッと言っていたが、この中身のことも知ってるのか。
――大方、路地裏で撃った液を調べたんだろうが……、対して撃ってもいない水弾から半日足らずでよくもまあ分かったことで。
フットワークが軽い上に、設備まで整ってるらしい。良い職場でお勤めになられているようで、それとも無茶を言ったかな?
見捨てられる前に菓子折りの一つでも持っていった方がいい」
「う、うわああああん! もうやだこの不審者! 一言喋るたびに、面白いぐらいにボロが出て情報がどんどん吸い取られていくじゃないのよぉッ!!
しかも職場関係まで心配された!!」
「……ハンターとして立つ瀬がありませんね。
さっきのカーチェイスといい、この生意気な子供相手にこうもプライドが粉々に粉砕されるとは……!」
本気でガックリと砂浜に膝をつき、情けなく胃を押さえたセンジの絞り出すような泣き言を溢す。
その瞬間、彼女の瞳が軽く見開かれた。
「――やっぱり、ハンターだったのか?」




