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切断された夢、盟友の帰還③

 切断されてからしばらく経っていたはずなのに、エルガの手首は元通りにくっつけられたらしい。軽く振ったり握ったりしているのを見ていると、さきほど見た血生臭い光景が幻覚だったんじゃないかと思えてくる。

「その手……本当に大丈夫なの?」

「多少動かしづらいが、まあ儀式に問題はない。不測の事態はあったが、このまま進めるぞ」

「そ、そっか……」

 あれだけショッキングな出来事を『不測の事態』の一言で片づけてしまうエルガの胆力が、僕は恐ろしい。魔術による驚異的な治癒力も含めて、僕と彼女は別の世界の住人なんだと改めて理解させられる。


「ところで、お前に悪い知らせといい知らせがある。まず悪い知らせから話そう」

 いや、僕に選択権をくれよ。こういう時は『どっちから聞きたい?』って聞くものだろう。最後くらいはお約束を守ってくれ。

 しかし僕の心の声が届くはずもなく、エルガはいつも通りの落ち着いた口調で切り出す。

「残念だが、お前はこの世界に関わり過ぎた。このままでは転移の最中に、こちらの世界に引きずられる可能性が大いにある。その危険を避けるため、この世界に関する記憶を消さなければならない」

どこまでも静かな声で告げられた事実は、僕の胸を思いがけない深さで切りつけた。

「え……それって、エルガやフロイデア……ルルーラとムコリタのこともハカホンのことも、何もかも全部忘れなきゃいけないってこと?」

「そう、何もかもだ。……あの楽器、その顔ぶれに並ぶほど気に入っていたのか。まあ、それくらいお前もここに思い入れを持ってしまっているのだろう。残念ながら、その感情は重石になる」

「思い出が重いってことか……」


 そんなくだらない冗談を言わずにはいられないほど、僕は落胆していた。戻ることを決めたとはいえ、この世界で出会った人、経験した様々なことは僕にとってかけがえのない価値があるものだった。それを全て失ってしまうなんて、考えただけでも悲しすぎる。本当に、この世界を去ることを少しためらってしまうくらいに。

 エルガは良い知らせもあると言ってたけど、これに並ぶような良いニュースなんて存在するんだろうか?

 黙り込む僕をじっと見つめると、エルガは何を思ったのか少しだけ微笑んだ。

「お前の手を見ろ」

 言われずとも、自然とうつむいた先に自分の手の甲はあった。この世界の手袋をつけて帰るわけにはいかないので、余り気味の学ランの袖から覗いているのは素の肌の色だ。

「……あれ?」

 手の甲に白く浮かんでいる円が、変化している。いや、元からあった小さな円はそのままに、それに重なるような形で緩やかにカーブする線が一本、書き足されているようだ。

 思わず顔を上げると、エルガは今まで見たこともない表情を浮かべていた。困ったような、それでいて何かを誇るような、けれどどうしてもぬぐえない寂寥感をにじませた、ぎこちない微笑みを。


「見えるだろう、それが私とお前のエニだ。これで証明されただろう、常識も文化も異なる世界でも、お前はきちんとつながりを持つことができると」

 エルガは僕の肩にそっと手を置く。小さな手のひらから伝わる確かなぬくもりと重みが、じんわりと僕の心を温かくした。

「例えここでの記憶を失っても、お前の美点はなくならないだろう。お前ならどこに行っても、どんな辛い状況でも、たくましく元気にやっていけるだろう。だから、自暴自棄になって身を投げ出すような真似は二度としないでくれ。それだけが私の望みだ……我が友よ」

「エルガ……」

 この世界に来てから、嬉しいことも悲しいことも理不尽な目にもたくさんあった。そのすべてのきっかけは、君だった。ドラッグストアから出て君の背中を追った時には、こんなことになるとは想像もしていなかった。

 まさか、君から友達と呼ばれるなんて。

「……うん、守るよ、その約束。エルガも元気で、皆にもよろしく」

 僕はどうにか決まり文句の挨拶だけを口にする。泣きださないようにするには、それが精一杯だったから。

 エルガは満足そうにうなずくと、厳かに両手を挙げた。それを合図に、魔術師の皆さんも同じように腕を上げ、神殿の中がエニの光で満たされていく。

「朝昼冷たき残りに望む月、魚夜回り浮かべても――」

 聞きなれない響きの呪文が僕の頭に染み込んでいくと同時に、閉じた空間に強い風が吹き、耐えられなくなった僕は目を閉じる――。

 最後に見たのは、強く、そして青い、二つの輝きだった。



 開いた目に飛び込んできたのは、蛍光灯の人工的で清潔な光だ。

「なんだ、夢か…」

 そう結論付けてしまえば得体のしれない喪失感がなくなる気がしたが、掠れた自分の声は、むしろ胸の中の空洞の形をよりはっきりと感じさせた。しかし僕が感傷的な気分に浸る間もなく、寝転がった頭の側で慌ただしく気配が動く。

「お前、起きたのか…!」

 ベッドの横から僕を覗き込んだのは、僕と同じ制服姿の転校生だった。いや、違うな。自分の姿を見下ろしてみると、僕だけはのっぺりした感じのガウンを着ているのが分かる。よく見回せば部屋の景色も見覚えがない。もしかして、ここは病院だろうか?

 転校生は何か言おうとするように何度か口を開け閉めした後、結局何も言わずに僕の枕元に手を伸ばし、コールボタンを押した。すぐに廊下の向こうから、ばたばたと足音が近づいてくる。


「あ、あの、ここは……?」

 疑問も差し挟めないまま色々な数値を測られたり質問されたりするうちに、僕は自分が思っていたよりも大変なことになっていると気がつく。病室に駆け込んできた親に泣かれたところで、ようやく事情が呑み込めてきた。

 どうやら僕は学校の屋上から落っこちて、丸三日ほど眠り続けていたらしい。骨が折れたりはしていないようだけど、そんなに意識不明の状態が続いていればそりゃあ大騒ぎにもなるはずだ。

 こうしてたくさんの人が僕を心配してくれているのが申し訳なくて、だけどなぜか、とても嬉しかった。


 両親が医者の先生と話しに行ってしまうと、白くて清潔な部屋の中には僕と転校生だけが残された。とはいえ何か会話をするわけでもなく、転校生は怒ったような顔で黙り込んでいるだけだ。重い空気から逃げるように寝返りを打とうとしたとき、僕はポケットの中に違和感を覚える。

「……ん?」

 たった今まで寝たきりだったのに、それでもポケットに入れておきたいほど大事な何かが入ってるのだろうか。そもそも、薄っぺらい病人服のポケットなんか、物を入れるのに便利だとは思えないけど。

布の中をもぞもぞと探って、硬くて小さな感触を摘まみ上げる。僕の指先が捕まえていたのは、深い青色に輝く宝石だった。

「は、あはは……!」

 思わず漏れてしまった声に、なんで笑ってるんだ、と言いたげな視線が突き刺さる。でも、こんなの笑わずにはいられないって。

 僕は宝石を持ったまま、腹を抱えて笑う。その輝きはどうしても手の届かない冬の星みたいで、とてもきれいなのに見つめていると無性に寂しくなってくる。それでも、遠いところから僕に寄り添って力を与えてくれるような感覚も確かにあった。

 届かないのに側にいるような気がするなんて、おかしいだろう。おかしくて、僕はたまらなく愉快な気分だった。

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